小沢健二 '24ツアー Monochromatiqueと大星湯のこと(その1)
小沢健二は東京だ。
「いやいや、神奈川出身じゃん」
などという声は無視する。
田中義剛は東北出身だが、北海道代表みたいな顔をしている。そういうことだ(そういうことではない)。
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小沢くんがなぜ東京なのか。
理由は無茶苦茶に単純で、彼の書く歌詞には東京が溢れている。
原宿、港区、日比谷公園、東京タワー、下北沢・珉亭、教会通り、公園通り。
他にもいっぱいある。
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小沢くんの歌う東京はカジュアルだ。
「日常を描いたら当然に舞台は東京となりました」
くらいのことに思える。
そして、多分だけれど、小沢くんは東京が大好きだ。
岸田繁の歌う東京、吉幾三の歌う東京、長渕剛の歌う東京。いずれも「特別な場所」として描かれている。カジュアルではない。
対して小沢くんの東京では、君がいないと嘆いたり、ベコを飼ったり、バカヤローなどと理不尽に罵ったりしない。
尤も「特別な」東京だって、素敵ではある。
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小沢くんの東京は、月が綺麗で、ご飯が炊かれ麺が茹でられ、光が溢れる。日常と言わずしてなんと言おう。
だから、北海道の人間をはじめとした非都民が(あるいは都民も)、東京で彼を拝み、歌を聴くことには、とても意味がある。
大阪で食う大阪王将が一味違うのと同じことである。もちろん大阪で大阪王将を食ったことはない。
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武道館だったかガーデンシアターだったか、彼のライブ後、同行した友人が
「いやー、今日は東京だったね、私たち」
と呟いたのは、バカバカしかったけれど、本質的だった。
彼女は北海道で生まれ育ち、当時も今も北関東に暮らしている。私は北海道で生まれ育ち、当時も今も北海道に暮らしている。
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もちろん自分の暮らす地に小沢くんがやって来るとなれば
「おらが村にオザケンが来るっぺよ!」
と舞い踊り、餅を撒き、山車を引いて村中を駆け回るだろう。
でも、幾らかのお金と時間を使って東京へ赴き、彼の歌を聴くことには、とても意味がある。おらが村には来ないし。
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そんなわけで、小沢健二 '24ツアーMonochromatique(東京初日)へ。
今回も先ほどの彼女が、湘南新宿ラインだか高崎線だかで北関東からやってきた。
「エモい」の使い方が合っているのか自信はないが、大した問題ではない。残業は大変だった。
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光と雨が溢れる公園通りを進み、初めてのNHKホール。
毎年欠かさず観ているとかではないが
「ここで紅白やってるんだな」
という感慨があった。
本木雅弘が首にコンドームを巻き、加山雄三が「仮面ライダー!」と言い放ち、三山さんがけん玉に挑戦した、あのNHKホールである。
あまり観てないのに割と詳しいなとは我ながら思う。
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閑話休題。
ライブレポートみたいなことは性に合わないので書かないが、その夜の私たちも東京だった。
アンコールに入ると小沢くんは
「公園通りを歩いて帰ろう!」
「公園通り!溢れる光!」
というようなこといっていた(ような気がする)。
小沢くんは、自分のことも僕らのことも、ちゃんとわかっているのだ。
それも含めて、ハチャメチャに最高な150分だった。
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今度は渋谷駅に向かって公園通りを進み、北関東へ帰る友人を見送った。誰もみな手をふっては、しばし別れるのだ。
喜びと悲しみが訪ねる中、ホテルへ戻った。
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優しい小沢くんは
「ここは座ってください」
「この曲は立ちたい人もいると思うので、どうぞ」
という具合だったので、ずっと立ちっぱなしではなかったものの、足腰は相当にダメージを受けていた。
右隣にいらした小沢ガチ勢おネエさんの激しいダンスに釣られ、動き過ぎたのがよくなかった。
「ラブリー」演奏時、
「世界に向かってハローなんつって手を振る」
のところで激しく手を振っていた前々列の紳士(仕事帰りとおぼしきスーツ。恐らく単独参加)に乗せられ、動き過ぎたのもよくなかった。
要するに、みんな最高だった。
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銭湯だ。
溜まりつつある乳酸を吹き飛ばしながら、夢のような150分を反芻するために、ここは銭湯だ。
しかし、ド平日の22時過ぎに営業している銭湯が、都合よく宿の近辺にあったかというと、あったのである。さすが東京。
続く。
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