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他人を許せなくなる理由

このコロナ禍で、一時期SNSを見ることが辛くなった。
前回の読書めもに続き、今回は「他人の行動を律して、監視するもの」「正義を振りかざす主張」の気持ち悪さの正体について考えてみたく、本を読んでみました。


SNSで古くからある許さない感情が見える化されました。
SNS普及以前は、自分と異なる考えを持つ人に対して「許せない」と思っても、それを伝える範囲には限りがありました。
誰かに口頭で愚痴を言うか、本人に直接言うか。または文章で綴ったとしても、それが届く範囲はだいたい限られています。

しかし、インターネットそしてSNSを使えば、簡単に自分の気持ちを多くの人に伝えることができます。
時には自身が意図しない範囲まで届き、それが反発や共感になって大きなうねりになるのかもしれません。

インターネットはその構造上、は同質な人からの情報が得られやすいので、集団意識や同調圧力を感じさせられやすいのです。
そして今回のような非常事態だとますます、同調圧力が強く表れるのでしょう。

しかし、人間は一貫性を保てないようになっている。
ある時Aと主張しても、次の日にはBというかも知れないし、矛盾した2の要素を好むことだってあります。
にもかかわらず、一貫性を保たなければならない、と無意識に思っていて、それが人々の反発を生む要因になっているのでしょう。

だからこそ、一貫して同じ考えを持つのは難しく、多様性を常に受け入れ続けるしか平和への道はありません。
結局は多様性を面白がれるか、バイアスの影響をなるべく受けず、なるべく客観的に自分の頭で考えられるかだと思う。

わたしが感じていた気持ち悪さは、それが正義かどうかではなく、自分の頭で考えず決めつけることや同調圧力をかけることだったのかもしれません。

自身がその状態になることを防ぐには、とにかく自分にとって新しいモノやコト、人に触れ続けること。
多様な考えがあるということを意識し続け、他人とある意味距離を置きつづけ同化してしまわないことだな、と思いました。

そして加えて、人の考えや感情を司るのは、脳の構造よりも社会的要因が強そうと感じました。