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他者に理解されなくてもたじろがない〜愛から動くといつかはギフトになっている〜


実家に用事があり、何年かぶりで実家に1泊しました。


デイケアに行く前の、車のお迎えを待っている父が、

「お父さんをデイケアに通えるようにしてくれてありがとうね。

おかげでちゃんと鍛えるところがあるから、ボケが進まないでいられるよ。」


と私のそばにきて、穏やかな笑顔で言いました。


こんなふうに言ってもらえる日がくるとは、と感慨深く思い、8年前の深い孤独感を抱えていた私を、心の中でぎゅっと抱きしめてあげたいな、と感じました。


8年前、私は認知症の兆候が色濃く出てきた父に対して、前職が介護の仕事だったこともあり、ただ家に家族以外の人と全く交わらないで居させていてはよくない、と危機感を持っていました。


このまま誰にも会わず、何もしない日々が続いたら、どんどん認知症が進行すると感じ、知り合いのケアマネジャーに相談したり、認知症カフェというイベントに参加したりして、積極的に情報を得ていました。


そして、私が地域包括支援センターに両親を連れて行き、実際に介護認定がおりてデイケアに見学に行く際など、とにかく父は私に文句を言い続けました。


「なんでお父さんがお前の言うことをきかなきゃいけないんだ。」


「私はしっかりしているんだから、誰の世話になる必要もない。」


「年寄りしかいないところなんか、絶対行かないぞ!」

来る日も来る日も私に文句を言い続ける父に、私の心が折れそうになるときがありました。


そういう父と対峙するエネルギーがない母は、
「できるところまでは私がなんとかやっていくからいいわよ。あなたもお父さんに文句言われるのは大変でしょ。」


と耐え忍ぶ癖が長年ついてきた母の対応。


報告を兼ねて長男夫婦に連絡をすれば、

「またお前は父親と揉めているのか。お前がうまくやれないだけだろう?

1人で大変がってるけれど、お義母さんは何も言っていないじゃない?」

との2人の言葉にショックを受け、何もわかってもらえない、と孤独感が深まるなか、唯一私を安心させてくれたのは、最後に連絡する次男夫婦の


「いつもいろいろやってくれてありがとう。」という短いけれどお礼を必ず述べてくれる兄と、

「1人でやらせちゃってごめんね。ありがとうね。何かあれば言ってね。」

というお嫁さんの温かい言葉でした。

そんななか、

私がやろうとしていることは本当にいいことなのかな??

長男夫婦が言うように、私が勝手に孤軍奮闘しているだけで、本人も行きたくない、他の家族も積極的に賛同してくれる人がいないなら、私が何か間違っているのだろうか??と


立ちすくむときもありました。


が、担当のケアマネジャーさんが丁寧に誠実に父に、私たち家族に関わってくださり、父の態度がすっかり変わっていきました。


ケアマネジャー、デイケアのスタッフなどいろいろな方に、父は話しを聞いてもらい、声をかけてもらって触れ合うなか、とてもデイケア事体を気に入り、表情も穏やかに機嫌の良い日が増えていきました。


それに伴って家族も負担が減り、安心できるようになりました。



あれだけ強攻に怖い表情で、声を荒げて私に文句を言う日々があった父が、私の夫に、今のお父さんからは想像がつかない、と言わせるほど、穏やかに、デイケアに通う日々になりました。


こうして改めて振り返ると、


そのとき誰からも賛同を得れず孤独を感じても、愛から、自分の直感からこれはやった方がいい、GOだと感じたことは、周囲の反応に捉われず進めた方がいい

と感じます。


だって、短期的にはそれが正解か、不正解かは誰にも分からないから。



が、長期的な目で観たときにGOだと思えたならば、それはやった方が後悔がない。



父が喜んでデイケアに通ってくれる姿をみて、私自身が、どんな状況になっても人は死ぬまで何かやるべきことがある方が、生命が活性化され、魂が喜ぶのだろう、と学ばされます。


今日は、他者から理解されない、賛同されないことがあっても、これは愛からの行動だと感じられたら信念は貫いた方がいい、ということを自分のためにも書いています。


あなたが今GOした方がいいと感じていることを、他者に振り回されずGOしていく勇気を、心から後押しして応援します。

今日もお読みいただきありがとうございます。

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