見出し画像

繊細なこども

こんにちは。mywayのμ(ミュー)です。

私はHSP(Highly Sensitive Pearson)です。
なので、もちろんHSC(Highly Sensitive Child)でした。

小学校低学年の時のこんな記憶があります。

初めて遊んだ子のお家で、ご両親が夫婦喧嘩を始め、お母さんがヒステリックに声を荒げてお父さんのことを罵っていました。それを見たお友達の顔がみるみる強張り硬直していくのを、私は見逃しませんでした。

なんとか氣を紛らわせたい、他に意識を向けさせたい。そう思った私はそこにあったテーブルを動かし「見て見て、テーブルが動いたよ!」と笑ってその子に声を掛けました。

その直後、笑い声が聞こえたお母さんの怒りが私に向きました。
「なによ!そんなに私達のことを見ていて面白いっていうの???」

その瞬間、お友達も私も大泣きし始めた氣がするのですが、その先の記憶がありません。

友達のお母さんの怒りが飛び火した。たったそれだけのことでしたが、今となってはその子の顔も名前も思い出せないほど、子供心に傷となって刻み込まれた出来事のひとつです。

幼稚園や小学校の先生から怒られた記憶はあるので、怒られたからトラウマということではなく、母親から怒られないよう一所懸命顔色を窺って生きていた私が、お友達のお母さんから怒鳴られ、さらには、助けようと思ったお友達を一瞬たりとも救うことができなかった自分。ここが自己否定に繋がる記憶となったのだと思います。

今はそのトラウマも解消しているので、私にとっては何も問題ないのですが、そのお友達が、生きづらさを抱えることなく成長してくれていたらいいなと思いを馳せました。

HSPの特技のひとつ、相手の考えていることが予測できることも多く、言い出しにくそうにしている相手の願いを叶えてあげようとして、自分の意志のようにふるまってきたことが過去に何度もありました。
けれども、そういう時こそ特に相手から喜ばれることもなく、良かれと思ったことが仇となって返ってくることを数えきれないほど経験したので、今はもうやらないようにかなり氣をつけています。

そのパターンはこの時からすでに始まっていたんだなと、今日の記事を書いていて氣づきました。

カウンセラーとなって10年。たくさんのHSPさんに出逢ってきました。
お逢いした8~9割の方がHSPさんな感覚です。

今回のような小さな出来事から、ショッキングな出来事を人一倍の感受性で受け止め、心にいくつもの傷を付け、自己否定を繰り返しながら成長していく。そして、そのまま大人となり、自分のことは後回しで空氣を読みまくり自己犠牲を続けているとしたら、それはそれは生きづらいものです。

そんなHSPを強みに変え生きやすさを手に入れるまでの軌跡
まだまだ続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?