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自分の人生の真実を理解したら、兄弟間の比較が消えていた。


私には、兄弟、兄が2人います。

先日、海外にいる兄が、出張で日本に帰国していて、実家に少しなら寄れるという日に、わずかな時間でしたが会えました。

夫も会いたいから、とそれに合わせて実家で集い、夫と兄が話していて、私には想像もつかぬほどタフな生活を毎日送っているんだな、と感じまた。

私とでは兄は仕事の話しはほとんどしないので、私は仕事のことはよく分からないままでした。


今となっては他人事のように、


国と国の移動ばかりが日常では、体力的にまずハードだな、時差ボケどうしてるんだろう?、英語圏じゃない国での言語はどうしてるんだ?、通訳なしなら勉強してるのか?文化や価値観の違いをどう超えて組織を作っているんだろう?と


いろいろと疑問が湧きつつも、私には想像つかないことが多くて黙っていました。

他人事で聞いていた私は、かつて私が抱いていた、「私だけ置いていかれている」という焦燥感が全くなくなっている、と気づきました。


要は兄弟間でしっかり境界線が引けている、私が自分に「私は私でいい」という許可が出せるようになった、そういうことなのかな、と感じました。


そこにあるのは、純粋に


お兄ちゃん元気で頑張ってね!
いつも応援してるよ!
家族みんなの幸せを祈っているよ!


という妹として、兄弟を思う愛情だけです。


が、思春期頃から、私は特に2つ違いで年の近い兄とは学校内で一緒になることもあり、兄と比較していつのまにか自分に劣等感を感じるようになっていました。

特に、母が兄と同じ高校に行かせようと目論んだ当たりから、私が行きたい学校が尊重されるのではなく、兄のようになってほしい、と母は願っているんだ、と感じ取りました。


それが余計に「今の私ではダメなんだ」という思いを私は強化させてしまったように感じます。


体力もあり、勉強もでき、どんどん新しいことに挑戦して世界を広げていく兄に比べ、私には兄のように誇れる能力が何ひとつない、私だけ置いていかれる、というような気持ちが20代くらいまでとてもあった気がします。


年齢を経ていくと、ライフスタイルが違いすぎて比較にもならなくなりますが、私の自己肯定感の低さは相変わらずで、兄や家族に会うたびに、自分でも「自分は自分でいい」と少しも思えていないことに悩んでいました。


同じ親に生まれ、私だけが病み、生きることが辛いと感じているなんて。兄は社会で逞しく強くやっていっているじゃないか。

他の兄弟は社会貢献をしっかりしているのに、なぜ私だけが自分を助けることさえできないんだ、とさらに自分を責めていました。

そして「取り残された」気持ちは相変わらずいつもどこかにありました。


が、4年ほど前からセラピーを受け、ファミリーコンステレーションなどで家系全体を観ていき、なんだ私が悪いのではなかったんだ!小さな私は被害者だったのだ!という事実がしっかり把握でき、腑に落ちて納得してはじめて、私は新しく生まれ直した、と感じます。


以前ほど、激しい自分責めがいつのまにかなくなり、明るくなった、と昔の知人、友人に会うと言われるようになりました。


姪っ子が私をみて幸せそう!と言っていた、とあとから聞いたとき、あー、彼女たちが小さな頃はまだ自分責めがひどい頃だったから、可愛がっていても、幸せそう、に見えなかったのだろうなあ、と何とも言えない、申し訳ない気持ちになりました。


自分の過去から流れる人生の真実が分かると、生きやすくなります。


今までの世界の捉え方、自分の捉え方がポジティブシンキングなどで無理に変えるのでなく、自然に変わっていきます。


私はこの私でいい

と思えることほど最強なことはない、と感じます。

それは外側からでなく、内側から湧き出るものなので、外からの影響を受けにくくなるからです。

兄弟や人との比較に少なからず影響を受けてきた、悩んできた、という方がいましたら、ぜひ、客観的に家族関係を観ていく、真実を観ていく、を主観ではなくやっていくことをお勧めします。


どなたかの何かのヒントになれば幸いです。


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