見出し画像

病院に行く意味を考える。

「病院なんか行ったって、意味ないな」
たまに、そんなことを思う。

先生は別にカウンセラーではないし、たまに物好きなたくさん話を聞いてアドバイスを聞いてくれる先生もいるけれど、基本は症状とか困り事を聞いて、お薬の処方をして、の繰り返し。
たまに先生より私の方が的確に自分の状態を理解できていて、私の問いに先生が答えられないこともある。

私は自分のことが嫌いだから、変わりたいと思う。自分のことが好きになれる人は羨ましい。私はどんな自分であっても、自分のことが嫌いだから認められない。好きになれない。
良くなっても、変わっても、好きな自分にはなれない。なれないのに、自分を好きになれる自分になることを目指している。どれだけやったって、頑張って、変わったって、好きな自分にはなれない。

私は自分を分析するのも、他者を分析するのも好き。どれだけ考えても理解できないことを理解したい。自分じゃない人の考えを知りたい。
特に好きな人の考えている、生きている世界に興味がある。自分が思う自分って、自分の価値観だけじゃ曲げられないから、他者に影響されたい。

先生の考えてることに興味なんてない。たまに絵に描いた善人みたいな、聖人みたいな、私が大阪時代通い詰めていた、私を救ってくれた先生もいるけれど、基本的にあの人たちはお金をいただくから、仕事だから、話を聞くし、アドバイスをするんだよ。
たまに「誰だってあるよ」「そういうもんだよ」って言ってくる先生も居るけど、私は嫌いです。その答えは何の解決にもなっていないし、困ってるから相談してるわけで、その気持ちとか思いを緩和する方法が知りたいんだよ。

今の先生は、私が大好きな信頼しているカウンセラーみたいな先生ではないけど、処方するお薬の説明は丁寧にしてくれるし、「誰だってそうだよ」とか「そういうこともあるよ」とか馬鹿みたいなことを言わないし、もらったお薬は症状によく効く。そういう意味では信頼しているから通っている。
現に、私がカウンセリングを受けるか迷っていたら「うちの心理士じゃどうにもならないと思う」って言ってくれた。変に正直で、取り敢えずで受けさせないところに好感を持った。

全然、自慢でも何でもないけど、私って真面目なんだよ。
問題があれば根本的に解決したいと思うし、病院に行って症状が良くなれば自分自身も変わりたいと思うし、現状に甘えるんじゃなくて、現状を利用して自分を良くしたい。
結局、頑張らずに生きることなんて無理なんだな。

嫌なことを気にして悩む自分と、自分にとって都合の良いことしか見聞きしない自分だったら、私はどっちが好きなんだろう。
なりたい自分は後者なんだけど、きっと後者である自分を、私は許せないんだと思う。
私は私で生きていくしかない。
けど、自分のことを認められない。

自分にも他人にも優しく生きたいな。

昔はもらった薬を、「もう治った!」と思って勝手に止めたりしていた。本当に良くなかったと今でも思うけど、説明もなしに薬を処方するだけの先生、あなた方は許しません。
生まれ持った病気、そこから派生した病気、簡単に治らないんだなって今は分かる。分かるから、お酒も止めて、薬を毎日飲んでいる。

自分を自分として認める為に、自分が自分として生きていく為に、病院に行くんだと思う。薬を飲むんだと思う。
問題は山積みで、病院に行って解決しても次の週になれば違う問題が出るし、病院に行っても解決しないこともある。
それでも自分のことを好きになれない自分は、認められない自分は、拘りの強い自分はどうしたって変わりたくて、病院に行くしかないんだな。
ただ、諦められないだけ。

でも、それでいい。きっと大丈夫。
自分で認められなくっても、認めてくれる人が居さえすれば、それだけで。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?