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「名探偵誕生」 似鳥鶏

 本をぱたんっと閉じて革鞄に仕舞う。物語を読み終えたのは電車の中だった。電車を降りて家路について、ぼくはいつまでも「名探偵」の余韻に浸っていた。このとき、ぼくが感じていたのは「満足感」でも「達成感」でもなく「なぜ終わってしまったのだろう」という無念だ。そのくらい、この作品の世界観に日常を感じていたし、没頭していた。

 この世界を忘れたくない。いつまでも、「名探偵」には心踊らされた。

 主人公・星川瑞人の恋は、どこまでも儚い。想いの行先は「隣のお姉ちゃん」。当時高校生だったお姉ちゃんは、小学生の僕(主人公)からしたら手の届かぬ存在だった。抱く気持ちのひとつひとつは言語化などできるはずもなく、ただそれぞれに確かな感情が溢れていた。やがて僕も中学生になり、高校生になって、大学生になった。僕の好きな人も「お姉ちゃん」から「千歳さん」になった。けれど、映り変わる景色の中で僕の想いは何一つ変わらなかった。ひとりを想いつづけられることはその一瞬一秒が美しい。僕を見てそう感じた。

 名探偵・波多野千歳を語る。のは少し、いやとても難しい。瑞人にとって彼女は何かと考えてみても、やはり「お姉ちゃん」以上の何かではなかったし、なにより彼女自身が「お姉ちゃん」以上にならなかったのも事実だ。主人公が彼女に抱く気持ちを言語化できないように、彼女がどういう人なのかというのも、どう言い表したらいいのか困ってしまう。ただ一つ、いつも瑞人の憧れの存在で居続けられたのが彼女を表す最大の魅力なのだ(彼女の魅力はぜひ実際に読んであなたの目から感じてほしい⦅それを言ったらおしまいなのでは…⦆)。

 この物語で注目して欲しいのは「瑞人の感情の成長」である。想う気持ちそのものは何一つ変わらないのに、想う”形”は年を重ねるごとに変容していく。そんな瑞人の切なさと愛おしさを、いつまでも見守っていたかった…。

 瑞人と一緒に憧れて、

 瑞人と一緒に恋をして。

 瑞人と一緒に悩んで、

 瑞人と一緒に謎に立ち向かって。

 僕にとっても、ぼくにとっても、「お姉ちゃん」は大事な人だった。だからこそ言いたいことがある。

 「神様、どうか彼女に幸福を。」


                            自立できないミズゴロウ より

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高純度で美しい、”初恋”青春ミステリ!

「名探偵誕生」 似鳥鶏

定価(本体740円+税) 実業之日本社文庫

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