自分自身との向き合い方にもフェーズがある。
昨日、1年ぶりくらいに友達と会って話しをし、今日、ひょんなことから1.2年前、自分が書いていた文章を読む機会があったことで、
あー、
私この1.2年で相当変わったな、
と気づきました。
何というか、今は自分がある。
だから、人に対して影響力、発信力のある、強いエネルギーを持つ人と出会っても、素敵な人だなあ、うんうん、本当にそうだよね、と共感しつつも、その人の言葉、というスタンスで受け取っています。
それは私のことではない。
私は私でまた違う感性でその話しを捉えている。
他人と自分の違いがしっかりあるなかでの共感、とでもいうのでしょうか。
もともと境界線が引け、自分軸で生きてこれた人は、かつての私の、他人と自分の話しや意見が同化してしまう、人と自分が一緒くたになっている感覚は、逆に分からないかもしれません。
1.2年前までの私は、
本当にその通り!
私はあなたのいうことをそのまんま100%受け取ります!
何ひとつあなたの言うことに間違えはありません!
みたいに前のめりな感じで(笑)物事を受け取っていました。
決してそれは良いことではなく、自分軸が脆弱だったからこその反応の仕方で、もろに人の影響を受けやすい状態と言えます。
自分軸がまだ脆弱なときというのは、外側の、人の影響を受けやすく、いろんな意味で脆いです。
だから、人から嫌われたと感じたならば、奈落の底に突き落とされた気持ちになり、人から好かれれば嬉しくて気持ちが高揚する、というようにアップダウンが激しい状態です。
外側で何かあっても粛々と、淡々と毎日を過ごす、ということをし難い心の内面の動きがあり、だからこそ、無意識に引きこもりがち、やたらに世界を広げないような(外側の影響をもろに受けると疲れるから)行動をしていたのだ、と今だからこそ気づくことがあります。
例えば、私はこの1年くらいで、人から愛される経験だけでなく、嫌われる経験も結構積みました。
今にしてみると、それが、自然に私の自分軸を強くしてくれた、結果的に良い経験だったと感じます。
自分軸が脆弱なとき、人に迎合するのは、人から嫌われることをとても恐れていればこそ、と感じます。
自分のいたい場所、付き合いたい人、波長が合う人や物に気持ちがフォーカスしていると、自然に嫌われることを恐れる、という気持ちが減っていました。
だから思わぬ所で自分を嫌う人が出てきても、残念だけど仕方ないよね、とただ事実を事実として受け止めることができるように変わっていた、と昨日、友達と話しをしていて気づきました。
起こったことをただ話すという感じの、過去を引っ張っていない自分に、話し終わってから気がつきました。
そして、同じように友達も成長していて、話しは終始、この1年自分に何が起き、どういうプロセスがあり、そこから自分は何を学んで今があるか、の報告会でした。
そしてお互い前向きで、笑いを随所に入れた、エネルギー溢れる楽しい時間となりました。
が、何年か前の私たちは、会うと外側の現象にフォーカスした話しをし、自分主体ではなく、他人主体で被害者かのような話し方をしていた、と感じます。
私も彼女も、違う場所であっても、ともに成長し、同じようにさらにあらゆる体験を積極的に積んで成長していきたい、と願い合えるのは、とても嬉しいことでした。
そして、自分との向き合い方も、そのときの自分のフェーズは違うのだから、変化して当たり前なのだ、と感じます。
傷ついたままの内向きな時期は、母のように何から何までサポートしてくれるような支援者がいていいときでしょう。
が、自分が成長してきたらその段階を卒業し、もっと広い世界で失敗したり、人から嫌われたり一般的にはネガティブな経験を積めばこそ、自分が育ち、自分が立っていく、そのようなフェーズもとても大切だ、と感じます。
いや、そこに到達したいからこそ、手厚い支援者からのサポートの時期があるのだと。
自分に向き合う、と一口に言っても自分の成長によって、向き合い方は変わってくる、という今日の私の気づきを書きとめ、これが誰かの気づきにもなれば嬉しく思います。
お読みいただきありがとうございます。
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