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旭川のミュージアムに行こう!

1つの都市のミュージアムを集中的に巡る



何年か前、北海道旅行で旭川に泊まることになり、ジンギスカン料理店の大黒屋に予約しようとした。だが、午後4時の来店しか予約を受け付けておらず、1軒目で刺身や魚料理を食べて、7時半に大黒屋に駆け付けた。

すでに大勢の人が集まっており、なんと「今日の予約受付は終了しました」と告げられ、結局、食べることができなかった。

その後、大手出版社の畏友、K氏と会ったとき、羊料理の話題になった。K氏は羊肉を使った料理が好物で、ジンギスカンを食べるために、わざわざ旭川の大黒屋に行くという。

それを聞いて、ますます大黒屋に行きたい思いが強くなった。

私は中学3年生から高校を卒業するまで帯広に住んでいたので、ジンギスカンには馴染みがあり、リンゴやタマネギを擦ったタレに漬け込んで、自ら付けダレも作って食べていたほど。

高校時代も学校近くの原っぱで、クラスメートとジンギスカンを食べた想い出がある。高校は、歌手の中島みゆき、吉田美和、アナウンサーの安住紳一郎などが卒業した帯広柏葉高校。

旭川のジンギスカンへの思いを断ち切れないでいたが、名案を思い付いた。ジンギスカンを食べること、ミュージアムを巡ることを両立させればいいのでは、と。

私はこれまで同じ場所に3日~5日ほど滞在して、集中的にミュージアムを巡る旅をしてきた。

札幌、函館、盛岡、仙台、下田、軽井沢、新潟、松本、金沢、名古屋、京都、奈良、大阪、神戸、広島、高知、長崎などを回っている。

リベンジのため旭川に!

旭川は上川アイヌ(北海道上川地方を拠点としていたアイヌの人々)が住み、軍都、彫刻の街、デザインの街と呼ばれてきただけに、ミュージアムが多い。

三浦綾子、井上靖などの文学館、屯田兵、旧陸軍第七だいしち師団関連の資料館などがある。

2024年1月に実写映画『ゴールデンカムイ』が公開されたが、これは2014年~2022年に週刊ヤングジャンプに連載された野田さとる原作の人気漫画を映画化したもの。

明治末期の北海道を舞台に、不死身の元陸軍兵、杉元佐一とアイヌの少女アシリパが、アイヌから奪われた金塊の行方を追う物語で、旭川が登場することで、旭川は今、注目を集めている。

ゴールデンカムイの作中にも登場する陸軍第七師団の駐屯地が旭川であり、作中には北鎮ほくちん記念館や神居古潭かむいこたん、旧旭川偕行社(陸軍の上官の社交場。現在は中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館となっている)などが登場する。

都市ごとにミュージアムを紹介する第1弾として、旭川のミュージアムを取り上げたい。

旭川市を囲むように上川郡が広がっており、クルマで30分ほどで行けるエリアのミュージアムをピックアップした。

旭川旅行初日の午後6時半頃、大黒屋に着いた。20人ほどの受付客がいたが、向いの待合室で、じっくりその時を待つことにした。

待望のジンギスカンに有り付けたが、生ラムの肩ロースなど、柔らかくて美味であった。ハーブ、塩、コショウが絶妙なバランスのスパイスも、味に変化を付けてくれる。

ジンギスカンとビールを堪能し、精力的にミュージアムを巡るエネルギーをもらった。

旭川市博物館


北海道旭川市神楽3条7丁目 大雪クリスタルホール内
0166-69-2004
休館日 10月~5月 第2月曜日 第4月曜日(祝日の場合は翌日) 6月~9月は無休 年末年始  
9:00~17:00(入館は16:30まで) 350円 旭川市科学館サイパルとの共通券530円(博物館と科学館を別の日に利用することも可能)

「アイヌの歴史と文化に出会う」をテーマとする総合博物館で、1993(平成5)年に開館。2008(平成20)年にアイヌ文化を中心とした展示にリニュアルしている。

ルーツは1968(昭和43年)に開設された「旭川市郷土博物館」で、旧旭川偕行社(現在は中原悌二郎記念彫刻美術館)にあった。

1階展示室では「先住の民アイヌの歴史と文化」について紹介し、アイヌ関連資料を展示し、北海道、樺太からふと、中国東北部との関わり、アイヌの実態を分かりやすく解説。

復元したアイヌの家(チセ)、サケの皮で作った靴、本州の人々との交易によって手に入れた漆器類、屯田兵の住居などもあり、当時の生活の一端を知ることができる。

東北、北海道にいたアイヌが樺太、中国東北部まで勢力を伸ばし、モンゴル帝国との長期の戦いを繰り広げた歴史や、その後のロシアとの交易の様子なども紹介。

地下1階フロアでは「厳寒を生きぬく動植物と人」「北国の自然と人間のかかわり」をテーマに自然、遺跡、出土品、人文系の資料を展示し、旭川とその周辺の地質、地形、気候、生態系、石器時代の生活などが分かるように展示している。

川村カ子トアイヌ記念館


北海道旭川市北門町11   
0166-51-2461
休館日 5月〜11月は無休 12月〜4月は火曜日休館 
9:00~17:00 7月~8月は9:00~18:00   800円 

1916(大正5)年、上川アイヌの首長、川村イタキシロマが自宅を公開する形で「アイヌ文化博物館」を開設。日本最古で、100年を超え、唯一の私設のアイヌ資料館だ。

1890(明治23)年に旭川で開拓が始まり、コタンと呼ばれたアイヌの集落は、時代を経て、都市へと激変。イタキシロマが博物館を始めた背景には、1896(明治29)年、屯田兵を母体に旭川に軍隊が設置されたことにより、和人が急増。

集落への見学者が多かったこと、先祖伝来の暮らしを禁止され、困窮を極めたアイヌコタンの暮らしに向けられる眼差しの大半は冷ややかだったため、アイヌの文化をきちんと伝えたい想いからだった。

1964年にアイヌ文化博物館が火事で全焼し、イタキシロマの長男、川村カ子トかねとが測量の仕事で得た資金を投じて拡充し、「川村カ子トアイヌ記念館」として発展させた。2023年に同じ敷地内に記念館を新設し、2階建てのミュージアムとなった。

アイヌ民族の文化の正しい伝承を目的とし、アイヌの文化や習慣を伝える生活用具や衣装などの資料を数多く展示している。

カ子トは日本国有鉄道の測量技師として多くの業績を残しており、測量技師時代の測量機材や資料も公開。宗谷本線、根室本線をはじめ、鉄道施設の測量の先頭に立ち、北海道に敷設された鉄道の測量の大半に、カ子トをリーダーとするチームが関与。

JRの飯田線(愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ鉄道)の前身となる路線を運営していた三信鉄道に請われ、天竜峡と三河川合間の測量などにも携わっている。

記念館には、近文ちかぶみアイヌの彫刻家、砂澤ビッキの木彫の作品も収蔵。この他、1階から2階までの吹き抜けに、フクロウのトーテムポールが展示されている。

砂澤ビッキは木彫を始めて、鎌倉に移住し、阿寒と鎌倉を製作の拠点としていたが、旭川に戻り、中川郡の音威子府おといねっぷ村にアトリエを構えて製作。

近文コタン(旭川市緑町15付近)は、1887(明治20)年、北海道庁初代長官の岩村通俊がアイヌの保護をうたい、旭川村と鷹栖たかす村の間に位置する地域に、永山、当麻たいま比布ぴっぷなどに点在していたコタン(集落)をまとめる政策を打ち出し、各地のアイヌ約50戸が近文に移住して集落を形成していた。

記念館の屋外には、クマザサをいたアイヌの伝統家屋チセ(アイヌ語で家の意味)があり、儀式や踊りを演じるイベントも行われる。

ムックル(口琴と呼ばれるアイヌの楽器)の制作、ムックルの演奏、ししゅう、切り紙、アイヌ料理作りなどの体験プログラムも用意されている(事前予約制)。

アイヌ文化の森 伝承のコタン

 
北海道上川郡鷹栖町嵐山 嵐山公園センター内
0166-55-9779 
休館日 第2・第4月曜日(祝日の場合は翌日、4月下旬~10月15日は無休) 年末年始
9:00~17:00(入館は16:30まで) 無料

旭川市北部の広大な自然公園「嵐山」の園内に、アイヌ文化の保存と伝承のためアイヌのコタン(集落の意)を復元したミュージアムがある。

旭川市博物館の分館に位置付けられる「アイヌ文化の森 伝承のコタン」には、実際にアイヌの人々が住んでいた「チセ」(住居)や「プー」(食料庫)、「セッ」(くまの檻)などが復元され、自然と一体となった当時の暮らし、コタン(集落)の様子を知ることができる。

アイヌの人々の建物がこの場所に復元されたのは、上川アイヌの人々が嵐山を「聖なる地」としていることや、コタンを川筋に営んでいたことに基づいている。

屋根、壁はクマザサ葺きで、使用するササは一冬越したものを採取するなど、材料を吟味し、夏の暑さ、冬の寒さといった厳しい自然から身を守っていた。ササ葺き作業は女性が主役で、男性はササの運び役を担っていた。

北海道立旭川美術館

  
北海道旭川市常磐公園内 
0166-25-2577
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日) 年末年始
9:30~17:00(入館は16:30まで) 常設展は260円 企画展は料金が異なる

北海道立旭川美術館は、旭川市民いこいの場である常磐公園内に1982(昭和57)年に開館。道北地域の美術文化の拠点として、地域ゆかりの美術から国内外の美術まで、多彩な展覧会を開催し、地域に根ざしたさまざまな普及活動を行っている。

森林資源に恵まれ、家具・木工産業なども盛んな地域であることから、国内外の作家による木彫、木工芸、椅子など、木の造形作品を積極的に収集。

道北地域ゆかりの優れた作家の絵画、版画、彫刻、工芸作品などを多数収蔵し、テーマに応じて企画展で公開している。

北海道リモート・ミュージアムの「北海道立旭川美術館」で、収蔵作品を検索できる。

北海道立近代美術館(札幌市)、北海道立三好好太郎美術館(札幌市)、北海道立旭川美術館、北海道立帯広美術館、北海道立釧路美術館、北海道立函館美術館の所蔵作品のデータベースから、キーワードや作家一覧から所蔵作品の検索が可能だ。

「北海道立旭川美術館開館40周年 開催展紹介」などの動画で、過去の企画展を紹介している。

旭川市科学館サイパル 


北海道旭川市宮前1条3丁目3-32
0166-31-3186
休館日 月曜日(祝日の場合は翌平日) 7月23日~8月25日まで無休 毎月末の平日(7月と3月の該当日は開館) 年末年始
9:30~17:00(入館は16:30まで) お盆期間中は20:00まで開館(入館は19:30まで) 
410円 常設展示室と旭川市博物館常設展は530円(博物館と科学館を別の日に利用することも可)

科学について楽しく体験して学べる科学館。「北国」「地球」「宇宙」をテーマにした展示スペース、実験や研究に利用できる各種実験室や、天体や天文に関する知識を学べるプラネタリウムや天文台、3D映像を楽しめるサイエンスシアターなどがある。

北国特有の気象や自然現象を解き明かす「北国コーナー」では、雪の結晶の変化を観察でき、低温実験室では激寒期の旭川の気温、マイナス30度の中で実験を行う。

無重力状態を疑似体験できる「宇宙ゴマ」や、人工知能搭載のロボットと対戦する「ロボットサッカー」など、子どもだけでなく大人も楽しみながら学べる。

テック・ラボでは3Dプリンターやレーザー加工機などのデジタル工作機や工具を供えており、ものづくりに挑戦できる。

敷地内には、鳥や昆虫などが観察できる自然観察空間が設けられ、近隣の神楽岡公園や忠別川河畔林など、豊かな自然に囲まれ、伸び伸びとした空間でさまざまな科学に親しめる。

旭川文学資料館


北海道旭川市常磐公園1971-5 旭川市常磐館内
0166-22-3334
休館日 月曜日 日曜日 祝日 年末年始
10:00~17:00 500円

旭川市文学資料館は、旭川市民の憩いの場として親しまれている常磐公園内にある常磐館(旧青少年科学館)の中にあり、旭川市が管理し、ボランティア団体、旭川文学資料友の会が運営している。

2009(平成21)年に開館し、旭川ゆかりの作家と足跡、旭川新聞社で記者をしていた詩人で画家の小熊秀雄を記念した「小熊秀雄賞」の歴代受賞者の紹介、旭川文学の流れなどを解説し、作品や関連する品々を展示。

旭川ゆかりの作家では、三浦綾子、井上靖の他、両親が旭川出身で、本籍を旭川市に置いていた安部公房、『煙蟲えんちゅう』『紙の裏』『しばれ』で芥川賞候補、『怪談』で直木賞候補となった木野工きの たくみ、旭川文学学校を創始し、『存在の文学』『安部公房論』『井上光晴論』などを書いた高野斗志美たかの としみなどを、遺品や写真とともに紹介する。

『アイヌ神謡集』を出版したアイヌ女性の知里幸恵ちり ゆきえは登別に生まれたが、6歳のとき伯母のもとに引き取られ、旭川で育った。

幸恵が15歳のとき、言語学者の金田一京助が幸恵の家を訪れて、幸恵の祖母たちが暗唱していたアイヌ伝統のカムイユカラ(神々の叙事詩、神謡)を、金田一は熱心に聞き取り記録していた。

その姿を見て、アイヌ伝統文化への尊敬の念を感じた幸恵は、カムイユカラをアイヌ語から日本語に翻訳する作業を決意する。翻訳は東京・本郷の金田一宅で進められ、完成した日の夜、幸恵は心臓発作のため亡くなった。19年という短い生涯だった。

『アイヌ神謡集』は翌1923(大正12)年に、民俗学者の柳田國男が編集していた『炉辺叢書』の一冊として出版された。旭川文学資料館では、知里幸恵を旭川ゆかりの作家として紹介。

創作・評論、俳句、短歌、川柳、児童文学、学校文芸に分類して、作家や作品を解説し、企画展では「豆本の世界」「山岳文学の系譜」「旭川ゆかりの漫画家」などのテーマで、年に数回開催している。

「旭川ゆかりの文学者」を、以下のサイトで紹介している。

三浦綾子記念文学館


北海道旭川市神楽7条8-2-15
0166-69-2626
休館日 月曜日(祝日の場合も休館) 7月~8月は無休 年末年始
9:00~17:00(入館は16:30まで) 700円 
https://www.hyouten.com/
1922(大正11)年に旭川市で生まれた三浦綾子は、朝日新聞社が1964年に始めた1000万円懸賞小説に応募し、『氷点』が入選してデビュー。その後も『塩狩峠』『道ありき』『泥流地帯』『母』『銃口』など数多く小説、エッセイなどを発表し、一躍有名作家の仲間入りを果たした。

代表作である『氷点』はテレビ、映画、舞台など多くのメディアで取り上げられ、ドラマは何度もリメイクされるなど、現在でも人気は衰えていない。

若い頃から患っていた病や新たに発症した病気と闘いながら、人間への限りない関心と優れた観察力を持ち、「人はどう行きるか」を問いかけて作品を発表。

単著本は84作品に上り、100冊以上の本を世に送り出すなど、精力的な執筆活動を続けていたが、1999(平成11)年に77歳でこの世を去った。

「三浦綾子記念文学館」は『氷点』の舞台となった外国樹種見本林の入り口に静かにたたずみ、三浦綾子が亡くなる前年の1998年に開館。

市民による「民営」の文学館で、「ひかりと愛といのち」をテーマに、三浦綾子に関する文学資料4万点強を収集保存。文化遺産として後世に継承し、業績と作品、作品が生まれた時代背景などを分かりやすく紹介している。

2018(平成30)年に「口述筆記の書斎」が分館に再現され、綾子が口述し、夫の光世が筆記し、綾子が推敲する執筆スタイルを紹介。

「口述筆記の書斎」の実際に綾子と光世が執筆していた机で、口述筆記を体験できるプログラムが用意され、見るだけではなく、体感できる文学館を目指す。予約不要で、体験は無料(入館料のみ必要)。

「三浦綾子記念文学館と外国樹種見本林」は2018年に「北海道遺産」に認定された。

石狩峠記念館 

      
北海道上川郡和寒町字塩狩543
0165-32-4088
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 12月~3月(冬期間2月28日のみ特別開館)
2月28日は小説「塩狩峠」のモデルとなった長野政雄が、逆走する客車を自らの身を投じて止め、多くの乗客の命を救い殉職した命日に当たる。
10:00~16:30 4月〜9月   
10:00~15:30 10月~11月  300円  

三浦綾子の代表作『塩狩峠』の舞台となった地に、旭川市内にあった三浦綾子と夫、光世の旧宅を移築、復元して1999年に開館したミュージアム。

建物は、1961(昭和36)年に建てられた店舗(雑貨店)兼用の住宅で、三浦夫妻は1971年までこの新居で暮らし、「三浦商店」を営んでいた。その間、1964年に朝日新聞社の1000万円懸賞小説に『氷点』が入選し、小説家となった。

作家専業になって、雑貨店は閉業し、新たな住宅を建てた。旧宅は、現旭川めぐみキリスト教会に伝道所として寄贈され、後に牧師館として使用。

老朽化により1993年に解体されたが、周囲からの保存を望む声に三浦が同意し、資材は保管されていた。

石狩峠記念館の2階に、小説『氷点』や『塩狩峠』『道ありき』などを執筆した部屋が再現され、小説や映画化された「塩狩峠」に関する資料、塩狩峠で犠牲の死を遂げた長野政雄、三浦作品にまつわる資料などを展示。

復元のため、三浦夫妻から生活用品などの寄贈を受け、昭和30年代に夫妻が執筆活動をしていた生活空間が再現できた。1階に雑貨店が再現され、開館した当時に購入して並べた駄菓子が、現在もそのまま展示されている。

三浦綾子が亡くなる半年前にオープンした記念館の開館式に三浦夫妻は訪れており、記念写真も撮っている。

旧宅と多目的ホールとの間に「作家三浦綾子の歩み」を紹介するパネルと綾子の全著書が並べられ、三浦文学誕生当時の夫妻の有り様や人柄に触れることができる。

井上靖記念館

  
北海道旭川市春光5条7丁目5-41
0166-51-1188
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 7~8月は無休 年末年始
9:00~17:00(入館は16:30まで) 300円 井上靖記念館・彫刻美術館共通券は600円

井上靖が旭川で生まれたことを記念して、逝去して2年後の1993(平成5)年に開館した。『闘牛』『氷壁』『しろばんば』などの作品を発表した井上靖の83年の生涯を紹介するミュージアムとなっている。

自筆の取材ノート、直筆原稿、愛蔵品など、貴重な資料を展示。国内外から多くの客人を招いた応接間や数々の名作が生み出された書斎を、東京・世田谷の旧井上靖邸から移転し、執筆机、約2200冊の蔵書、辞書類、趣味で収集していた美術品などが並んでいる。

井上靖は旧陸軍第七師団の軍医の子として1907(明治40)年に旭川で生まれ、約1年で旭川を離れたが、母やえが語る旭川の美しさに、「私は誰よりも恵まれた出生を持っていると思った」と生誕の地・旭川への思いを記している。

父親が任地に赴くため、母の郷里、静岡県の湯ヶ島で育ち、沼津中学校を卒業後、金沢の第四高等学校(現・金沢大学)に入学。九州帝国大学に入学するも退学し、京都帝国大学を卒業し、大阪毎日新聞社で記者となった。

1950(昭和25)年、『闘牛』で芥川賞を受賞し、その後も歴史小説『天平の甍』『敦煌』『楼蘭』『おろしや国酔夢譚』などを発表。1976年には文化勲章を受章するなど、日本を代表する作家で、1991(平成3)年に他界。

井上靖は、講演のため生誕の地、旭川を1955年、1962年、1979年と3度訪れ、1990年には井上靖文学碑の除幕式や旭川市開基100年記念式典に出席するため、4日間旭川に滞在した。亡くなる前年のことだ。

井上靖記念館は、中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(旧旭川偕行社)に隣接して建てられている。

井上靖に関するミュージアムは全国にあり、静岡県駿東郡には「長泉町井上靖文学館」、鳥取県米子市には「山陰伯耆国 米子アジア博物館・井上靖記念館」、鳥取県日野郡日南町には「井上靖記念館 野分の館」がある。
岩手県北上市にある「日本現代詩歌文学館」や滋賀県長浜市の「長浜市立高月図書館」には「井上靖記念室」が設置されている。

中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館 

  
北海道旭川市春光5条7丁目5-35
0166-46-6277
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 7月及び8月は無休 年末年始
9:00~17:00(入館は16:30まで) 450円 彫刻美術館・井上靖記念館共通券600円

中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館は、旭川で育った彫刻家、中原悌二郎の作品を中心に、中原に大きな影響を与えたオーギュスト・ロダン、荻原守衛、中原とともに太平洋画会研究所で学んだ堀進二らの作品が所蔵されている。

作品数は屋内、屋外を合わせると300作品を超えており、旭川が「彫刻のまち」として知られるようになった原点となったのが中原悌二郎。その作品12点を展示。

「中原悌二郎と旭川の彫刻」というタイトルの映像で、旭川の市内に設置されている彫刻を紹介。旭川市の野外彫刻は約100基ある。

「彫刻界の芥川賞」とも呼ばれる中原悌二郎賞の受賞者の作品も数多く並び、第1回受賞者の木内克きのうち よしの作品は、野外彫刻を含め80点以上を旭川市彫刻美術館が所有し、「彫刻のまち旭川」のコレクションの中核を占める作品群となっている。

2階展示室の「中原悌二郎と中原賞の作家たち」では、悌二郎の作品、悌二郎に大きな影響を与えたロダンや荻原守衛らの作品の他、近代彫刻のブロンズ作品、さまざまな素材による現代彫刻など、多彩な作品を公開。

中原悌二郎賞は、旭川市が1970(昭和45)年に創設した賞で、「国内で発表された日本人作家の彫刻作品のうち、最も優れた作品」を選考して授与される。

32歳で没した中原悌二郎の最後の作品が「平櫛田中ひらくし でんちゅう像」。友人であった彫刻家、平櫛田中は中原を「日本彫塑界の夜明けを開いた偉大な天才」と称賛している。

旭川市彫刻美術館の建物は、旧陸軍第七師団が旭川に設営されたとき、将校の社交場として1902(明治35)年に建設された「旭川偕行社」だったもの。1968(昭和43)年から24年間、旭川市立旭川郷土博物館として利用されていた。

白亜の建物は1989(平成元)年に国の重要文化財の指定を受け、1994年から旭川市彫刻美術館として活用されている。

旭川デザインセンター(ADC)ミュージアム

 
北海道旭川市永山2条 10-1-35
0166-48-4135
休館日 火曜日(祝日は開館) お盆 年末年始
10:00~17:00  無料

旭川市は、ユネスコの創造都市ネットワークにデザイン分野で2019年に加盟認定を受けた。ユネスコ・デザイン都市は国内では神戸市、名古屋市、旭川市の3つ。

旭川デザインセンター(ADC)は「産業観光拠点」となっており、2023年4月にオープン。旭川家具の歴史や、ものづくりについて紹介するミュージアムがあり、ギャラリーや体験工房も併設。

デザイン、インテリア、ライフスタイルなどを提案し、発信する企画展やコレクション展、ワークショップなどを1年を通して開催している。

旭川デザインセンターには、旭川家具とクラフトが一堂に集結し、約1000坪の広大な空間に約30のメーカーが常設ブースを設け、約1200点の旭川家具とクラフトを展示、販売している。

一生ものの家具から、旭川観光のお土産にぴったりの木工アイテム、ギフトまで、豊富な木工品を取り揃えている。

旭川は「家具の5大産地」の1つ。500年近い歴史を持つ大川市(福岡県)、徳川家光が静岡浅間せんげん神社を本格的に造営した際、全国から集められた漆工や指物師、彫刻師などの職人が駿府に定住した静岡市、飛騨家具の名で知られる高山市(岐阜県)、備後キリを使用したタンスで有名な府中市(広島県)、そして、北海道開拓や軍都の住宅、家具需要から発展した旭川市である。

阿波藩の大名だった蜂須賀家が水軍基地を造り、船大工を住まわせたことがルーツで、明治以降、鏡台、針箱、仏壇などの製造が盛んだった徳島市を加えて、6大家具の産地と呼ぶこともある。

旭川に木工産業が生まれて1世紀が経ち、日本有数の木製家具産地として発展する中、「国際家具デザインコンペティション旭川(IFDA)」を開催。
1990年に始まり、3年に一度のトリエンナーレとして継続開催され、2024年の開催で12回を数える。

回を追うごとに世界の知恵と感性が集積し、これまでの応募総数は世界77カ国・地域から9433点に及び、うち50点以上が旭川家具として製品化され、国内外に流通している。

旭川デザインセンターには、国際家具デザインコンペティション旭川の受賞作品や歴代受賞者の家具が並ぶ。

旭川デザインセンターのミュージアム、ラボ、ギャラリー、コレクションは以下のURLを参照。

旭川兵村記念館  


北海道旭川市東旭川南1条6-3-26
0166-36-2323
休館日 火曜日 11月~4月中旬
9:30~16:30 500円

人跡未踏の地であった蝦夷地は、新天地を切り拓く意味でも、南下政策を進めるロシアからの防衛という観点からも、開拓と防衛は一刻も早く推進しなければいけない課題だった。

明治新政府は、蝦夷地を1869(明治2)年に「北海道」と名付け、1874(明治7)年に「屯田兵制度」を施行した。

翌1875年から札幌周辺を中心に屯田兵村が誕生し、全道に37カ所の屯田兵村(26町村)を設置。

旭川兵村記念館は、クマザサが生い茂り、密林だった旭川屯田兵村と、その東に位置する当麻とうま屯田兵村の開墾で工夫発明された農機具、生活用具、品種改良した種子、記録類などの資料を展示している。

屯田兵とは、明治時代、北海道の警備と開拓に当たった兵士とその部隊で、旭川では1875年から入植が始まり、厳寒の地、旭川(今の東旭川)の開拓を行った。

先人たちの苦労、開拓に対する熱い魂を後世に伝えようと、1982(昭和57)年、兵村が置かれた東旭川地区の人々が中心となって、東旭川の中心部に「旭川兵村記念館」を建てた。記念館の近くには、旭川神社があり、大鳥居が建つ。

旭川兵村記念館には、当時生活に使われていた屯田兵屋が復元され、居間の囲炉裏には24時間薪を絶やさず、煙で蛾などの虫が入ってこないように工夫されている。

実際に使われていたランプ、深靴ふかぐつ、のこぎりなどの生活用品、農機具、屯田兵の血と汗の記録が綴られている『旭川兵村中隊記録』『屯田物語原画綴』(旭川市指定文化財)などの記録や遺品も公開。

旭川の屯田兵村の父と言われた末武安次郎が1905(明治38)年に考案した「たこ足」という水稲直播器は広い水田に、等間隔で籾を効率的に直播きする農具で、稲作の生産性を高め、北海道の各所に普及した。
籾を擦る農機具を馬力によって回転させる馬廻うままわし動力機も開発され、先人たちの知恵の品々や、「ゲロリ」と呼ばれた下駄スケートなど、北国ならではの生活用品も展示されている。

北鎮記念館


北海道旭川市春光町国有無番地 陸上自衛隊旭川駐屯地隣り
0166-51-611
休館日 月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始
9:00~17:00 夏季(4月~10月)
9:30~16:00 冬季(11月~3月) 無料

https://www.mod.go.jp/gsdf/nae/2d/hokutin2/top.html

江戸時代末期、南下政策を推し進めるロシアからの防衛上、新天地の開発上、蝦夷地は防衛と開拓を同時に進めなればいけない重要なエリアだった。

蝦夷地を1869(明治2)年に「北海道」と名付けた明治新政府は、開拓使次官の黒田清隆の発案で1874(明治7)年に「屯田兵制度」を実施。
翌年から札幌周辺を中心に屯田兵村が誕生し、全道に拡げられ、37カ所の屯田兵村(26町村)が設置された。

屯田兵は、明治時代、北海道の警備と開拓に当たった兵士たちで、旭川でも1875年から入植が始まり、旭川(今の東旭川)の開拓を推進。

屯田兵を母体に、旭川に軍隊が1896(明治29)年に設置され、3年後には約4万人の兵員と家族が定住し、軍都、旭川が誕生する。

急激な人口の増加は新たな産業を生み出し、家具が必要となり、現在では、家具の街、デザインの街として知られる。その原点となったのが旭川に駐留する旧陸軍の第七師団だった。

北鎮ほくちん記念館は、かつて軍都として栄えたころの旭川をしのばせる屯田兵と第七師団、さらに戦後新たに配備された陸上自衛隊第二師団に関する資料が展示されている。

2007(平成19)年に、国道40号線沿いの入館しやすい場所にリニューアルオープンし、国道を挟んだ向かいに鎮座するのが北海道護国神社。

北鎮記念館は、1875年からの屯田兵による開拓時代の資料、1896年から1945(昭和20)年までの50年間、旭川に設置されていた旧陸軍第七師団の歩みを紹介し、アザラシの皮のスキー、屯田兵の生活用具、屯田兵屋のミミチュア、軍服、村田銃、三十年式歩兵銃、銃剣などを展示。

日本でスキーを指導したオーストラリア人の軍人レルヒ中佐は旭川で、旧第7師団の将校や民間人に近代スキー技術を直接伝えており、レルヒ関連の展示品も多い。

第二次大戦中に活躍した旭川出身の加藤建夫「加藤隼戦闘隊長」(飛行第64戦隊)に関する資料など、旭川ゆかりのパイロットも紹介。北海道の開拓と防衛の歴史、生活用品、武器に接しながら、旭川の変遷が感じられる。

2014年~2022年に週刊ヤングジャンプに連載された野田さとる原作の人気漫画『ゴールデンカムイ』に第七師団、北鎮記念館が登場し、2024年1月に実写映画『ゴールデンカムイ』が公開されたこともあって、
北鎮記念館は人気のスポットとなっている。

ミュージアムショップでは『ゴールデンカムイ』に関する記念品も販売され、コスプレコーナーでは制服を着て写真が撮れる。

男山酒造り資料館


北海道旭川市永山2条7-1-33 
0166-47-7080
休館日 年末年始
9:00~17:00(入館は16:30まで) 無料 酒蔵開放(2月第2日曜日)は10:00~15:00 

350年の歴史を持つ清酒「男山」の歩みや、日本の伝統産業、酒造りの技術と文化を伝える資料舘。江戸時代の酒造りの道具、酒器、関連する文献などを展示し、仕込みの時期には酒造りの現場を見学できる。

清酒「男山」は「御免酒」と呼ばれる江戸幕府の官用酒で、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵にも描かれるほどの人気を誇った。江戸時代、伊丹(兵庫県)の地で「木綿屋」の屋号を掲げて酒造りを行っていた山本三右衛門が男山八幡宮の名を取って生み出した酒を継承し、北海道の旭川で造り続けている。

男山八幡宮は、京都府八幡市にある石清水八幡宮の旧称。平安時代前期の貞観年間に、宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請かんじょう(神仏の分身や分霊を他の場所に移して祭ること)した神社で、京都の南南西にある男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座されたことから、男山八幡宮と命名された。

男山株式会社の前身、山崎酒造は1887(明治20)年に北海道で創業。さらに良い酒を造りたいとの想いで1968(昭和43)年、「木綿屋」本家の山本家より「男山」を正統継承し、北海道の自然の恵みを生かした酒造りで、名酒の味を守り続けている。

男山酒造り資料館3階フロアは、昔の酒造りの桶や作業目的に応じて工夫された道具などを展示し、日本酒の製造工程と男山の歴史をVTRで紹介。日本語、英語、中国語、韓国語、タイ語の5ヶ国語に対応。

2階では「浮世絵が語る酒造りの歴史」を紹介。喜多川歌麿の「名取酒六家選」、歌川国芳の「誠忠義臣名々鏡」などの浮世絵の中に、男山の文字や樽が描かれている。葛飾北斎の掛軸、山本家から受け継いだ「酒造り秘法の古文書」なども公開している。

喜多川歌麿の浮世絵の「色刷り」が完成するまでの22回の制作工程が分かる順序摺じゅんじょずりを22枚のパネルで解説。浮世絵の刷りの伝統技術の素晴らしさを実感できる。

1階は「季節限定」や「資料舘限定」など男山の試飲コーナー、売店となっている。「延命長寿の水」と呼ばれている男山の仕込水を無料で開放し、日本百名山の1つ、大雪山の伏流水を1人20リットルまで持ち帰れる。開放時間は9時~17時。

『おいしい日本酒はどうやってできるの?』というパンフレットでは精米、洗米、蒸米、麹造り、もと(蒸米、麹、水に酵母菌を混ぜたもの)仕込み、もろみ仕込み、しぼり、火入れなどの工程が分かりやすく説明されている。

鷹栖町郷土資料館


北海道上川郡鷹栖町南1条1丁目 1-1-19
0166-87-3028(鷹栖町教育委員会)
休館日 日曜日~火曜日 年末年始
10:00~18:00 4月~9月
10:00~16:00 10月~3月   無料

https://www.town.takasu.hokkaido.jp/kurashi/shisetsu/etc_shisetsu/kyoudo_shiryoukan.html

北海道有数の良質な米の産地である鷹栖たかすの農業に関する資料を公開。1978(昭和53)年に開館し、明治以来の開拓当時の苦労が伝わってくる品々が並び、農業を中心に発達してきた町の農業に関する資料、水稲作業に使用した機具や、生活資料を展示。

上川最古の石碑「国見の碑」のジオラマ、馬による耕作が行われていた時代の馬具、装蹄所も復元され、当時の様子を伝える。

大正時代の中流農家の住宅を再現し、開村から30年後の建物は粗末で、暖房は囲炉裏しかなく、氷点下の気温に堪え忍んでいた人々の生活が伺える。
昔の消防設備やまとい、ラジオ、映写機、カメラ、レコードなどの懐かしい生活用具、1万年前の人々が使用していた石器、チョウやトンボなどの「郷土の標本」もある。

鷹栖中学校で美術教諭をし、現役時代から切り絵を制作していた伊藤長治の切り絵は人気で、旭川の俳句結社が発行する月刊誌「樹氷」の表紙や北海道新聞にも連載し、切り絵集も出版。

切り絵を始めた当初、伊藤はアルフォンス・ミュシャ、グスタフ・クリムト、サンドロ・ボッティチェリなどの名画を下絵に、モノクロ作品を制作していたが、グラフィックデザインが好きだったこともあり、着色にこだわり独自の世界を生み出した。

★西川徹郎文學館 休館中


北海道旭川市7条通8丁目38-10(7条緑道)
0166-25-8700
休館日 月曜日 火曜日 水曜日(祝日の場合は開館) 10月~5月(冬季休館)
11:00~17:00 500円

西川徹郎は現代俳句作家で、詩人、歌人、エッセイスト、文藝評論家、真宗学者としても活躍している。北海道の中部(道央地方)に位置する芦別市の淨土眞宗本願寺派の正信寺に生まれた。

中学1年から俳句、詩歌を作り、1974(昭和49)年、第1句集『無灯艦隊』を出版。思想家の吉本隆明が「天才詩人」と評す。

1984年、『銀河系つうしん』を創刊し、定型文語俳句の季語季題を排して、口語で書く「17文字の世界藝術」を提唱し、「実存俳句の創始者」となる。

戦後日本を代表する思想家、吉本隆明は2篇の西川徹郎論を執筆し、『吉本隆明全集』には、この2篇の西川論と西川徹郎に宛てた私信などが収蔵されている。

講談社学術文庫『現代の俳句』には、近現代の代表的作家の1人として、河東碧梧桐、種田山頭火、中村草田男、加藤楸邨らと共に、西川の作品が収蔵されている。

西川徹郞の少年の日のゆかりの地、大雪山系を北に望む北都、旭川の市街地に、北海道唯一の詩歌文学館「西川徹郞文學館」が2007(平成19)年に開館。

3年間で書下ろした9017句を収載した第14句集『幻想詩篇 天使の悪夢九千句』を刊行。本書で書籍発表数は2万3000句を越え、江戸期の小林一茶、近代の高浜虚子、種田山頭火を超え「日本文学史上最多発表作家」となった。

作家の森村誠一が2009年、西川徹郎文學館を訪れた際、文學館が建つ七条緑道を「青春の緑道」と命名。それを記念して、文學館前の緑道に、「西川徹郎・森村誠一〈青春の緑道〉記念文學碑」が建立されている。

*「旭川のミュージアムに行こう!」と題して、ミュージアムを紹介しましたが、漏れているミュージアムがあればご連絡いただければ幸いです。

*記事を転載する場合は、以下のURLを記載してください。
「旭川のミュージアムに行こう!」
https://note.com/mzypzy189/n/n830bb14e5d85

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