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書くこととは、記憶を自分から剥がす行為である

わたしの大好きな番組「太田上田」でゲストがお笑いコンビ・モグライダーの回がありました。

話はボケ担当ともしげさんのポンコツエピソードへ。なんでもともしげさん、いろんなことをすぐに忘れちゃうたちらしく。面白いのが、忘れないようにメモを取ると、記憶がメモの方に移ってしまって書いた出来事はすっかり忘れてしまうのだとか笑

↑該当シーン:2:54〜

それについて上田さんからつっこまれるのですが、私は「なるほどな〜」と思ってしまいました。書くという行為は、自分の頭にある記憶や思いを一旦自分から剥がす行為とも考えられることに気づいたからです。

たとえばなにか嫌なことがあったとき。そのまま1人で帰ってご飯食べたりお風呂入ったり、嫌なことからは離れている時間を過ごしてるはずなのに、そのことばっかり考えてしまうことが私にはよくあります。

そんなときに自分の手書きの日記帳なり、noteなりにその出来事や感じたことなどを書き殴ってみる。するとどうでしょう。その嫌な出来事や気持ちが文字として目に入るようになり、客観視できる状態になる。そうするとなんだかもう、その出来事も、感じた気持ちも自分の中のものではないような気がしてくるのです。

多分これ、心理学的にいうと"認知行動療法"に近い話だと思うのですが今回は割愛。とにかく、書くことによって記憶を自分から手放すことができるんです。そうするとまた自分のストレージに空きが出て、別の出来事や記録を残すことができる。


もしかすると人間は忘れるために書いているのかもしれないですね。

24h営業で会議をしている私の脳みそちゃん。ただでさえバタバタと忙しいのに、思考を溜め込んでたらより動きが鈍くなっちゃいそう。


可哀想なわたしの脳みそちゃんのためにも、人生の備忘録として文章を書き続けていきたいと思います。

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