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新兵

それから1週間ほどして、正式な入団式が行われた。佐世保鎮守府長官の平田中将閣下はじめ、将官や左官がずらっと並んだその景観はすごかった。日本という国はやっぱりすごいんだなという気持ちが湧いてくる。
長い訓示を拝聴し、四等水兵としてなんの訓練も受けていないけども、なんとなく俺は一等国の海軍軍人だぞという昂ぶりが心地よかった。

だけどしかし、その日を境に教班長殿の態度が鬼へと変身した。要するに、これまで僕たちは「お客さん」だったのだ。正式な入団とともに、僕らはお客さんから「最下層、下っ端四等水兵」になったのだ。僕らは殴られて、殴られて、殴られて感謝するサディスティックな世界の入り口に立っていた。

僕らの朝は「総員起こし15分前」の放送で始まる。次は「総員起こし5分前」だ。この間に用便は済ませておかねばならない。

そして正6時。
「総員起こし!!総員起こし!!!」

という起床ラッパがものすごい勢いで響き渡る。この合図が終わるとともに、ハンモックから飛び起き、毛布をたたみ、ハンモックを縄で括り、ものすごい正確さで棚に納め、ものすごい勢いで着替えて通路側に整列しなくてはならない。

「第6班総員揃いました!」

と班長殿に大声で届け出る。いまはここまで3分で出来るようになったけど、最初は大変だった。毛布のたたみ方はガタガタだし、ハンモックもむちゃくちゃな括り方でとにかく棚に突っ込んだだけだったので右から順に全員殴られた。ズボンを急いで履こうとして足がもつれて顔面からコケた吉井くんは鼻血で顔を染めながら「整列!番号!」の号令をかけてて、それが可笑しかったので笑ったらまた殴られた。

それから兵舎前の広場に並び、宮城の遥拝、明治天皇の御製拝誦、軍人勅諭の拝誦、海軍体操と続いてよやく朝飯の準備にとりかかる。もちろん常に駆け足だ。だけど僕は剣道でそれなりに厳しい鍛錬に耐えてきたし、軍隊とはこういうものだという覚悟もあったので、それほど苦しくはなかった。
でも軍隊に儚い幻想を抱いていた者も少なからずいて、そいつらは大変みたいだった。同じ班に福岡から来た岡野君というのがいて、本当は陸軍での現役を終えたら美術学校に進んで油絵を学びたかったらしいけど、福岡の連隊は無茶苦茶に強者揃いで、強者揃いということは内務班での鉄拳制裁も相当あるらしいという話を聞いて、海軍に志願したらしい。入団当初は

「鉄拳で殴られるなんて絶対に嫌だ、野蛮すぎる、僕は耐えられないよ」
と盛んに言ってたけど、飯を食うのが遅すぎるといって最初に殴られたのは岡野君だった。

他にも、ハンモックをどうしてもキツく括ることができなくて、将来はピアノ演奏者になりたいから指が太くなるような訓練は嫌だと小声で言った西川君も殴られた。班長殿は地獄耳だったのだ。

毛布のたたみ方から整列の仕方、飯の食い方、あらゆる事について怒鳴られて殴られて、僕らは少しずつ娑婆っ気が抜けて、帝国海軍四等水兵らしくなっていった。

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