見出し画像

洗濯について

日常の中の日常を読んでいる方々はどういった人がいるだろうか。

男性だろうか、女性だろうか。

そして皆さんは家事をするだろうか。

一言に家事といえども大きく三つに分けられる。

それは料理、掃除、洗濯だ。

家事をする人や家事が好きな人、あるいは家事が苦にならない人でもこの三つの中でも得手不得手があると思う。いや、あって当然だ。

僕は一人暮らしの経験から家事は幾分苦にならない方だと思っている。

生活する上で必要最低限な仕事であると思っているし、これを怠れば支出が増えるし健康も損なう恐れがある。そういった理由で家事の必要性は理解している。

しかし、この三つの中でとても嫌いなものがある。

それは洗濯だ。

なぜ僕は料理や掃除と比べて洗濯は気に食わないのか。
少し掘り下げてみることにする。

まずは掃除について。
家に帰ってきてリビングや寝室が散らかっていると非常にストレスが溜まる。心を休め落ち着かせるべき場所が汚いと心が休まらない。今みたいにパソコンの前でポチポチと文章を起こしている空間であれば尚更だ。集中力が削がれるし質の良い仕事ができる気がしない。部屋の汚さは心の乱れを表しているとはよくいったものだ。心が乱れると部屋は汚れる。逆も然りで部屋を綺麗にすれば心も洗われる。僕は結構本気でそう思っている。なので掃除した綺麗な空間になれば心も落ち着くし、その作業をしているときも気持ちがいい。


次は料理について。
「料理について」の項でも触れたのだが、食が体にもたらす影響は馬鹿にできない。そして具材を調理する行為はストレス解消につながる。美味しくできたそれを食すことにより心が満たされる。腹が満たし心が満たされればとても幸せな気分になる。こんな風に感じるのはきっと僕だけじゃないはず。


では問題の洗濯はどうか。
着終わった衣類を洗濯に入れる。さて洗濯をしようとする。自宅には乾燥機がないので天気の良い日を狙う。この時点で既に気に入らない。自分の意思で自分のペースで作業に取り掛かることができれば苦にならないのだが天気に左右されるのだ。洗濯という作業に取り掛かる前から主導権が洗濯に握られているのだ。
そして天気予報を確認後、洗濯機を回す。すると数十分後に「ピーピー」と急かさんとばかりに洗濯が終わった合図を告げる。この時も洗濯に主導されている。それに抗って放っておこうものなら、衣類は水臭くなり再度洗濯をしなければならないのだ。僕は何回この経験をしたことだろう。
なんとか葛藤の末、洗濯を干す。これまた天気に左右される。雨が降らなくても衣類によって完全に乾き切らないものが一つや二つ出てくる。
衣類が全て乾くとやっと洗濯物を取り込むことができ、畳んで終了である。
洗濯して日光を浴びた衣類はとても気持ちいいし、柔軟剤を使うと着心地も良くて気分がいい。だがしかし、その気持ち良さを感じるときは実際に衣類を着るときである。洗濯をしてから何時間、何十時間と経った後である。


つまり、料理や掃除は目に見えてすぐに結果が出るのに対して、洗濯は目的を達成した後に得る精神的報酬までの時間がとても長い。
そして何よりも、洗濯機を回し始めたときから主導権が洗濯にあるという点である。
洗濯様が最もパフォーマンスを発揮するために人間は天気や時間配分を考えなければならない。
外出したいと思っていても洗濯を干すまで家を出れないし、外出したとしても天気を気にしたり、夜露に濡れないように早く帰ってこなければならない。
なんともまぁコストが悪いのだ。
それが面倒ならば乾燥機付きの洗濯機を買えばいい話なのだが、結局は畳むという行為からは免れない。
畳むという行為に精神的報酬を見出せれたらいいのだけれど、どんなに綺麗に畳めたところで僕は幸せな気分になったことは一度もない。
こうなると、あれだ。洗濯から畳むところまでのオールインワンの洗濯機が完成する未来を待たなければならないということだ。

やれ、年金やら地方の過疎化やらと暗い未来が予測される中、こんな小さな幸せの未来を待ち望むのもありではないか。

暗い未来より明るい未来を選択しようじゃないか。

次回は「スマホについて」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?