見出し画像

本を出したい女の話17

金木犀が香る頃、私はひどく落ち込んでいた。人生を満喫してる私でも落ち込む事はあるのだ。人間関係、急なトラブル、仕事の見直し。ステージアップの時がきていた。そんな中、もう何もかも投げ出したくなって訪れたロサンゼルス。サンタモニカの海を眺めながら、よくやってきたよ私。駆け抜けたね。もう肩の力を抜いて生きて良いよ。と優しい感情に包まれた。今まで張り詰めていた何かが切れたと同時に、もう1人では限界だとも思った。それは決してネガティブな意味ではなく、更に幸福を増大させるために誰かと生きる必要があると。そしてなんとなく、今後人生を共に生きるパートナーがそろそろ来るのではないかと根拠のない予感もしていた。

その1ヶ月後、本当に現れたのだ。
私の人生を変える運命の人が。

もう信頼関係の作り方も、率先して自ら与える愛も学んだ。新しい縁を見つけよう。友達でも仕事でも趣味でもなんでもいい、そこから広がる何かがあるかもしれない!と親指ひとつで出会うか出会わないかを決められるアプリの中でも最もフランクなマッチングアプリをインストールした。
縁とか言葉の力とかそんな見えないものを今までも確実に在ると思って生きてきたからこそ、私は証明したかったのかもしれない、出会う時はどんな形であろうと最高のタイミングで出会うと。

私にアクションをしてくれた人がいた。
距離130km。いや、どこだよ。と思わず突っ込んだが、短い文章から伝わってくる温かさになんだか惹かれて私は返事をすることにした。

メッセージのやりとりをする中でも私はその人の言葉の紡ぎ方がすごく好きで。電話をしても、実際に会ってもその印象は変わらず、生まれた土地も趣味も年齢も好きな音楽も映画も知れば知るほど違うのに、ああもうこの人の心が好きだ。嘘がなくて真っ直ぐでなんて愛のある人なんだろうと思うのにそう時間はかからなかった。私がこの人生で結婚するならこの人だ。と自然に思った。
パズルのピースがピタッとハマるかのように交際が始まったのである。

運命の人。
いつからこの言葉を心の奥底で信じ始めたのだろう。小さな頃読んでもらった童話か、学生の時に見たドラマか、いつか私にピタッと合う人がいるんじゃないかって大声では言えないけどずーっと胸に秘めて生きてきた。世界を旅したのも上京したのも、もしかしたら自分の目で確かめたかったからかもしれない。
"運命の人"という単語に心躍る女性は他にもいると思う。もしかしたら今から話す事は耳が痛いかもしれない。ちょっとした絶望をするかもしれない。それでも、聴いてもらえるだろうか。

私が思う運命の人とは、価値観も好みも一致してひたすら幸せに暮らせる相手のことではなく、自分の人生をがらりと変えるだけの力を持っている人のこと。私のを良い方向へとんでくれる人だ。自分のアイデンティティを変えてまでもこの人と一緒にいたいと思う気持ち、どうかこの人の生きる世界が優しい世界であってほしいと願う気持ち、できることなら来世でも出逢いたいと祈りたくなるほどの愛おしさを抱く反面で、炙り出される己のエゴ、弱さ、執着、期待。
その葛藤の狭間で、自分とも相手とも向き合いお互いに足りない部分を補い合っていける人を運命の人というのではないだろうか。まあ、あくまで私の持論だけれど。

1人での限界を感じ、共に生きる人を求めた矢先導かれるように彼と出逢ってしまった。悲しいかな、そうして彼女は運命の人と出会い、幸せに暮らしましたとさ♪ちゃんちゃん♪とはさせてくれないのだ。この出会いがのちに私の価値観を、生きる世界さえもがらりと変えるだなんて。これだから人生は面白い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?