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日本凋落:ホントの理由はなんですか?

人口減や様々な理由で「日本はもうダメだ」「どうしてこうなった」というニュースや動画がたくさん作られていますが、なるほどと思いつつも浅い感じでモヤモヤしたので、最近読んだ本などを踏まえて整理してみました

要点は:

  • 失敗の手前にあった大成功の分析がされていない

  • 大成功の前には大失敗があった

  • 過去分析がされないまま工業からサービス業へ

  • 外圧の影響と経済縮小

  • 解決の糸口

です。


動画で見る日本のリーダーの無責任

こちらの動画では日本を沈没船に例えています。

8分くらいから、日本の失われた30年はどうして?

賢い成田氏の思惑通り、色々喋っちゃった感のある動画で興味深く視聴しました。

1990年から急に日本人がメンタリティ変わった説を披露。そんなばかなw

↓が日本の抱える、現代の重病です

政治家のトークを見てもアイデアなし、他人事の批評だけ。これが日本の現実です。公正取引委員会をはじめ税金で運営される行政を改良指導して市民に尽くす責任が理解されていないようです。
リーダーなのにこれじゃ困るんですが。。。戦前からの製造業のお陰で政治家利権を形成してきたので、投げやりなのもまあしょうがないのかもですね。

少し前までは失われた20年!と言っていたのがいつの間にか30年。現実を直視しなかったので修正もできなかったのでしょう。

ちなみに、わたしはこの修正ができない理由は、その前の成功についてもきちんと分析できていないからだと思っています。

日本の成功、2つ秘密

日本の戦後の大きな成長は2つに分けられ、戦後〜1970までの「後進国」高度成長期と、1970~1990までの「先進国(中進国)」成長期と見ることが出来るかと思います。
多くの場合、メディアが言う日本の成長の話はこの前期の後進国型の成長期のことだと思いますが、TVなどではざっくり同じ話にするので話が不毛になりがちです。

1990年からの「没落」はその前の「成功」があったからなのですが、「成功」に対して『日本はすごかった』と分析をしないために「なぜこんなに駄目に」と感情論になっているに過ぎないと考えています。

日本が大成長した理由は

  1.  巨額の戦争予算で人材蓄積が膨大だった 

  2. 後進国➡先進国の人口・インフラボーナス 

没落の原因は1の貯金がなくなり、2が終わり、更に世界のルールがかわりました。

没落した理由は

  1. 人材投資を十分しなかった(教育改革含む)

  2. 人口ボーナスが終わる前に対策出来なかった (少子化まっしぐら)

  3. ほかの政策も弱かった(海外言いなり、など)

  4. 2世、3世時代に入り弱くなった(先進国病)

ではないでしょうか。アメリカは世界で独走を続けていながらも常に海外から人材を呼び込むことに貪欲で、人材を取られる側の欧州も人材育成や出生率向上、失業中の再教育で人材マッチングの改善なども早くから取り組んでいますし、移民政策も行い年金補填と連動していたりします。

産業革命前から世界の最先端を走るイギリスは、工業衰退や先進国病も世界に先駆けて経験、持ち家政策を早くから推し進め移民が借りることで年金となる社会構造があることがわかる名著です。高いので図書館でぜひ!

人口が巨大な中国も現在は留学生取り込みに必死で、海外とだけではなく国内で各都市が競争しています。

3,4についてはどの国も課題としては同じでしょうが、保守的な国民性から後に解説する重篤な国民病を生み出しています。(後述)

PIXARの初期の技術は大学の研究に与えられた軍事予算によるとも言われています。
インターネットも元は軍事予算による研究ですが..。

戦争のための巨大な人材投資

日本では情緒的な理由でTVなどで戦前戦後の話と現在を分離して、全く別のコンテンツ扱いしていますが、これが自分たちの現実を正しく認識できなくしている1つの理由かと思います。市民を焚き付けて戦争へ向かわせたのが朝日や読売といった大手新聞メディアだったことを考えれば、忘れたい過去なので仕方のないことかもしれません。

1970年までの大成長の理由には、戦争で破壊されリセットされた"先進国”だったヨーロッパ諸国の没落と、冷戦構造でアジアに陣営を作りたいのアメリカの思惑など、日本が他のプレーヤーとさほど戦わずにものを売りまくれる環境があったことがあるでしょう。 
戦前までは世界のほとんどは何かしら欧米の利権の下にあり、多くの地域では国ですら無い「植民地」でした。

教科書とかで昔見たような

そんな欧米の天下で日本は戦前からグイグイ生産・輸出を増やし睨まれることに。
これを戦後にまた繰り返し、80年代にはジャパンバッシングに発展。日本企業を排斥せよ、といった大騒ぎになってしまいました。
最近だとこれは中国へ矛先が向いていますが、まあ大きい国は自分勝手です。

日本は戦争終結までにとてつもない規模で兵器開発と生産をしていました。
中でも最先端産業の航空機では、戦中には10社以上の航空機メーカーが増え4年足らずの戦時中に製造された航空機は7万機。
国を上げて生産増強と専門家育成をする中、軍艦や様々な研究にも軍票・国債がばらまかれ、国中の資源が投入されていました。

多くの方がなくなりましたが、その過程で生き残った人々に悲惨な経験を含む大きな投資がされていた現実は「現在ではありえない程の規模や重責で人材育成がなされた」また生き残った人たちの悲惨な現実によるハングリーさは現在では想像も及びません。強制的に一億人が超ハングリーモードにされてしまったのです。

プラザ合意に至る伏線?

日露戦争では外国に借金をしてその後世界恐慌などがあってもひたすら富国強兵、生産拡大に邁進していますが、欧米の思惑もあってのことでしょう。
↓は借金が悪いようなタイトルですが、人間に投資をした部分は後で帰ってきているので悪いこととは言い切れません。経済の本質は人間の活動価値なので、モノや金が残っても人が駄目ならすぐに衰退します。

戦中の人材投資の効果は1970年代まで

1950年から1970年代までは非常に元気でしたが世界からの借金と投資で進んだ復興経済や近隣の戦争などの特需も終わり、最初のボーナスタイムがおわります。その時期を襲ったのがオイルショックでしょうか。

戦前の投資に加えて大きかったのが人口ボーナス。戦争で多くの人が亡くなった後のベビーブームで、まだロボット産業がない「人間による工場生産」が企業の必須のパワーだった時代に潤沢な労働者がいました。多くは農業から都市へ労働移転する層で、その後中国やベトナムで同じことが進んでいます。

この時に主戦力だった人々は工場労働やイケイケドンドンの時代の人たちなでバブル経済を作り、また破綻させたでしょう。工業や国家事業の延長の経済で、イノベーション・破壊的創造による成功経験ではありません。この主流の人たちが選ぶ政治家がその後、日本の未来を暗いものにした事は疑いの余地がありません。


日本の産業が成功して貿易摩擦が激しくなるとアメリカは1975年以降に様々な通商法を通して一方的な制裁が増えてきます。

貿易摩擦の歴史

後期の成長期

1970〜1990年代は車やバイクメーカーにつづき、エレクトロニクス産業からさらにゲーム産業も生まれ、日本のハイテクが世界を席巻して後期の経済成長期になりました。日本はこの点で同じく復興したヨーロッパの先進国を凌駕し世界で2位の経済大国にまで上り詰めました。
しかし1985年のプラザ合意からの剛力による腰折れで、人材投資どころか、政治的要因での事業の縮小に直面します。

1985年のプラザ合意で「日本の対米貿易黒字の削減」を約束させられジャパンバッシングによる日本製品不買運動などを経て、1990年から停滞期に入ります。

動画の「寄りかかり」現象はプラザ合意が転換点になっていると思います。 当初の護送船団は世界で再び商売するために官民協力し、外資と摩擦をできるだけ避けるための知恵だったと思います。しかし時代は変わります。

アメリカに厳しいルール変更を飲まされた日本政府は、当然ながらこれまで奮闘して外貨を稼ぎまくってきた日本企業とその労働者に対して面目がありません。納税者の『一体どうしてくれるんだ?』に対して、助成金など様々な飴を与えて誤魔化してきた結果なのではないでしょうか。
経済成長後に順次目標や体制を変化させるリーダーが出なかったことでダメでも維持!を貫く既得権ムラだらけになったのでしょう。

成長の源泉、1990年には枯渇

「先進国へのキャッチアップがほぼ終了し、第1の源泉が涸渇した1990年には、1955年に就業者の36%であった農業就業者の比率が6.5%となり、第2の源泉も枯渇していた。」

アメリカの圧力が最高潮になる1990年ごろに農業からの人口移転も限界に達し潤沢な労働者による安くて良い製品を大量生産が終りを迎えます。
この頃から対中直接投資(FDI)が増え始め、企業の進出がはじまります。

日露戦争債務の返済とプラザ合意

日本は日露戦争の戦費調達のため1億ポンドが必要だったと言われ、高橋是清が奔走してロンドン、そしてニューヨークのユダヤ資本に日本国債を売り資金調達をしました。 大国ロシアを新興国の小さなアジアの国である日本が負かす、というのは絵空事なので高金利、そして巨額を借り入れました。

戦費調達時の日本の台所は、国家予算3億円に満たないのに軍費に6億円を消費するなど無理をしたため、インフレにもなり増税は100%にもなったそうです。しかしそれでも足りず国家予算の60倍の負債を積み上げて日露戦争に突入します。(市民生活はかなり困窮したはずで、不満ストレスを作り出し、戦争で爆発させる典型的なマッチポンプだったでしょう。)

日本はその後太平洋戦争で敗北し破産したのかと思ったら1982年まで返済し、これを完済しています。 完済まで70年以上かかっていますので、元金の3倍以上は支払っているでしょう。アメリカはこの回収のため、戦後補償よりも優先して支払われるように各国に圧力をかけていたと言います。
日本が戦争責任の清算が出来きず(よって過去の反省もできず)、いつまでも棚上げにせざるを得なかった理由はここにあるようです。

1980年代が様々なターニングポイントになった背景には、債務の回収を待って貿易黒字が大きくなった日本への締め付けを厳しくした米国財界の思惑もありそうです。
対米外交のため、日本が戦争、戦後の清算ができずにいつまでもダラダラと戦中マインドを引きずった結果、様々な分析ができない体質になり今に至った、というのが大きな原因として見えてきます。

明治から太平洋戦争に至るまで、今考えると不条理に見えるようなこともたくさんありますが、実際には様々な難しい状況があったようです。その一つは日本人の民度。
 明治になっても人口の大半は精神・経済ともに自立のない小作人で教育も底辺。その延長、太平洋戦争前夜の日本は大変な格差社会で農家の長男以外は食い扶持を求めて街へ出て丁稚奉公的な身分になったり、野麦峠的な工場労働者であったり、お手伝いさんであったりただ日々を食いつなぐだけの一方で、大会社の社員や役人は高級市民でお手伝いさんがいるのが普通だったそうです。わたしの実家も祖母の代はお手伝いさんが数人いたそうで、実際そうだったのでしょう。 
知識や教育の機会が無い大多数と、資本の近くにいる人達の差は広がるばかりで、日本は不満や憎悪がうずまきつつ、限られた資源のやりくりで難しい局面が続いていたのは間違いないでしょう。歴史は学ぶもので批判のためではないんだな、と調べるごとに現実の難しさを感じました。


戦後経済の後継者を作れなかった日本

1990年以降、海外での伸びを封じられ、労働力がありやすい中国・韓国にの工場建設が進み経済の縮小期に入った日本で起きたのは「ゆるいパイの奪い合い」。これを象徴しているのがこの「値下げに走る」現象でしょう。

急激に豊かになったものの、人の育成が追いつかずイノベーションどころか大昔の経済学と労働集約的な考え方が残ってしまいました。

フロンティアを開拓せず、既存のプレーヤーの保存を考えた時には競争経済から19世紀までの収奪的な経済に逆戻りします。 既存の経済からより多くを取り立て、支出を減らすしか新たな利益を生み出せません。
また政治家や官僚がすでにある産業とつながる「既得権」が更にイノベーションを阻みます。


収奪的な経済で起きること

固定された業界でのパイの奪い合いは悲惨な結果を招きます。
日本の場合でいうと、大企業ー下請け、や 会社ー社員ー派遣 のような形が固まっていく中で「安く使う」に意識が向いていきました。
これはリーダーにアイデアがなくボンクラなのに居座れる構造が問題なのですが、17~8世紀くらいまでは世界中で大っぴらに行われていました。なかでも特に一番ひどかったのは植民地です。

この収奪的な経済で莫大な損失を被ったのが大航海時代後半のアジア。
オランダの東インド会社が私設軍隊を伴い、インドネシアから台湾にかけて猛威をふるい、スパイスなどの収奪を行いました。
結果として周辺地域は100年以上も生産が停滞どころか、大幅に減少しました。地域によってはスパイスの木をすべて切り倒し、内陸に街を移動して自給自足にまで後退したといわれています。

理由は生産するモチベーションがないから。

頑張っても「もっとだせ」「やすくしろ」「これがだめ、あれがだめ」では生産者は頑張らないどころか逃亡します。(そのため軍隊で移動を禁止していたと言われています。)
結果、生産が頭打ちどころか下がり始め、オランダは覇権を失います。
一方でインセンティブに気を使って成り上がったのがイギリス。。。

↓こちらについてはこの本の後半に詳しく書かれています。(現在セール中)

国民病となった?減点主義

日本の会社と打ち合わせをしたり、日本人と仕事の相談があるときに毎回気になるのは、欠点を探し回る行動の裏にある

『安くしてほしいんじゃ!』

という意識。やすくするために相手のあら捜しをしたり、よくわからない上下関係を持ち出したりも多いですが、これは海外ではあまり見ません。

理由は誰も得をしないからです。

おそらく、工場労働者を育成するための「丸飲みさせ考えさせない」公立学校の教育制度と、安さのための粗捜し常態化して国民病のようなものに定着してしまったのではないでしょうか。 減点主義で給与を抑えても生産性や質が上がることはありません。結果は開き直ってダラダラ仕事をし、あわよくば残業代を付けてやれ、位のものでしょう。

日本の経営者や管理職が理解していないのは、部活や全体主義的なドグマで他人を動かせる時代はとっくに終わったということです。60年前なら農村から出てきた人や工場などの単純労働では一定の効果があったのかもですが、時代が違いすぎます。他人の金儲けのために頑張る人間は居ないのを、そろそろ理解して頭を下げて仕事をしてもらうことを学ぶべきでしょう。

戦後ですら過半数だった農奴に近い小作人のメンタリティー?


安さを求めるプレーヤーはパートナーにならない

そももそですが、仕事では関係はお互い「利益を得よう」と集まっています。しかし日本のプレーヤーは「利益を追う」のではなく「費用を下げたい」「支払いをしたくない」「責任は嫌だ」という事しか言ってきません。

要するに、目的がなく嫌々仕事をする中で取引先にも「泣いてください」というだけなので、何がしたいのかよくわからない経済活動となります。

現在は経済の多くはサービス業で、価値や質を追求しています。陳腐化がセットの製造業と違い、安さを求めて事業をしているわけではありません。
(陳腐化についてはマット・リドレーの「繁栄」に多くの記述あり、おすすめです!)

のろまになった呪縛を解くには?

もう1つ気になるのは日本だけ「遅い」「焦っていない」です。経済では時間とともに物事の価値は陳腐化してしまうので、早く売り次に進む必要があります。しかし江戸時代からある停滞文化もあってか、日本は急ぎません。

同じ仕事であれば、できるだけ早く終わらせ売上げ確定するのが利益は増えますが、デフレで待っていればお金の価値が上がり物の価値が下がる、みたいな変なメンタリティーが根付いたのか、仕事を急ぎません。

(時間あたりの単価で考えらられない、割り算が苦手な国民性でもあるのでしょうか。。)


これでは相手のプレーヤーも売りが立てられず付き合うのは損です。

あら捜しをして時間を浪費するのではなくて、目的について落とし所を早くみつけ先に進む、成長期のマインドを再び取り戻す時期に来ていると感じます。

価値を下げる習性は封建主義が原因?

専制国家、絶対君主的な体制では変化は悪であり既得権の固定のためには殺人や戦争も厭わないわけですが日本も1945年まではその流れの中にあり、マッカーサーが農地解放で小作人を(自由)にしたことで今の体制へ移行しました。しかし、マインドや中国の儒教などアジア的専制主義的な考え方は根深く、戦争の根本的な反省も行われなかったので西欧のようなはっきりとした『リセット』が出来ないまま、不条理な世界観を形成しているのが「のろま」の原因なのではないかと思います。

市民よりとはいい難い政治や裁判制度や下請け問題、パワハラ・セクハラなどは、過去の負債がまだまだあるということでしょう。封建的な問題が見にくく現れるのはセクハラ、性犯罪でしょう。ジャニーズの問題もそうですが、被害者が悪いという考え方も封建的な不条理理論です。

よく女性に対して非常に強く出て、一方的に罪悪感を押し付けるやり方がありますが、心理的にダメージを与えて支配する意図から長年行われてきたことだと思います。単純労働の使役をさせるために支配したかったときには行っての利益もあったのかもしれませんが、ソフトの時代、頭を使って価値を生み出す時代にはマイナスしかありません。やる気を削ぐ=ブレーキなのですから、仕事が遅くなるのは当たり前です。

あら捜しは無能さの現れ

私は仕事で粗捜しする人がいたら

「アイデアがないんだな」
「お金がないんだな」

と思うようにしています。JTCと言われる会社の中間管理職に多いタイプかもしれません。競争を排除してパイの食い合いをしている業種でもこの傾向は強いです。

より儲かるお題があって利益獲得に焦っていれば、細かいあら捜しをしている時間はないはずで、あら捜しで生まれる遅延についてはプレーヤーは皆が認識する必要があるでしょう。

ITで良かった

そんな正論をぶちかませるのはソフト開発、ITで食べてきたから。だってコンピューターはその本質ではTRUEかFALSE(真偽)しか見ませんから。彼らに寄り添って頭を使うことの方が効率が良いのです。

またプログラマーが集まって議論するときなども、TVや動画などのような不毛な議論になることは稀です。理由は論理的・知的な人の集まりだから。
ほとんどの場合、理屈より感情、自分の好き嫌いを優先する人が物事をややこしくしますが、プログラマーや開発者その世界観とコンピューターや数学世界の間に入って常に調停をしている立場なため、不毛さをよく理解しているのです。

開発でも、問題があれば解決策を考案して先に進めるようにするのがリーダー、管理職の仕事で、その下で働く作業者はただ命令通りに実行するだけ、ですがITでは更に作業者に自由を与えて責任を上司が引き受ければ偉大な力を発揮してくれます。それは創造性。彼らは単なる作業者ではなく、造物主でありコンピューター世界における一種の神なのです。

欧米でIT系賃金が高い理由

欧米では、最も育成に時間がかかる職業は「医者、弁護士、プログラマー』とされています。単に時間がかかるだけではなく、非常な忍耐を要求するのは言うまでもありません。2000年頃には米国ではプログラマーの時給は$100に到達し、現在は$200に達し年収が部長職より上という場合も珍しくないそうです。プログラマーの生産はその後マシンの上に乗って数万倍になるため、一派の職業と比較にならない生産力を発揮するため、会社の計画が良ければそれでも安いくらい、ということでしょう。

日本の生産性の低さの秘密は奴属

自他ともに大きな投資がされてこの仕事をするまでになった人に対して、粗捜しをしてオランダの東インド会社の奴隷にしてしまうのはもったいないことです。 日系企業で生産性が上がらなかった大きな理由はここにあります。

そして、国内生産の大半がサービス業になったアメリカでここ数十年でパワハラが完全に「NO!」になったのは、このことと無関係なはずがありません。アメリカでは現在の管理職の仕事は『モチベーションを引き出すこと』であって『減点』するのは部下の側になっています。
一方で日本といえば。。。もう説明の必要はないでしょう。

超競争の時代

音楽媒体のレコードは34年商売でき、CDは21年商売ができたらiTuneの音源ダウンロードで終了、しかしたった5年でSportifyのような配信型になった。
超競争の時代になり、その競争力を支えるのは関係者1人1人もモチベーションだと解説しています。


今は過渡期?

日本はマインド的な転換期なのでしょう、これまでの老害・旧型管理者を排除して、21世紀にあった方法でやろうよ、という意識がムンムンしています。

人気のある動画を見ると、安芸高田市の老害批判や数字と専門性を武器にした「精神論ではない経営、政治」が受け入れられる土壌ができているように感じます。


日本がヤバイ、っていうのはこれまでの流れの話で、もう1つの真実は「世界はヤバくてだめな国だらけ」。 日本には様々な技術、文化の蓄積があるため、馬鹿な政治をやめて教育改革をすすめ企業も含め人材に投資を続ければ、日本はまた燦然と輝くのは間違いないでしょう。

NOTEにもたくさん日本について真剣に論じているパイセンがいますし、封建的、非論理的な考えをマイノリティーの押しやることができれば日本はこれからグングン再起するだろうな!と個人的には思っています。


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