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平和や正義とは

もし本当に自分が正しくて。


それがいいことだという自覚があるなら。


わざわざそれを他人に対して公言することもなく。


黙々と。


ただやってることをすればいい。


のに実際はできない設定がされてる。


常に自分のやってることに疑問を持ったり。


正しさの証明にと。


誰かの同意を無意識に求めたり。


その量や質で。


安心感を覚えるようにできている。


自分という存在を中心として。


そこを囲うように。


そうすることで、輪郭を保つ。


なぜなら本当に正しいことも。


良い行いも、悪い行いも。


どこにも存在しないから。


例えば何かを、それが良いと言った次の瞬間には。


それができない、という人や物を全否定してる。


という事実が生まれる。


常にそんなのがせめぎ合う中で。


どっちが正義か、良し悪しかと。


それを問うこと、その機会を持つこと自体が野暮になる。


だから周りを囲うことが必要となってきて。


自分の正しさや良さの確認のために。


誰かや何かを使うのは当然のはからい。


一人で生きれる人もいないのに。


一人で強く生きろと願う謂われもありすぎて。


自分とは。


みたいなそんなものも強調されがちで。


常にそれを色んな人に示して。


ぶつかっては壊されて。


けど、ある程度までは守られて。


を繰り返す。


モラルも規範も。


ある一定の範囲を持っての約束事で。


安心というのを得る代わりに。


失う自由もあるということも。


世界のどっかでは常に人殺しがあって。


そのための需要としての仕事があって。


誰にも気づかれない不幸の上に。


どっかの誰かの幸せは成り立って。


不必要に、外側の世界の蓋をあけすぎると。


途端に。


実は自分の思ってた正しさも。


幸せというものの絶対性も。


実は一過性の、朧気なものでしかなかったと気付かされる。


自分の世界を飛び越えて。

誰かや何かに必要以上に思いを馳せること。


その怖さは。

何年も何年も繰り返されてる争いや、あらゆる物事の差を。


埋めることができない一番の理由になってる気がする。


笑える時に笑っちゃいけないと思うことも良くないのに。


笑える時に笑わないとと思うことも良くなくなったり。


ロシアとウクライナ。


平和のための経済制裁という協調の裏で。


経済制裁を下していない国の迂回路をもって、ロシア産の天然ガスや石油を安くでしれっと買い叩く。


平和のための経済制裁を行う国々。


その恩恵を受ける国々。


当事者を飛び越えて。


ということの恐ろしさ。

自分の日常に落とし込めない物事ほど。

お祭り騒ぎのようにやる気が出てしまう人間の性。

平和主義

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