見出し画像

何かできるから安泰みたいなことがあればなー

はじめに

オリンピック真っただ中ですね。日本勢のメダルラッシュも続き、連日大盛り上がりです。この日のために頑張って来られた選手のためにもオリンピックが開催されてよかったですし、何より見る側としても非常に楽しいです。オリンピック選手も一般のそのスポーツをする人であっても、「そのスポーツができる人」や「そのスポーツが上手な人」という評価になりますが、レベルが違うということは誰でもすぐにわかります。ですが、同じできるという評価になってしまいます。今回はこの「○○ができる」や「○○が上手」について書いていきたいと思います。この「○○ができる」や「○○が上手」という評価ほど厄介なものはないと思っています。

できる・できないの境界線

小学生や中学生の頃はできるできないの境界線がはっきり分かれているように思っていたかもしれません。自転車であれば、自転車に乗って漕げれば、「自転車に乗れる」という評価になりますが、乗れなければ「自転車に乗れない」という評価になります。小中学生の頃にできるようになることの大半はその境界がはっきりしているものだったとも言えます。
ただ、スポーツに関する境界線ははっきりしているようではっきりしていないと言えます。小学校の頃に足の速い子はもれなく「運動神経抜群の子」であったり、「スポーツのできる子」であったりと評価されていました。そのことは嘘ではなく、紛れもない事実ですが、その子がその運動神経を活かし、怪我で断念することがないとしても、将来、スポーツ選手として活躍できる確率は高くないと思うはずです。
運動ができる=将来有望とならないことは直感的に思われたかもしれませんし、実際にその道を歩まれている人が多くないことも事実です。運動ができるから将来は絶対有望であるといった考えになることはあまり多くなく、冷静にその確率は非常に低いと思われる方が多いと思います。しかし、それが別の分野になると、その冷静さを欠いてしまうことが多いです。そのことについて次で書いていきます。

「○○ができる」≠有望・安泰

「○○ができる」から将来有望であったり、優秀な人材であったりと思われるようなことはよくあります。以前に書いた外国語の幻想がまさにそのことについて書いています。こちらも読んでいただけると幸いです。その内容と思いっ切り重複するのですが、外国語を話せるから優秀というのは単なる勘違いです。重要なのはその中身です。新社会人になりたての頃に「英語ができるから仕事ができるわけじゃない」と言われることがよくありますが、話せる本人がそれを一番よくわかっています。本当に語学ができる人はその壁にぶち当たっているので、言われなくもわかっています。そういう言葉を言う人の大半は外国語ができない劣等感を相手にぶつけて、マウントを取りたいだけの人です。ですが、本当にできる人がそういうことを言う場合もあり、それはマウントなどではななくれっきとした忠告ですので、気を付けなければなりません。
「○○ができるから、それ関係の仕事に就いたら?」と言われることもありますが、あることが得意であっても、仕事になるとは限りません。スポーツの例と全く同じです。確かにその分野について他の人より秀でいているかもしれませんが、その特技を活かせる仕事に就く場合、その特技がその仕事の最低条件になっていることは多々あり、その中で勝ち抜くにはその特技が他の人より秀でているだけでは意味がありません。戦う相手は同じことを得意とする人であって、そのことが得意でない人が相手ではありません。
この落とし穴は資格試験などでもよく見られます。僕が今勉強している行政書士を例に取ると、行政書士の資格を持っているから他の人よりも法律の知識があり、将来安泰だなんて思っていると大変なことになります。確かに、その資格を持っているだけで、できる仕事の幅は増えたり、行政書士として働かなくても、法務の仕事を任されたりすることもあります。しかし、行政書士や法務として働くのであれば、その資格だけで万事を解決してくれるようなことはありません。むしろ、それが最低ラインです。相手は同じ資格を持った同業者です。さらに行政書士に限ると、もっと仕事の幅が広い弁護士や公認会計士等も競合になります。
何か資格があるから安泰というのは単なる幻想で、その資格はその仕事における最低条件です。これを勘違いして、資格を取って開業して、すぐ廃業することになり、こんなはずでは、、、といったようなことになります。その特技などを仕事にすることは非常に難しく、入念な下調べや努力が必要になります。何かができるから有望や安泰といった安易な考えは身を滅ぼします。資格を取ることを否定しているのではなく、資格を取ることがゴールではなく、それを仕事としてやるのであれば、資格取得は通過点として考えなければなりません。

最後に

できることが多いことは、悪いことではなく、非常にいいことだと思います。自分のできることを増やすことはよりいいことだと思います。その分、新しい発見もあると思います。しかし、重要なのはできることすべてが必ず役に立つ(仕事になる)というわけではないということです。僕も一時、特技で英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、アラビア語、ペルシャ語での自己紹介を挙げていました。今はもうこんだけの言葉で自己紹介できませんが、、、これだけ見れば、何でもできるんじゃないかなんて思われるかもしれません。これらの言葉を仕事で使えるかと言えば、おそらく全く使えないと思います。かろうじて英語とドイツ語(今は全然ですが、、、)ぐらいでしょう。
「○○ができるから仕事にした方がいい」という言葉は、戦う土俵のことを無視しているとも言えます。むしろ、そこにその土俵のことを入れなければならないのかという疑問も残ります。あることができるのは最低条件です。それに何か別の物を追加しなければなりません。そうすることでその中で戦っていけるようになります。「○○ができる」から有望・安泰という考えを捨てて、有望であったり、安泰であったりを望むのであれば、それなりの努力を絶えずし続けることが大切だと思います。

この記事が参加している募集

#noteの書き方

29,258件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?