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国と地方



はじめに

以前、都市の理論の政治と田舎の理論の政治について書きました。かなり強引ですが、今回はその続編です。前回は同じ地方政治であっても、都市部と地方でその根幹が異なることについて書きました。大阪都構想のような政策を地方で行うとその自治体は衰退しかねないですが、それを都市部で行うからその力を発揮すると書きました。逆に都市部に田舎の理論を適用するとその都市は低成長もしくは衰退するとも触れました。どちらの政治が絶対的に良いというものではなく、との自治体の特性に合わせた政治がマッチしなければ意味はありません。大阪の成功例を真似して地方でそれを行うと、その自治体ではうまくいかず、むしろマイナスになってしまいます。今回も都市の理論と田舎の理論について触れながら、国政と地方政治について書いていきます。国政は地方政治の延長ではありません。そして、国が掲げる地方創生と各自治体が掲げる地方創生のニュアンスも異なります。


国政と地方政治

国政と地方政治が違うものであることはわかると思いますが、実際にどのような点で異なるのかについて考えると意外に難しいです。地方政治の延長が国政と思われるかもしれませんが、必ずしもそうではありません。国政に求めるものと地方政治に求めるものは異なります。国政が地方政治の延長と思われるようになったのは、それは以前の選挙制度中選挙区制が原因だと考えられます。中選挙区制では一つの選挙区から複数に当選するシステムで、当時与党であった自民党内でも各派閥がその枠を狙って熾烈な競争をしていました。政治学では選挙制度が政治システムを作り上げると言われるほど、選挙制度は政治に大きな影響を与えます。
そのため、党としての政策ではなく利益誘導、すなわち地方への還元をアピール(空港建設や新幹線の新駅建設)していたからです。そのため、請願駅と呼ばれる新幹線の駅であったり、便数の少ない空港やほとんど使われていない港であったりが作られました。この名残で国政が地方政治の延長にあると思われるようになったのではないかと思います。
派閥政治のネガティブな面を書いてきましたが、自民党内で競争原理が生まれ、よりよい互いに切磋琢磨していました。1993年まで自民党が政権を握っていましたが、総理大臣は様々な派閥出身であったため、疑似的な政権交代が起こっていたという見方もできます。派閥政治を政党本位の政治にするために、小選挙区比例代表並立制が誕生しました。党単位での政策を評価し投票するようになり、政治も政策について議論されるようになりました。
国政は具体的なことよりも幅の広い抽象的な視点での評価が必要になります。国家に関わることは生活に直結することもありますが、基本的には間接的な関わりが多いです。例えば国防や社会保障であれば、それらの恩恵を直接的に受けることはないですが、間接的に受けることになります。国政は国としての指針を決めるため、漠然とした考えで評価する必要があります。個別具体的な観点で評価すると、木を見て森を見ずのような状態になってしまいます。木は各自治体で、森は国です。国政を見るときは少し広い視野での分析が求められます。

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それに対して、各自治体に関わることは我々の生活に直結することがあります。例えば、水道代のような公共料金は各自治体で決められています。水道代の変化は生活に直結する事項です。水道代のような公共料金だけでなく、公立学校、病院や市民センターなどの公共施設の大半は各自治体が運営しています。これらの施設がなくなれば、生活に支障を来します。自治体に対しては個別具体的な視点での評価が必要になります。自治体の今後を占うような都構想のような事柄であれば、なおのことです。地方政治は我々の生活にどのような影響を及ぼすかという視点での分析が必要になります。
これらのことをざっくりまとめると、国に対しては国家に関わること国防、教育、社会保障、産業政策を軸に、各自治体に対しては住みやすさに関すること住民サービスの向上、インフラ整備などを軸にして、評価してみてください。地方政治の延長で国政をみると、国と自治体の利害が対立した場合、国の方針に真っ向から反対することになります。地方政治と国政を切り離して考えると、確かに住民感情という意味では踏みにじられてしまいますが、自治体へのダメージは大きくとも国全体に関わることであれば、それはやむを得ないと解釈できます。




平成の大合併と地方創生

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平成の大合併とは地方分権を進めるために自治体の広域化を図った政策です。つまり、地方創生の一端を担うはずでした。この平成の大合併で多くの市町村が合併しました。地方政治学の世界ではこの平成の大合併が失敗であったと考える学者が多いです。その理由は先ほどの都市の理論と田舎の理論にあります。平成の大合併で合併した市町村の大半は地方の市町村で、都市部の合併は大都市に吸収合併されました。本来、効率化を求めてはいけない地方で効率化を図ってしまい、合併後に住民サービスが低下した自治体が数多く存在しました。僕の地元もその例外ではありませんでした。本来、平成の大合併は都市部で行うべきであり、地方で行うと1つの大きな都市に吸収合併され、その都市の政治でその周辺の合併された自治体も動かされることになります。それにより田舎の地域は都市の理論の政治で大きなダメージを受けることになりました。大宮市と浦和市や静岡市と清水市の合併は平成の大合併の根幹にある都市の理論に合致しますが、地方の市町村では合併をした結果、疲弊してしまった自治体が多くなってしまいました。これは都市の理論を地方に適用してしまった例です。合併により均一化し、効率化を図ろうとした結果、効率が合併前より落ちるという結果になってしまいました。
政府が掲げる地方創生と各自治体が掲げる地方創生の同じ言葉ですが、根本理念が異なります。一見、政府は都市部への一極集中の解消を目的とし、各自治体もその分散に協力するという面で一致していますが、実は都市の理論と田舎の理論の対立構造になっています。政府の掲げる地方創生は田舎の理論です。一か所に主要機能が集中していると効率は上がります。逆に分散していると効率が下がってしまいます。それは単純に物理的な距離の問題です。近ければ近い方が各機関との連携がとりやすくなりますが、遠くなればなるほど、連携をとるのが難しくなります。これではもしものときのことや日本全体の活力のことを考えて、各地方に頑張ってもらう必要があると国は考えています。国は効率を重視すれば、日本全体にとってマイナスになると考えています。
それに対して、各自治体が掲げる地方創生は都市の理論です。各自治体の地位を向上させ、中央政府を支えるだけの力が必要になるからです。そのためには国からの助けを小さくする必要があります。つまり、効率化が必要になるからです。自治体が力を付けるには財源はもちろんのことですが、その財源が無駄なく使う必要があります。そのために支出の見直しなどを行います。それを橋下徹さんが大阪府知事時代に行い、大阪府の支出の見直しをし、その後大阪維新の会を立ち上げ、大阪市でも同様のことをしました。それにより大阪府と大阪市の財政は健全化され、自治体として力を付けるようになりました。同じことの繰り返しにはなりますが、多少の見直しは必要ですが、これを地方で行うとその自治体は立ち行かなくなってしまいます。



最後に

国政は地方政治のように都市の理論や田舎の理論のどちらか一方に重点を置くことはできまず、そのバランスが重要になります。地方を見捨て、都市を優遇するような政策を行えば、日本全体としてマイナスになると考えられますし、逆に都市部に田舎の理論を適用するような政策を実施するのもマイナスになってしまいます。こういった観点からも国政は地方政治の延長ではありません。政治という意味では同じですが、その内容は異なります。ある自治体でうまく行ったからそれが他の自治体や国でもうまくいくということはありません。確かに自治体であれば、似たような自治体であればその政策がうまくいくことはありますが、国ではそれが非常に難しいです。そこには、都市と地方のバランスがあります。このバランスが崩れてしまうと日本全体に大きなダメージを与えてしまいます。自治体の選挙や住民投票、そして国政選挙ではこれらの観点から投票していただけると嬉しいです。

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