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「社会人」という言葉と「そういうもん」

「社会人」を生まれて初めて経験している。まだ半年やそこらだけれども。ただその半年で自分が感じたことや疑問に思ったことをまだ「社会人」に染まっていない状態で残しておこうと思う。

まずはじめに「社会人」と言う言葉はどのような人間に適用されるのか。

広辞苑(第五版)によると、「①社会の一員としての個人。②実社会で活動する人。」と。こうなると次は「社会」とはとかそんな風に広がっていくのでここではやめにしておいて、なんとなく自分の肌感覚では年齢関係なく学校生活での生活を終えて最低限の生活を自分で働いて稼いだお金賄えるような状態を一度でも経験した人、またはそれを継続している人を指すのかなって思っていたりします。
みんながみんな同じ答えを持っているわけではないのでなんとも言えないですが自分が人が話しているのを聞いて考えたところ大体それでカバーできるかなと思っている。


「社会人」と「常識」

「社会人」と言う言葉には「常識」と言う言葉がつきまとっているように思う。自分も今の会社で働き出して「社会人として」や「そんなもんだ」と言う言葉を嫌という程耳にした。その度に日本でこれから生きていこうと志す人間にとっては必須の能力であろう共感力であったり、空気を読む力が試され、同時期に中途入社した「社会人」としての先輩に疑問を投げかけなければいけなかった。

『どういった目的で名刺交換は行われるのですか?」とか「どうして判子を常時持っている必要があるんですか」と。

正直に言うとその答えが20代前半の前職を数年で辞め転職をした「社会人」の先輩たちから聞けるとは自分も思ってはいないかったが、それでも何かしらのその数年間で各々が自分のしていることに思考を凝らし納得して行なっている、ないし自分にとっての答えを持っているのではないかとの期待があったのも事実でその自分の質問に対て帰ってきた答え「そういうもんですよ」には言うまでもなく悲しさを感じた。

自分は言葉について考えるときそれを一つの箱のようにイメージしている。ここでは「社会人」という言葉の中に人それぞれが意味をいれておいているような。そこで重要なのは自分の箱の中身を他人に見せることはできないということだと思う。大体こういうこと言ってるよねで基本的に会話は進むしそれで多くの場合は問題がない。ただ自分としてその中で出てくる大きな問題として「常識」や「責任感」なんていう「社会人」達が大好きな言葉に遭遇してしまうことだ。
これらの言葉ほど厄介なものはなくそれらを耳にした際はかなり複雑に考えなければならない。が周りの人をよくみているとこの問題は単純に自分がその場に適応できていないだけなんだというのがよくわかる。自分がそれについて考えている間にどんどんその人たちだけで話が進んでいく。まさに会話についていけない。
そもそも「常識」や「責任感」の意味とは自分の中にあるのではなく外の世界にあるものだと思うんだけれどそれらに「社会人」という言葉がつくだけでなんだかよくわからない枠の中で適応される法律やルールが存在するんだと感じる。
実際にどうなのかではなく「そういうもん」と呼ばれるやつだ。

少なくとも英語で上記で述べたような「社会人」という言葉の意味を一言で説明すことはできないのではないかと思います。たった三文字で表現するにはこの言葉に対する多くの人の持つ意味や、世の中の「常識」として存在する大きな壁に私は困惑し馴染めないなと感じていて、そう思っている人は実際に結構な数いるんではないかなとも同時に思う。


じゃあどうしようか

この問題に対して答えを出せってのは全く意味がないと思うしそう言うものが存在してしかもそれが大多数の人に容認されている今、わざわざそれに反抗的な態度を取る必要もなく、それに対して取る行動は「染まっちゃう」か「無視する」か「逃げる」かの三択なのかなと思っている。


「染まる」とはまさにそこに適応するという意味でおそらく長いことその環境にいれば最初に違和感を持っていたとしても大抵の人は慣れることができるだろうと思う。というより多くの人にとっては学校での教育の延長線上と捉えることができるのではないか。学校にも意味のわからない校則や習慣が腐るほどある。頭髪の問題や服装の問題、学生時代に何かしらスポーツなどをやっていた人なら有無を言わさぬ上下関係なども経験するだろうし、集会と題して大きな箱に人をぎゅうぎゅうに詰め込み「気を付け」「礼」「前習え」の後にほとんど意味のない校長先生の話。あれを小さい頃から当たり前に行ってきた人間であれば「社会人」の「常識」など可愛いものと感じさえするかもしれない。

「無視する」はこの三つの中では一番難しいんじゃないかなと思っている。ただ完全に無視はしないにしても過度に気にしないぐらいならできるかもしれない。とりあえず従うところは従ってあとはまあ適当にってな感じで。やることはやってるのでほっといてくださいの気持ちでいくと。可能かどうかはわからない。試したことがある人はどうだったか教えて欲しい。

そして「逃げる」これはいくつかあるがまず日本では生活保護を受けられる。色々と条件があり結構そこにたどり着くまで大変なんだといった話も聞くが、そういったものを受けるのはいやだというプライドさえ捨ててしまえば最低限保証されているということはかなりありがたいことだと思う。
もう一つは親の脛をかじる。これは現実的にできる人とできない人がいるのでなんとも言えないが可能であればとりあえずスネかじっといてスキルを自分一人でやっていけるようなスキルをその期間で習得するなんてのもいいのかもしれない。
もう一つは日本を出て海外で働くという選択。自分はワーキングホリデーでカナダのトロントにいたことがあるが周囲に結構そういう人もいたし中には結構長い間住んでるんだけど英語はほとんど話せませんなんて人もいた。特に大きい都市なんか行けば日本人コミュニティーなんてものもあったりするしその土地の言語を話さなくてもできる仕事もたくさんあるので正直言うとこれは割と簡単にできる上、実際にやってみる前に想像していたものと比べてなんだこんなもんか感が大きい選択の一つだと思っている。それにその土地が合わなかったら日本に帰っちゃえばいいわけだし。ほとんどノーリスクじゃないかと思っている。
ちなみに「逃げる」は自分が父親ではないという前提で話しているので養うべき家族がいる場合は選択するのが難しいものだと思う。


長ったらしくなってしまったが要は「社会人」と「常識」はセットでそれ抗うのは結構な苦労がいるだろうしそれ気に入らなければ以外の対策をとろうということでおしまいにしておきます。



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