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未だ僕の人生に、ヒロインはいない…

 「ねぇ、この後どうする?」

 彼女はそういうと、「うー、寒っ」とつぶやき僕の腕に自分の腕を絡ませてきた。彼女の熱が伝わってくる。

 後方でカシャッと物音がした。振り返るとさっきまで一緒に呑んでいた大学の友人の1人がニヤニヤしながら手を振ってきた。反対の手にはスマホが握られていた。

 僕が見知らぬ女と腕を組んでいる姿を撮られたようだ。ポケットから鈍い振動が伝わってくる。スマホを取り出すと何件かメッセージが届いていた。開かなくてもわかる、あいつからだ。

 「どうしたの?」といってスマホを覗き込んでくる。複数枚の写真と共に、【ワンナイトラブかよ】と一文添えられていた。
 僕は送られてきた写真を彼女に見せて「あいつに撮られた」と、未だヘラヘラしている男を指差した。

 「なんか芸能人のパパラッチみたいだね」といい、画面をスクロールして他の写真にも目を通す。
 「全然かわいく写ってない!撮り直してもらおうよ」といい、スマホを僕に返してきた。
 「いや、いいよ」とわざと素っ気なく返事をしてスマホをポケットに戻す。
 脳内がワンナイトラブの単語で埋め尽くされる。ドラマとかでみたことがあるシチュエーションが、まさか自分にも訪れるとは思ってもいなかった。酔いはとっくに醒めていた。

 「ねぇ、早く行こうよ」と僕を引っ張る。
 「行くってどこに?」と僕はとぼけた。
 「わかってるくせにー」とニヤッと笑い、僕の耳元に口を近づけて「ホテルだよ」と囁いた。
 「あ、や、けど俺もうお金ないよ」と動揺しまくって情けない声で情けないことを発した。

 こういうときに男らしくリードできない自分に嫌気が差す。スマートにホテルに行こうかって誘えないのかよと早くも脳内で反省会を開催しかけた。

 「何動揺してんの!」と肘で僕の脇腹を突いてきた。 「私が払うから大丈夫!お姉さんだもん。それに…」と言って言葉を切る。

 「私が君と過ごしたいだけだから気にしなくていいんだよ」

 
 3月といえど夜はまだ肌寒い。特に今日は。確か夕方みたニュースで冬日だと言っていた。
 今置かれている状況に頭が追いついていかないため、そんなことを考えていたらホテルに着いていた。

 「そういや君明日は予定あるの?」と服を脱ぎながら聞いてくる。彼女の白い肌が徐々にあらわになっていく。黒の下着が彼女の魅力をより際立てている。
 国試の合格発表があるが、ネットで簡単に確認できるため、「いや、特には…」と答えた。
「私もバイトは夕方からだからゆっくりできるね!」といって抱きついてきた。唇と唇が触れ合ったらもう言葉は必要なかった。試合開始のゴングが鳴ったかのように、僕らは求めあった。


「私が君と過ごしたいだけだから気にしなくていいんだよ」

 彼女から言われた言葉を思い出していた。本心ではないのはわかっている。バーを出るときに、すれ違った数人の男性客に「また別の男かよ」「今日はこいつか」と言われていた。今日はたまたま僕が選ばれただけだ。

 隣でスマホをいじっていた彼女は、ハァーと深くため息をついてスマホを乱暴に置いた。
 人は皆、大なり小なり地獄を抱えながら生きている。彼女はどんな地獄を抱えてるのか知りたくなった。「どうかしたの?彼氏?」と声をかけた。
 「彼氏と思ってた人。だけど向こうは遊びだったみたい…」
 灯りは消して真っ暗だが、どんな顔をしているのか予想できた。
 「バカだよね。2番目だってわかってるのに、彼からメッセージが来るだけで一喜一憂しちゃってさ」
 気の利いたことが思いつかず、相槌を打つだけだった。それを誤魔化そうと彼女をそっと抱きしめた。

 「ごめんね、ホントは君じゃなくてもよかったんだ…。淋しさを紛らわせれば誰でも」

 「そんなことはわかってたよ。俺も好きな子いるし」と強がった。別に彼女のことを好きになったわけではない。だけど直接君じゃなくてもよかったと言われるとプライドが傷ついた。そんなもの要らないのに。
 「その子とは上手くいってるの?」
 上手くいってるならこういうことはしていないと思ったが言葉にはしなかった。
 「その子といるときが1番リラックスできたんだ。だけど就職で来月から東京に行くから、多分告白はしないかな」

 その子から一緒に東京で働こうよと誘われた日のことを思い出した。僕は変に理由をつけてその誘いを断ってしまった。
 彼女はいつの間にか眠っていた。スー、スーと寝息をたてて気持ちよさそうに眠っているからどけることはできなかった。
 もし、なんてないけど、あのとき素直になれていたらとあの子のことを考えていた。

 
 「ねぇ、スマホ鳴ってるよ。さっきも鳴ってたから大事なやつじゃない?」
 右半身に彼女の温もりと重さを感じる。特に右腕が指先までピリピリと痺れている。
 「重かったよね、ごめんね」といい、起き上がってスマホを僕に渡した。

 ありがとうといい、左手で震えるスマホを受け取る。画面には知らない番号が表示されている。画面をスワイプして「…はい」と応答する。

 「私X病院の総務の者ですが、館脇様のお電話でお間違いないでしょうか?」と丁寧な口調で聞いてくる。
 彼女の言う通り大事な電話だった。眠気が一気に吹き飛び、ベッドで正座になり「そうです」と返事をした。まさか総務の人は入社予定の新人がパンツ一丁で電話に出てるとは思ってもいないだろう。
 彼女が口を抑えて震えているのが目の端に映る。僕の態度の変わりそうと間抜けな格好が面白かったのだろう。
 「今入社予定の人全員に確認してるんだけど…」と言って言葉を切った。
 「国家試験どうだったかなと。面接でお伝えしたように国家試験に不合格だと…」
 「あ、国家試験!」と思わず声を上げてしまい、会話を遮ってしまった。
 総務の人に国家試験の結果を確認後折り返し連絡することを伝えて電話を切った。

 スマホにいくつか通知が来ていて、友人たちが合格したことを知る。自分は大丈夫だろうか…と恐る恐る結果を確認する。

 「どうしたの?国家試験って?」と背中越しに彼女が聞いてくる。
 「…受かった!4月から俺看護師だ!」と彼女のほうを振り向き、結果を報告する。
 「えっ、君看護師になるの!すごーい!おめでとう!」といい、抱きついてきた。
 「ありがとう。だけど自信ないんだよね、俺」と弱音を吐いた。
 「大丈夫だよ」と言って僕をさらにギュッと抱きしめてきた。
 「私色んな男の人と寝たけど、一晩中腕枕してくれた人は君が初めてだよ」

 「君は優しいから看護師に向いてるよ。多分だけどね」

 僕が欲していた言葉をくれたことが嬉しくてキスをした。そして僕らは再び交わった。
 

 「私ここのスーパーでバイトしてるんだ。今度買い物に来てよ」
 てっきりバイトって夜の仕事かと思っていたから驚いた。しかも家の近所のスーパーだった。
 彼女はホテル代だけでなくタクシー代まで払ってくれた。合格お祝いだよといって。

 「行かないよ」
 これ以上お互いの人生に干渉しないほうがいいとなんとなく思った。
 「ふふっ、そう言うと思った。じゃあお姉さんから1つアドバイスしてあげる」といって僕の目を見てくる。
 「もう少し素直になったほうがいいよ。ホントは優しいのに損してるよ」

 「君じゃなくてもよかったって言ったの訂正させて。君でよかったよ」
 
 たった一晩の関係で顔も名前も覚えていない。街ですれ違っても気がつかない自信がある。だけど彼女が投げかけてくれた言葉は今でも鮮明に覚えている。
 あの子の恋は成就したのだろうか。未だ僕の隣りに、ヒロインはいない。

 

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