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牛丼御三家の思い出

明朝4時。
社会に出てからは深夜まで起きていることがほとんどなかったので、少しテンションが上がる。

深夜といえば、松屋だ。
大学生の頃、テスト期間の徹夜明けには牛めしを食べるのがルーティンになっていた。


ところで、ポケモンの御三家といえば誰を思い浮かべるだろう。

「フシギダネ・ヒトカゲ・ゼニガメ」な先輩方。
「キモリ・アチャモ・ミズゴロウ」なわたし。
最近だと、「サルノリ・ヒバニー・メッソン」らしい。

ポケモンの御三家は人それぞれ。

けれど、牛丼チェーンの御三家はきっと全会一致で
松屋・すき家・吉野家になるだろう。

わたしはこの牛丼御三家にそれぞれの思い出があった。

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冒頭の通り、大学のテスト期間には深夜の松屋の常連となった。猛烈な眠気の中、すっぴんジャージ姿で虚ろな目をして食う牛めしは、なんとも言えず美味い。

平日の深夜に牛めしをかき込むのは同じようにテスト期間中の学生か夜勤中の大人ばかりで、みんな等しく疲れていてぼろぼろだった。

そして言葉を交わすことはなくとも、心のなかでお互いの健闘を称え合えている気がして、また頑張れた。

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大学生になる前に一年間、予備校で浪人をしていた。お昼ごはんはいつも家から持参したお弁当か、すき家の牛丼。

絶対に合格したかったから、食堂で友人とランチするよりも、一人で栄養補給をして勉強に戻る予備校生活を選んだ。そしてスピードを追い求めた結果、上の二択になったのだった。

牛丼の並盛りに生卵がデフォルトで、ときどき奮発してチーズ牛丼。カウンター席の端っこでリュックを背負いながらかき込んだ牛丼がわたしの覚悟を支えていた。

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一番古い牛丼の記憶は、吉野家の牛丼。家族で牛丼を食べるときは決まって吉野家のドライブスルーで、マイク越しに母は「"つゆだく"で」と注文する。

その牛丼はつゆがお米から染み出すほどたっぷりで、柔くなったお米と一緒にれんげで掬って飲み込むと、口中に甘じょっぱい幸せが広がっていく。

そんな記憶のおかげで、家を離れた今でも牛丼はやっぱり"つゆだく"に限るのだ。


頑張った記憶、辛かった記憶、楽しかった記憶、幸せだった記憶。人生の中でいろんな感情が牛丼とともに育ってきた。これからも、壁にぶつかった時、嬉しいことがあった時、牛丼をいただきます。


そういえば昔から「並盛り」を発音するのが苦手で、よく「なみのり」と言っていたっけ。波乗りはポケモンのひでんわざだ。


いつもありがとうございます♪🥷