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修論執筆時にもらって安心した言葉
卒論執筆時はアドレナリン出まくりで、締切約2、3ヶ月前から平日1日10時間くらいは図書館にこもって書くのが当たり前だった。
しかし、修論執筆時は違った。
コロナ禍により、①図書館・研究室に行ける時間が限られ、②先輩に質問しづらくなり(でも対面授業再開には懐疑的)、③学外の友達とも主にオンラインでしか会えない、という物理的にも精神的にも孤立しやすい環境で、何に対しても疑心暗鬼になり、作業に集中できず、大変苦しい時間を過ごしていた(おかげで幼少期のトラブルに向き合わざるを得なくなり心療内科に通い始めた)。
実際はコロナそのものではなく、自分が変化に適応しきれなかったことが問題の原因なんだが、ともあれ苦しかったのは事実だ。
そのような中、かけてもらって安心した言葉がいくつかあるので、感謝を込めて書き残しておきたい。同じように修論で苦しむ人の助けに少しでもなれたら嬉しい。
1. 修論は途中経過をみるもの
締切の半年以上前から、修論が書き終わらないのではないかと心配になることが度々あった。今までに書いたこともないので、自分に書ける気がしなかった。
そういった不安があるという話をチラッと指導教員にしたところ、博士課程に進学する前提だから「修論は博論までの通過点なので、途中経過をみるもの」「訓練が順調に進んでいるかを確認するものだ」という言葉をいただいた。
つまり、現時点での目標レベルに至っていればよくて、ほんの少しくらいは内容に不十分なところがあっても大筋がまともなら通るということだ。
別のゼミでも「あと2ヶ月、できるところまで頑張ってください」という言葉をいただいて、それを再確認できた。
元々、修論はその後その人がどんな世界を展開していくのかを見るものだという話は度々耳にしていたが、上記の視点は知らなかった。修論とは途中経過だという説明がなかったら、私はずっと苦しみ続けていただろう。
2. 順調そうですね
修論執筆時に把握しなければならないのはまず量である。
1ヶ月半前の時点で、目標字数を満たしていたのは1章分のみだった。量を書くのが間に合わないのではと思うと毎日心配だった(また、自分の頭が良くないことはわかっていたので、質にも自信はなかった)。
そのような折、ゼミ発表で進捗状況を訊かれて、1章だけは字数目標を達成していると言うと教員から「順調そうですね」という言葉をいただいた。
ああこれで順調なのかと思えてすごく心が楽になった。同時に、もっと早く自分から「この時期でこの字数だと、遅れている方ですか?」と先生や先輩に訊けばよかったのだと気づいた。
これを踏まえて、後日に先輩と個別に面談してもらった時は、字数をお伝えして「それなら量の方は大丈夫そうですね」と言ってもらえた。
3. まとまって数章書くのはこれで最後
仮に修論がなんとか書けたとしても、これからの人生ずーっとこういう作業を続けていくのは自分には無理そうだと感じ始めていた。
そのような折、「大変だろうけど、まとまって数章書くのはこれで最後だから」「博論はそれまで作ってきたパーツを集成したものになるから」という旨の言葉を、これまた別の先生からいただいた。
今ダッシュすれば未来はもう少し楽だということだ。今の苦しみが永遠に続くのではないと思うととても心が軽くなった。それなら頑張ろうとすんなり思えた。
もうこんな発言する時点で向いてなさそうだが、まあ、実際に研究者としてやっていける能力があるかどうかは5年後10年後にわかるのだろう。向いてないと思うことばかりだが、興味の対象が無いよりはマシだと言い聞かせている(こういうことを書くと「じゃあさっさと辞めろよ」という反応がどこかから返ってくるような被害妄想にとりつかれているが、克服したいので敢えて書く)。
提出に漕ぎ着けた
こういった言葉に助けられて、また多くの人の援助があって、結果から言えば修論は提出できた。本当によかった。皆様ありがとうございます。
量は目標を満たしていたけど、質の方は締切2日前に見切りをつけるしかなかった。そのあと体裁や註番号をチェックしたり、印刷屋に持ち込んだりとやることが多かったので。
ゆえに、これで合格=進学できるかは五分五分だと思っている。もしかしたら来年も同じような苦しみを味わうのかと思うと狂いそうだが、そういう覚悟も決めておこう。
*画像はイヴァン・アイヴァゾフスキー《第九の波濤》(1850)
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