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「明け方の若者たち」 カツセマサヒコ

 スクリーンに映った曙の空は、そこはかとない美しさを感じさせる。あれは、決して綺麗とは言えない物語の結末を表現していたのか、それとも主人公の未来への希望を示していたのか。結局どちらともわからず、「お前なんぞには理解できぬ」と、映画監督の力量を見せつけられたような感覚だった。館内に照明が戻り、周りが騒々しくなったところで僕は現実に目を覚ました。存在を忘れていたのか、半分以上も残ったコーラをもって席を離れる。世界を代表する清涼飲料水としての使命を全うさせてあげられなかったことに後ろめたさを感じながら、清掃スタッフにそれを手渡す。
 登場人物の表情、言葉、空気感。それらの描写ひとつひとつにリアルが纏わりついたような120分に、妙な疲れを感じた。首をこきこきしながら映画館を発つと、街の時計塔は二十時五十分を指していた。「今日の空は、」真っ黒。まあ、綺麗ではないな。
 これが僕の未来を指し示す色ではありませんように。
そう天に願いながら、やっと帰路に立った。

さあ、帰ったらあの空の色の答えを見つけに往こう。

 彼女との出会いは明大前の沖縄料理屋だった。
「勝ち組飲み」などという嫌味な集まりに参加していた僕は、素直にその雰囲気すら楽しめずいたずらに時間を過ごしていた。理想的なエンディングを迎えたわけではなかった就活だったからこそ、「勝ち組」という言葉の響きの違和感を拭い切れないのだ。僕は、名の通った有名企業に内定をもらった他の参加者と自分を、知らず知らずに差別化してしまったのだろう。
 彼女の存在に気づいたのは、隣に座っていた幹事の石田が自慢話をするために立ち上がったときだ。十畳ちょっとの半個室の入口から最も遠いテーブルの奥に体育座りをするように座っていた。ぼんやりとした雰囲気を漂わす彼女の頬には大きく「退屈」と書かれていた。この場には相反する陰の存在を意識した途端、僕には彼女だけが3D映画のようにくっきりと浮かび上がったように見えた。
 LINEよりも手紙が似合いそうな彼女。
 パスタよりも蕎麦が似合いそうな彼女。
 スマホよりも文庫本が似合いそうな彼女。
完全に僕の好きなタイプだった。

「ごめん、携帯なくしちゃったみたいで。番号言うから、かけてくれない?」
これが僕と彼女との始まりだ。
「番号いくつ?」
僕は彼女から告げられた十一桁の番号を打ち込む。
「あ」
ワイドパンツのポケットから、それは出てきた。
「え、持ってたの?」
「ごめん、ポケット入ってた」
「いやいや、探すの、下手すぎじゃない?」
「ほんと鈍臭いよね、ごめんごめん」「先に店出ちゃうんだけど、お金どうしよう?」
「あ、もう帰るの?」
「うん。ちょっと顔出そうとおもっただけだから」
「んー、千円くらいでいいんじゃない?」
・・・・・・
「じゃあ、ありがとね」
「うん、おつかれさま」

 最悪以外の感想が出てこない飲み会の喧騒から逃げ出す先は、いつもこのカウンターテーブルだ。呆れた顔の女将から手渡された水を一気に飲み干して、スマートフォンを開く。帰ってしまった彼女のことを考える。せめて名前でもわかれば、SNSで探せそうな気もするのに。それすら聞かなかった自分の奥手具合が、今になってまどろっこしい。
 彼女はどんな人なんだろう。
 どんな人間が好きで、どんな人間が嫌いなんだろう。
いっそ自分も帰ろうか、と席を立ち上がろうとしたところだった。僕のスマートフォンがぶぶぶ、と音を立てて震えた。さっき押したばっかりの十一桁の番号からのメッセージ。展開された画面には、たった一行のシンプルなテキストが表示されていた。

「私と飲んだ方が、楽しいかもよ笑?」

その十六文字は、僕の人生で最も美しい誘い文句だった。
明大前、五月にしては冷えすぎた空気のなか、僕と彼女の関係が産声を上げた。

 周りと比べると少し厚みの足りないこの本を、元あった場所に差し戻す。原作を読み返してみても、やっぱりあの空の色の意味は分からないままだった。
 原作の後に載っていた解説は、本映画の監督である松本花奈さんが担当している。彼女もまた、押し寄せたリアルに現実の自分の窮屈さを感じた一人だった。物語に対する感想は人それぞれだけど、松本さんの解釈とそれをどう捉えたかは、読者の総意にも感じられた。決して、ありきたりで誰にでも言えそうなこと、なんかではなくて、私たちが抱えたやり切れない後味を的確に言語化してくれたような、そんな文章だった。

 ”僕”と”彼女”。

それぞれがそれぞれに思う気持ちは、擦れ違うことも、与え合うこともなかった。言ってしまえば、物語がずっと”気持ち悪いまま”進行していった(この表現は絶対に合ってはいないが間違っているようにも思えないのでそのまま使った)。その気持ち悪さに気づくのは、物語が終盤になってから。あのとき、ふと放たれた一言で保たれていた目線がぐるぐるになったっけな。驚嘆と混乱、静黙と呆然。つい巻き戻しのマークを連打して最大速度にした。

↑こんなやつ

まるで隣を歩いているかのような世界観。
”僕”の素直な感情と人間味、”彼女”のなかにある秘密と僕への答え。
さあ、あなたも曙色に染まってご覧。

ああ、彼女が              なんかじゃなければなぁ。

                               自立できないミズゴロウより

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苦くて青い物語。僕ら若者の物語。

「明け方の若者たち」 カツセマサヒコ

定価(本体550円+税) 幻冬舎文庫
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明け方の若者たち | 株式会社 幻冬舎 (gentosha.co.jp)
映画「明け方の若者たち」公式サイト (akegata-movie.com)

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