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世界の終わりからをみて

映画「世界の終わりから」は、今年公開された、紀里谷和明監督、伊藤蒼主演の映画で、今も場所によっては劇場にて上映されている映画。
本当に素晴らしい作品なので、チャンスがある方は映画館で見て欲しいと思う。壮大なテーマ・演出、繊細な役者さんたちの演技。大迫力で感じてほしい。

映画『世界の終わりから』公式サイト (sekainoowarikara-movie.jp)

この映画を見て思った2つのことを書いていこうかなと。

まず1つ目は、「現実と夢の曖昧さ」について。
どこからどこまでが夢で、どこからが現実なのか。
わからなくなる瞬間ってのを経験したことがある人もいると思う。
それは現実逃避としての「これが夢であってくれ」という願望が生み出す感覚なのか。
「これが現実であってくれ」という希望が生み出す感覚なのか。
ここ最近でも自分の中でそれに近い経験をした。
個人の中で、現実と夢が曖昧であればあるほど、「こうあってほしい」と言う現実逃避と、希望的観測は膨らんでいき、もはや現実を見ることを諦めてしまうこともあると思う。実際にそんな人もいると思う。
かと思えば、人間はそんなに強くないので、現実逃避もできず、希望的観測も持てなければ、多くの人が潰れてしまうんじゃないかとも思う。
それ等のバランスを取ることが本来は大事なんだろうけれど、自分の中でその方法は「こんなこともあるさ」ってのと、「なるようになるさ」と言うある種の諦めを認めることに留まっている。
それがいいのか悪いのかはわからないけど、この問題に関しては、答えは出さずに自分なりにもう少し考えていこうと思う。
ネガティブケイパビリティを楽しもうと思う。


2つ目は「主観による物事の捉え方」について。
映画の中では確か「正義と悪」について考えるシーンがあったと記憶している。
まさにそれを誰が考えたのか、誰が語ったのか。によって物事の捉え方が大きく変わるってことはよくある。物語自体が変わってしまう。
個人的にこのことに関して考え始めたのは
黒澤明監督作品の「羅生門」を見たことだったと思う。

1つ目の「現実と夢の曖昧さ」にも通ずるけれど、何が現実なのかがわからないと言う事実を教えてくれる映画で、是非こちらも見てみてほしい。

「そんな曖昧な世界で何を信じればいいんだ」となってしまったとしても、「それは結局自分で考えないといけないんだ」ってのが、この話の一番のポイント。
ある話を聞いたときに何を感じるのかも結局は、主観の問題であり「世の中に真実なんてないんだ」ってところまでがセットになっていると個人的には考えている。

結局は誰もが主観の世界の住人な訳で、その主観も数々のバイアスに影響を受けている以上、ある程度のものには目を瞑って生きていくしかないような気がする。
なんやら色々考えてみたけれど、結局この映画の一番の良いところは、「考えてもよくわからない・答えが出ない」ことは往々にあって、それらを背負いながら生きていくのもいいんじゃないかな。と思わせてくれるところだと思う。
ネガティブケイパビリティを全力で楽しめばいいのだと。教えてくれる。
いや〜〜素晴らしい映画なので、ぜひ皆さんにみて欲しい。
できれば映画館で見て欲しい。
上映する劇場をもっと増やしてほしい。
以上です。





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