何故今村上春樹を読むべきなのか? ─ 本を読まない人達へ


はじめに

これを読んでいるほとんどの人は、村上春樹という人物の名前くらいは知っているのではないだろうか。「ああ、ノーベル文学賞候補だった人ね」「ノルウェイの森の人だよね」
書き出しを見て、そんなことを思ったかもしれない。
もちろんの事、村上春樹はとても有名であり、人気である。いくつかの小説は映画化すらされている。しかし、私が中学高校と過ごしてきた肌感覚として、あまり読まれていない、つまり知名度の割には読んでいる人が少ないのではないか?という考えがある。そして今回は、本を普段良く読むような人ではなく、あまり読まない人に向けて、村上春樹を読んで欲しいという思いからこの文章を書いている。そしてこれを読み終わった時、「ちょっと村上春樹を読んでみようかな」なんて思っていただけたなら幸いである。

1.本を読むことは1種のステータスになる

まず第一に理由として上げるのは、「村上春樹を読んでいる」ということがステータスになりうるということだ。
日常の会話で誰かと話す時、共通の話題が見つからない、などということは無いだろうか。また、複数人で雑談などしていて、一瞬会話が途切れた時(これを西洋では「天使が通った」などと形容する)、仕切り直したいが誰が何をどこから話せば良いものか分からなくなったことは?
そんな時、「村上春樹を読んでいる」ということから話を続ければ、会話も持つし、本を読まない相手ならばちょっとした尊敬の念すら自分に対して持たせることができうる。
そして、趣味を聞かれた際に馬鹿正直に「ソーシャルゲーム」なんかを答えるよりも、そう答えた方が「この人趣味いいのかな」とも思ってくれる可能性が高く、目上の人に対しても答えやすい。こういう時、そこそこ名の知れた小説家ならなんでもいい!とは私は思わない。例えば太宰の代表作をあげる時、「走れメロス」ならまだ明るいから良いが、「斜陽」や「人間失格」なんてあげようものなら相手にくらい印象を与えかねない。その点でも村上春樹はぴったりではなかろうか、と考える次第である。

2.読みやすいということ、それはシンプルかつ大きな利点である

村上春樹の文章は読みやすい。あっさり、と形容できるような文章だ。(この文章とは対照的かもしれない)
国語、そして現代文の授業で難解な小説や論説文に頭をひねっていた(いる)皆さんも、そこまで苦に思わず読み進められるように思える。
そしてもう一つ、彼の小説は短編が多い。これもまた皆さんにとって良い点のひとつである。長い小説を読むと、集中が切れ、頭がぼうっとし、3分の1程度で投げ出したことは?短編であればそのようなことはそうそう起こりえず、また、「この話読んだから明日はこの話」と言った感じで、わざわざ前回読んだところの内容を明瞭に脳内に呼び出す必要は無いのだ。
少し話は変わるが、彼の小説にはたびたび少し変わった喩えが登場する。こういうものに注意して読むことでいっそう読書体験を楽しめ、またそれは豊かになるだろう。実際に小説で出てきたもので、私が気に入っているものをひとつ、ご紹介しよう。
「特殊な飢餓とは何か?僕はそれをひとつの映像としてここに提示することができる。①僕は小さなボートに乗って静かな洋上に浮かんでいる。②下を見下ろすと、水の中に海底火山の頂上が見える。③海面とその頂上のあいだにはそれほどの距離はないように見えるが、しかし正確なところはわからない。④何故なら水が透明すぎて距離感がつかめないからだ。」(小説「パン屋再襲撃」より)
ここだけ読んでも意味不明なので、パン屋再襲撃のあらすじも紹介しよう。
主人公は28か9の男で、結婚したばかり。そして深夜にも関わらず酷い空腹に襲われて眠れない。家には食べ物はほとんどない。そして主人公は10年前にパン屋を襲おうとして首尾よく行かなかったことを思い出し、その空腹はそのせいだと考える。そしてその因縁を断ち切る為、パン屋を襲撃しようとするが……
というのが大まかなあらすじである。これを踏まえた上で先の喩えを見ると、少しはわかるのでは無いだろうか。
これはほんの一例で、他にも面白いと感じられるようなものは沢山ある。この表現能力も村上春樹を人気たらしめている理由のひとつであるように思える。

3.「本を読むこと」そのものの効用


ついに最後になるが、もうこれは小説を読むことと言うより、本を読むことに関する話になるのをご容赦願いたい。
 我々は普段、情報の氾濫するインターネットにどっぷりと頭まで浸かって暮らしている。そしてそんな生活を続けていくと、どうしても「考えずに受け入れられる情報」の中毒になるのだと私は考える。 
そしてその最たる例は小中学校に通う児童の読解力の低下であり、TwitterやLINEに代表されるような短文の応酬により成り立つインスタントなコミュニケーションであり、耳目を集めるようなショッキングなタイトルのネット記事であると思う。
 そんなサブリミナル的に情報を取り入れる生活は最早現代人である以上仕方がないと思うが、だからといって自身の頭を働かせて文章を読む、という時間の大切さが失われたわけではない(寧ろ増してさえいる)。だからこそ、今本を読むべきであり、その一助になるようこの文章を書いている。 
 それでは、これでこの文章を終わろうと思う。
 ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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