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「かっこいい」を真剣に考える
「かっこいい」という言葉は、誰でも意味を知っている言葉で、幼稚園生でも日常的に使う形容詞の一つだと思います。
日本人であれば誰もが使いこなせている「かっこいい」という表現ですが、具体的に「どのような様子の」「誰を」示すのかと言われると、定義がとても難しい言葉です。
田中圭も山Pも、風早くんも(君に届け)、大坂なおみもBLACKPINKもかっこいい。
どれも正解だし、正解ではないかもしれない。
さらに彼らに明確な共通点はありません。
「かっこいい人」は人によって違うのです。
では、「かっこよさ」を感じる瞬間はいつだったのか。
テレビドラマの1シーン、漫画の1コマ、雑誌のインタビューで放った言葉、SNSで発信された名言…
何かしら「かっこいい」と感じたキッカケがあるはずです。
そのキッカケを思い起こしてみると、自分との何かしらの共通点を持ちつつ、自分の延長線上にいる理想像こそが「かっこいい」存在なのだと気づきます。
つまり、誰をかっこいいと思うか、そのものが一人一人の個性になります。
そうは言っても、「かっこいい」は他人に論理的に説明できる感覚ではありません。
「だって、あのシーンドキドキするじゃん…」
「あのライブ、痺れるじゃん…」
としか表現できない。
「かっこいい」と強烈に自覚する瞬間は、生理的に痺れるような体感があったとき。その体感は論理的に説明できません。
ロック音楽やダンス、イケメン俳優・キャラクターまで、「かっこいい」はエンタメと不可分な感覚ですが、商業的に「かっこいい」を誘導するのはかなり難しい。
「かっこいい」人をただ目前にする体験だけでは不十分で、その痺れる感覚を体感してもらわないといけない。
提供側が作ったストーリーに乗せるだけで簡単に誘導できる感覚ではありません。
しかし「かっこいい」の力は絶大で、エンタメを生業とする者としては、できれば再現性を持たせたい。
それには、どんなものが、多くの人々の理想の延長線上に置かれやすいのかをもっともっと言語化する必要があるのだと思います。
なぜなら、「かっこいい」は自分の理想の延長線上にあるのだから。
そう、だからわたしは臆せず、「かっこいい」を言語化し続けようと思います。