見出し画像

情報について

情報化社会だ。
知りたい情報も知りたくない情報もメディアは垂れ流しだ。僕らはそれを取捨選択しなければならない。どの情報が正しくてどの情報が最新か。昨日まで正しかった事実が明日には間違いになっているかもしれない。見抜く力をつけて正しいものを見抜いてやらないといけない。

こんな情報化社会になったのは言わずと知れたインターネットのおかげである。僕が中学生の頃はインターネットが世間に普及して間もなくだったから、検索しても取り扱っているページがないことがよくあった。

僕の地元は田舎だった。地元には服屋やCDショップなんてほとんどなかった。買いに行こうものなら車で30分かけなければ買いにいけない。そしてその唯一の店で取り扱っている商品は都会に比べて品数が圧倒的に少なかった。好きなアーティストのCDを買うにもニッチなCDとなるとどこを探していても売っていなかった。今のように通販サイトなんてないし都会に住んでいる音楽ファンとは雲泥の差があった。 服も若者に人気のブランドなどなく、やっとあったと思ったらそれは類似品だった。いわゆるパチモンである。

そんな青春時代を過ごした。しかし今となってはそんなことはない。僕が田舎を飛び出したこともあるが欲しい商品はネットですぐに注文できる。CDも服も次の日には届くレベルで提供してくれるなんとも便利な時代だ。

便利になったのは服などの日用品だけではない。情報もネットには無数に拡がっている。しかも優良な情報でも無料で手に入ったりする。
映画や新商品のレビュー。副業の方法であったり、専門的な記事。ありとあらゆる記事がウソもマコトも一緒こたに並んでいる。そしてその記事の優劣はやはり読み手で判断しなければならない。あたかも真実味を帯びた内容に見えてもそれは「釣り」かもしれない。

そんなことを踏まえて最近の僕の行動は「情報は買う」ということを心がけている。無料だから必ずしも粗悪品だとは思わないが、質のいい情報を手に入れたいなら代価を支払うべきだと思う。

まず、有料であることでその情報がある程度のふるいにかけられる。有料にするだけの価値がそこにはあるのだと信頼した上で買う。
この有料の情報とは、本しかり、電子出版しかりである。

有料で買うことにより、情報提供者もそのお金で新たな情報を発信することに繋がる。
仮に騙されたとする。自分の思った以上の情報がない場合だ。その時はただ自分の見る目がなかっただけで勉強代と思えばいい。モノを見定める能力がついたと思い次回からその著者の本、あるいは似たような本は買わなければいいだけのことである。

そして大半は有料な情報の方が良質である。
無料の情報に頼り、小銭を節約したことで得られる知識などたいしたものなどない。
代価を支払い自分に投資できるかできないかでその先の人生は大きく変わる。

この支払った代価をどうにかして取り返したいのならその知識を自分というフィルターを通して売れば良い。
自分の経験や言葉をつなぐことによりその情報はまた一つ新しくなる。

そんなことをより強く思うのは情報において地域の格差がなくなったからだ。

どこにいようと、その気さえあれば誰にでも平等に手に入れることがきる。

となると都会に住むメリットはなんだと時々思うのである。


次回は「女の話について」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?