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…だから生きられる

「いざとなったらいつでも死ねる」
そう思っていたから、私は今まで生きて来れたし、色んなことを泣きながら乗り越え耐え忍ぶことが出来た。

色々考えて、たっくさん考えた末「死にたい」、「いざとなったらいつでも死ねる」という想いに行き着いた。私はこの気持ちを大事に抱えて生きていくつもりだし、誰かに「そんな悲しいことを言わないで」なんて言われてたまるかって思ってる。

生きていると色々あるよ、私も他の人も。
「何で私だけが…」なんて悲劇のヒロインごっこしてたのは小学生まで。今は成人してるからその時期はとうに過ぎた。
色んな人に出逢って、私自身も色々経験して、色々思うこと気づくこともあって、
悲劇のヒロインごっこ=ひたすら卑屈になってロクなこと一つもねぇ、ってことを私は知ってる。

作り笑いで体調不良を誤魔化し続ける日もあるし、何もわかってないように馬鹿なフリする日だってある。道の真ん中で泣き叫びそうになるのを必死にこらえる朝もあるし、自己嫌悪感でいっぱいになりながら眠りにつく日もある。人に心から優しくできないことも山程あるし、一時的に記憶を失う日もある。心から笑うことも時々あるし、人と繋がれる喜びを感じることもある。人を羨むことは山程あるし、自分を責め、恥じることなんてもっとある。

あのね、みんなそうなんだよ。
それぞれの事情を抱えてそれぞれ生きてる。
今にも泣きそうな顔しながら涙堪えて、歯食いしばって、何とか踏ん張ってる。そんな人が沢山いるのも私は知ってる。

最近図書館で借りた本の裏表紙の言葉が気に入ってる

「人と少し、ちがうこと
 ちがって悲しいこと、悔しいこと。
 たくさんあるけど、でも、それですべてが決まる訳じゃない。
 ちがうから、誰かとつながれることもある。
 誰かを救うこともできる。大人も、子どもも、みんな。(後略)」

メディアファクトリー文庫『僕たちの旅の話をしよう』著:小路幸也

人とちがうこと。それは持って生まれた、生きる中で手に入れたカードの数と内容。私にとっては、育ちの過程であり、障害であり、病であり、育つ中で獲得できなかった感覚と、それによる一般社会とのズレ。
それで悩み苦しみ、自死を考え、絶望してきた。
大人になってからも文字通り”自分一人、身一つ”で生きるのは色んな壁との闘いだ。全てではなくとも結構大事なことが左右されることだってある。だから悲しいし、悔しい。

でも、”人とちがうこと”で本当にすべてが決まる訳ではない。それはこの歳になってわかるようになりつつある。

生まれた時に引き当てたカードはヤバかったし、数は極少で内容もめちゃくちゃだし、途中で貰えたまともなカードも殆どない。それでも自分で手に入れたカードはちゃんとあるし、同じように、人とちがうカードを持ってる人とつながれた。

色んなことがある。本当に色んなことが日々起きる。自分の中にも色んな気持ちがあって、色んな人たちと色んなことが起きる日々を生きている。
何故?どうして?何でよ。泣きたくなることも山程ある。生きているからこそ、死にたくなる日もある。

それでも生きていくしかない。
死ぬことだって色々大変だし。臆病者で死ぬための勇気が出ない私は、
「いざとなったらいつでも死ねる」そう思って、安定的に不安定な日々を生きていく予定。

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ただの日記なので今回はぐちゃぐちゃです。
ごめんなさい。

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