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職場を神格化する掃除

整理・整頓・掃除とはそれこそ幼稚園の頃に教わったことである。使ったものを片付ける。モノを大切に扱う。それは基本的なことであるがとても大事なことである。

製造業を中心にこの整理・整頓・掃除は3Sとして取り組まれている
「3Sなどとたいそうなことを言ってなんだそんなことか」と思うかもしれないが生産性や効率、または安全面を考えた時にこの基本の3Sができてない職場は機能は著しく低下する。

この記事では整理整頓における経営的な効用としているが、何もこれは経営的なことだけではない。「割れ窓理論」もその一つではなかろうか。

「割れ窓理論」とは、割れた窓を放置していると他の窓も割られやすくなるということ。一枚ぐらい割れていたら二枚も三枚も一緒だろうということ。なので小さなことでも徹底して掃除や修繕をすることで人々のモラルが保たれるということである。

思えば、僕も小さな頃同じ経験をしたことがある。

実家に住んでいた頃、僕の部屋はとても汚かった。使ったものは置きっ放しだし、手の届く範囲に必要なものを置いていた。
時々兄が僕の部屋に来て漫画を読んだりしていた。そしてその読んだ漫画を机の上に置きっ放しにしたりするもんだからよくケンカをした。僕としてはその漫画を元にあったところに戻して欲しかった。自分では整頓できないくせに人には強要してしまうのが人間だ。
しかし、兄としてはどうせ汚い部屋だからどこに置いてもいいやろ。というのが言い分だ。これが「割れ窓理論」の典型的なパターンである。
僕は自分でもこの部屋の汚さにうんざりしていたのだろう。テスト前に限って部屋の汚さに目が入り夜な夜な掃除をしていた。

いかんせん、部屋は綺麗な方がいい。

僕はここ何年かで随分と部屋が綺麗になった。要らないものは処分するようになり、不必要なものは買わない。使ったものは元の場所に戻す。
今みたいにコラムを書いたりと仕事をするときはその作業スペースの環境がとても大事になる。自分の視界に漫画があればついつい手にとってしまうから見えない場所に置く。脳の中の前頭葉で集中力を司っているのだがこの力をウィルパワーという。乱雑な情報があればウィルパワーが阻害されるので作業部屋には必要なものだけを置くに限る。だからできるだけ作業スペースには必要なことに必要な集中力を注げる環境を作らなければならない。

この記事で僕が興味を持ったのは、日本人が掃除や整理整頓を大切にする文化的な背景があるという点である。その一つは宗教的なものであるということ。
これはとても納得した。

小さい頃、神社の境内で野球をしていた。カラーバットとゴムのボールを持って兄弟三人でよく遊んでいた。時々、ボールが神社の中に入っていくことがあった。その時僕らはバチが当たらないように厳粛に恐る恐る中に入り、「すいません」と小さな声で中に入った。中は何もなくてさっぱりとしていてひんやりとしていた。その空間は神聖なものを厳粛に扱うことによって神の場所を作っていた。

それと同じようなことがある。

野球をしていた時、グラウンドに入るときは帽子をとって一礼するように小さい頃から教えられてきた。その礼には「使わせてもらいます」という意が込められている。そして使用後にはトンボをかけて「ありがとうございました」といって帽子を取り一礼をする。これにも神聖なものを「使わせていただく」という宗教的なものがそこにはある。だからこそ、フェアプレイをすることができるし、礼に重んじることができる。

ならば僕が今使っている作業部屋も毎日掃除をして神聖なものとして扱えば、より集中力が必要なものへと注ぐことができるのではないか。そんなことを思った次第である。


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