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「本日は大安なり」 辻村深月

 結婚はいいものだな、と思う。
って言っても僕は結婚というものを経験したことがないし、実際どういうものなのかも理解していない。ただ、僕の中でのそれは漠然と憧れるものであって、いつかは自分もするんだろうなという根拠のない確信が付属するものだった。
神秘的な部分だけを抜き見て美化しているんだろうなっていうのは分かっている。でも、辛いことも、大変なこともありふれた世界だからこそ、飛び込んでみたいと思わせてくれる。
それが僕にとっての「結婚」なのだ。

若僧は今日も、結婚に憧れている。

さて、式が始まる時間だ。
遅刻なんてしたら怒られるからもう行かないと。
じゃあまた、式場で会おう。

大安[たいあん]
 暦注である六輝のなかで、何事においても全て良く、成功しないことはないとされる吉日。結婚式など、祝い事には特に向いている。

11:30 相馬家・加賀山家
12:30 十倉家・大崎家
13:30 東家・白須家
17:30 鈴木家・三田家

     Hotel ARMAITI

加賀山妃美佳

私と鞠香は双子の姉妹です。
同一のDNAを持つ、一卵性双生児。姿、形、顔立ちさえそっくりな私たち。同じ日に生まれてきたけれど、先に出た鞠香が姉で、数分後に出た私が妹です。生まれ順によって姉・妹を決める考え方が日本に定着したのは明治時代以降でそれ以前は違ったらしい、と近所のおばさんが教えてくれました。昔は後から生まれてきた者が年長者。母の体に先に宿った方が奥にいるはずであり、後から生まれてくるはず。そう考えられていた、というのです。
それならば、
あなたが私の代わりに「妹」を、私が人から「お姉ちゃん」と呼ばれ、「姉」を生きる道だって、きっとあり得たはずです。

十一月二十二日。日曜日。大安。
花嫁衣装に着替える鞠香を、私は美容室の椅子に腰掛けて待っていました。血を分けた姉妹の最良の日を見守るにふさわしい顔をしながら、背筋を伸ばして座ります。そんなときでした。
「このたびはありがとうございます」
新郎の映一さんの声がしました。裾の長いモーニングコートを着た彼がそこに立っていました。鼻と喉の奥を固まった空気が抜けていきました。そのまま吐き出すと彼に動揺が知られてしまいそうで、我慢して息を詰めました。私は眼鏡をかけた彼のことが好きです。凛々しくて、きれいな顔の彼を、私はよく知っています。胸が微かに痛みました。彼の顔を見てしまう。その唇に自分の唇が触れたときの感触を思い出すと、覚悟していたはずの気持ちに急に後ろめたさを感じました。
私の夫となる彼。そして、新婦”役”の姉の鞠香。

「入れ替わってほしい。」
そう頼んだのは私でした。

山井多香子

ホテル・アールマティのサロンに勤務して五年が経つ。プランナーになる決意をして専門学校に通ったのは二十五歳のとき。それまで勤務していた小さな出版社の経理を辞めてからの転職だった。

今日も結婚式の、一日が始まる。
私は陽光を弾きながら揺れるベルを仰ぎ見て、眩しさに目を細めながら祈る。「どうか、今日が無事に終わりますように。」
音の余韻に浸っていると、携帯電話が震えた。
なんだか、嫌な予感がした。

…予約が、取れてない?

鈴木陸雄

今日は、大安の休日。
俺は帽子を目深にかぶり直し、ボストンバックを片手に車から降りる。時計を見ると、俺たちの式にも花嫁の会場入りにも、時間はまだたっぷりあった。けれど落ち着かなかった。

妻の貴和子は俺の運命の女だ。彼女とは趣味程度にやっていたバンドのライブで出会った。これを逃したら二度と出会えない、俺の救いの女神。だから絶対に離れてはならない。今までに遊んできた、どの女よりも本気になれた。こいつしかいない、と思った。

俺たちの式はイブニング・ウェディングという扱いらしかった。五時受付、五時半挙式、六時半披露宴開始、終了は九時半の予定だ。
花嫁の会場入りは、四時半。
早くしなければ。

どうしてこうなってしまったんだろう。
貴和子しかいないという気持ちは今も変わっていない。
 けれど、まさか結婚とは。
この式だけは、絶対に成功させてはいけない。もちろん俺の為に、だ。
「何としてでも”花嫁”が来るまでには...」
ボストンバックの中身がたぷたぷと不穏に揺れた。 

誰か俺を止めてくれ

白須真空

今日のりえちゃんは花嫁になるらしい。
りえちゃんは、オレのお母さんの妹。だけど、おばさんじゃなくて”りえちゃん”だ。
「ない、ない、ない、」
控室にいるりえちゃんが何かを必死に探している。
今にも泣きだしそうなりえちゃんとそれを励ますように声を掛けるオレのお母さんとおばあちゃん。喧嘩のように見える三人のやり取りを、オレは黙って見ていた。

その少し前、花嫁控え室にて。
これから着る白いドレスとは別の、式の途中で着替えるらしいドレスを、りえちゃんは嬉しそうにオレらに見せてくれた。それにはオレにも見覚えがあった。
ピッと立った首の後ろの大きな襟。
花のつぼみみたいに大きく膨らんだ赤い線が入った青い袖。
青いブラウスに黄色いスカート。
リボンがちょこんと載った靴。
そして、赤い大きなリボンのカチューシャ。
白雪姫のドレスだった。

白雪姫。よくりえちゃんと一緒に観た映画だ。
お母さんには「真空は、男の子のくせにそんなのが好きなの?」とよくからかわれたけど、りえちゃんと観るこの映画がオレは好きだった。
「かがみよ、かがみ」「世界で一番、怖がりなのはだあれ?」
毒リンゴのシーンを怖がるオレに、りえちゃんがふざけ調子に王妃の真似をする。「うるさいよ!」二人でふざけて、追いかけまわすこともしょっちゅうだった。

りえちゃんが探しているのはあのカチューシャだった。いつの間にかなくしてしまったらしい。結婚相手の東さんも一緒になって探している。
絶望。血相を変えて悲鳴のような声が上がる。
そんなりえちゃんを見るのは、初めてだった。

お父さんに連れられて部屋を出るとき、控え室にある大きな鏡と目が合った。オレは心の中で唱えてみた。
 かがみよ、かがみ。
 どうかりえちゃんを幸せにしてください。
 これ以上、泣かさないでください。

もう元には戻らないほどの折り目がついた本を、労わるようにそっと撫でる。次、その次と、進む物語の行く末が気になり過ぎたあまりいつもより本を支える手に力が入ってしまっていたようだ。しっかり中古になったそれを鞄に仕舞って、しっかり冷め切ったコーヒーを手にカフェを後にする。
二月の風は冷たい。余韻を掻き消さんばかりに僕の全身に吹きつける。家までは歩いて30分。読み終えたばかりの物語に対する想いの温かさだけは何としてでも死守せねばならない。決死の思いで僕は歩を進めた。

 こんな素晴らしい物語に出会えたんだ。
 今日はきっと、

               自立できないミズゴロウより

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エンタメ史上最強の結婚式小説!

「本日は大安なり」 辻村深月

定価(本体640円+税 ) 角川文庫
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