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自己理解noteを書いて3年。コントロールできるようになっても毎日大変。

自分を知ることとは、「自分の疲れ具合」「情緒で行動しない」「自分の好きなものを理屈で理解する」この三つが主軸になり、相互関係を持っているとわかった。

それでも、

寝付きの悪い夜は、1人反省会が止まらないし。
仕事以外での予定があいるのはあんまり好きじゃない。
今、今日の今、友達いとご飯一緒に食べたいなと突発的な衝動は止まらない。

これらも度合いはとても少なくなったからいい成果だ。

海外留学から帰ってきて、まだ攻めの大勢で海外戻るぞ!なんてしてたけど、日々の仕事の多忙さ疲労にあっという間に日が過ぎる。

日本にいて一番嫌いだった、こんなあっという間に時が過ぎるなら、家族とか結婚とかしたいな、なんて気持ちも前よりよくわかる気がする。

メディアは相変わらず、消費を促し、生活している場所でフラット35で家を買い、それが幸せですと言わんばかりの洗脳だな〜と思いながらテレビ見ている。

仕事が安定的(3ヶ月)以上入るようになり、これからも依頼受けそうだと安心して、家族からマンスリーではあるけど離れるとずっと痛かった、胃の出口あたりの痛みと逆流性食道炎のような症状がなくなった。

残念なことに、「胃の出口あたりの痛みと逆流性食道炎のような症状」は家族だったのかとびっくりしている。ま、未成年の時から突然、親の癇癪の都合で家を出て行けとなっていいて、よく友人の家に追い出されていた(迷惑だったろうな、でも他に助けがなかったな)。結局、それが一番の私にとって精神的虐待で、ついでにいうと養育費問題で私から学ぶ機会を奪ったも、それはそれとして一生懸命前向きに生きたようだが、そんなに美しいものではなく、結果、私の選択はなにもかも気に入らない。ずるい、甘えだ。と否定されるだけだと今わかった。

うわー本当に救われない人生だけど、自分で生きていければ、ま、いっか。

これらの件で、人は自分の過ちについては謝るが、その原因は、自分をそうさせたなにか(この場合は、私の存在、私の人生)と問題をすり替えるということがよくわかった。

たしかに社会では、そうゆうものに出会った時に、距離をとる、離れる、縁を切るができるとけど、家族だとそうは行かない。

家族の主語はなんなのか、それでも親の人生なのか、子供なのか、子供の自立なのか、子供の成長なのか、そういったものの主題を共有化して見つめていく作業なのだろう。お互いが潰れないように守り合いながら、ともに歩んでいく。

自分も冒頭に書いたように、三つ巴のバランスを毎日調整している。それでも不安な夜は来る。前よりかは全然楽だけど、その隣にいる彼氏は私の精神安定剤というだけでは配慮が足りない。彼も彼の人生を歩むひとりなのだから。

そうゆうことを誰かに言われて知るではなく、自分の人生から自分の言葉で紡ぐことで、私の目の前に起こるいろいろなことに自分が自分の人生に責任を持って生きていく。胸を張って生きていけるとなるのだろう。


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