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父へ母へ

私はこの人生で良かったと

いまは言えるよ。

「ありがとう。」

これからもよろしくね。

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父も母も高齢になってきて
わたしも30を過ぎます。
これからもなんて、いつまで言えるかわかんないし
「ありがとう」の一言だって、届けられる時は限られてくる。

中二くらいから母子家庭で育ちましたが、わたしが大人になり、一人暮らし初めてから父はよくわたしの元へ駆けつけてくれたり、野菜やお米を届けてくれたりします。
一人暮らしを始めて家に物がなさすぎて、父が色々購入もしてくれました。(家にあった物で使えそうなものだけ持ってきていて。笑)
優しいお父さんです。

元々わたしはお父さんっ子で、父の方へついていくつもりでした。
記憶は曖昧で、でも気がつけば母の元。

母のことも好きです。

わたしは選んだ高校に無事合格し、それを母と飛んで跳ねて喜んだのですが、その矢先いじめにあったりもしましたが、母と乗り越え、、

いや乗り越えたというか、もう、居づらくとも、行くしかなく、教室には行きたくない、たまに出た授業も遅れを取りわからなく、資格も取れなかったものが多かった。

もう流れに逆らわず、なんとなく流れて、卒業しようと思いました。
わたしの話になってしまった。

母は結構、感情の起伏が激しいタイプです。
それが遺伝してなのか、わたしもたまにそういうことがあります。

反抗期、母と妹とわたし。兄もいるのですが、兄は就職でもう家にはいません。女3人で過ごす家は、なんとも言い難い環境でした。
母を怒らせてしまい、弁当箱を机に投げつけられ、机に穴が空いたこともあります。懐かしい思い出です。もうその机は処分されましたが。

父に「助けてほしい」なんて、言えば母が訴えられてしまうかもしれない。いろんなことを考えていたような気がします。父に、「お前はお母さんのところに行っただろう」と見放されてしまえば、おしまいだし、言われてしまうことが怖かった。
とにかく、なんとなく、生きづらく、重くて、傷の残る思春期だった。

今母のことが好きだと言える理由は、「距離」です。
同じ家にいたことで、ゼロ距離だったものが、すこし、物理的にも距離があるから。

たまに一緒にご飯を食べたり、お出かけしたり。
甘えやすい友達のような関係かなと思います。


今は父とも、母とも、いい関係。
わたしが「この人生でよかった」なんて言えるのは、この2人のおかげだけれど、生まれたことを恨んだこともありました。
「これから」なんていらないと、思ったことも何度もありました。

けどそんなこと考えたって、恐怖でしかなかったのです。

残された人への迷惑、
葬式なんかでかかるお金もわたしは持ってない。
大好きな人たちに二度と会えなくなる、、、

寂しさがすごかった。
わたしは自分大好きなんだと思う。
嫌いだ、嫌いだと何度も呟いてきたけど、
自分をきっと、愛してくれていた人たちのおかげで、こんなに自分のことを守らなきゃと思ったのかもしれない。

この人生で良かったと思えるのは、この落ち着いた今があるから。
病院にもまだ通ってるし、落ち着きは薬のおかげかもしれない。けどそれでも、いまの環境があるのは、自分が頑張ったからでもあるけれど、親のおかげもあるなぁと、しみじみ思うのです。


お父さんとお母さん。
2人の道は違えてしまったけれど、
わたしはとちゃんと繋がっていて、
今もこうして繋がっています。

皮肉かな。

でも、おかげでこうして楽しいと思える日々を過ごしています。

いつもありがとう。
これからもよろしくね。

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