(第22回)敗れたが祖国は残った

アメリカは日本を弱体化させる為に農地解放を行ったり財閥を解体したり、色々なことを実行しました。農地解放により、我が家も母方の本家は多くの田畑を失いました。

しかし後になって、日本をヤワな国にしてしまうのは危険だ、再武装させて共産圏への防波堤として機能させた方が良いぞと、方針転換したアメリカは日本に再軍備を促して警察予備隊という自衛隊の前身を作りました。

自衛隊の出自はこういう経緯なので、現在矛盾が起きているのは当然です。
アメリカが日本の平和憲法を作ったのは、根底に日本を農業国にしてしまおうという思惑が流れていたので、やっぱり武力を持たせる必要がある、となった場合に憲法九条がある、じゃぁ「攻め込まれた場合にだけ戦うことができる専守防衛」の軍隊、ということになってしまいました。

ですので、アメリカと安全保障条約を結んでいても、直接攻撃を受けていない場合は交戦できませんから、アメリカが喧嘩(あるいは軍隊を使った喧嘩の仲裁)をしてるときに、日本は何をすれば良いか、もちろん戦えない、じゃぁ金だけ出すか、という色々と細かい事において矛盾がおきてしまいます。

とにかく、アメリカにとっては日本を占領しておくよりも再軍備した独立国になってもらう方が都合が良いという状況が生まれました。

ですので占領は早めに切り上げようという事で、昭和27年にサンフランシスコ講話条約が発効しました。

これは日本の独立を認めて連合国の占領を終了させるもので、晴れて日本は国際舞台に復帰しました。そしてアメリカは「早く再軍備せよ」と日本を促しましたが、当時日本のボスだった吉田茂はこう考えました。

「今の日本は再軍備なんかしてる余裕は無い。そんなことをすれば国民は負担に耐えきれなくなる。今はアメリカに守ってもらう事にして、もっと日本人が金持ちになったら、その時に考えれば良いんだ」

ということで安全保障条約が結ばれました。旧安保と呼ばれるものです。
沖縄はアメリカへの長期貸与、という形でアメリカに基地を提供して駐留してもらう事になったのです。

そして「日本に仇なす国がもしあれば」アメリカの傘に守ってもらう事にして、アメリカは極東にニラミをきかせる拠点として、その体制はいまも続いています。しかしながら現代の視点でいえば直接武力攻撃で日本に仇なす国が出るというのは、余程のことというか、もはや古い時代の戦争と言えます。武力は抑止力と考えた方が良いでしょう。

つまり現代の、国家間の武力交戦はお互い現実的ではないので、情報と経済の戦争が主体です。

話を戻すと戦後の日本は国家防衛の主体をアメリカに任せ、その間一生懸命ビジネスに打ち込んで経済大国となりましたが、経済の発展に伴う圧倒的な庇護社会が作られていくなかで、平和ボケという副作用が生まれました。祖国という概念も、失われました。延々と、過去から現在を繋いできた縦の糸が断ち切られたと言ってもいいかもしれません。

そんなこんなで戦後があり、今があります。

なぜ僕がこういうノートを書いたかといいますと、将来娘たちに聞かせるためなんですが、そもそも僕は昔、イギリスかぶれでして、日本というのはイヤな国だなぁと思っていました。

それは、当時10代後半だった自分からみた、日本という国がイヤな感じだったということなのですが、それはつまり、戦後、豊かさというものをちょっとだけ誤解して突き進んでしまった社会がイヤだったのだと思います。
そして僕は日本人としての矜持を持たない人間として育ってしまいました。

多くの日本人がそうであるように、自分の国の歴史に誇りをもってないというか、そもそも知らなかったのです。

今の僕は、自分の国の歴史を知らなかったり誇りに思わない民族は、あまり長続きせずに滅びてしまうのではないかと思っています。

それはつまり、郷土の歴史とか祖父母はじめ、ご先祖の事を知らないという事です。祖国という、生きる上で土台になる概念を、持たずに生きているということです。

なので10年ほど前に、家系図を自分の手で作ってみました。僕は父方の伊三次さんから数えて6世代目、母方の久次郎さんから数えて7世代目にあたります。その繋がりをみたときに、はげしく祖先、縦の糸というものを意識しました。

伊三次さんが幕末か明治の最初に熊本の地に移って約150年以上、母方は江戸時代から、ずっと熊本の地に生き続けて、わたくし雄一郎がポッと東京に移動して関西人の妻と結婚しました。

ですから僕たちの子どもは、東京生まれ東京育ちとして大人になってゆきます。実家と言えば番地の他に「マンション名+部屋番号」です。
それは僕の選択の結果なので良いんですが、そうだからこそ、子どもが自分のルーツというものを自然と意識しながら生きていけるようにしたいと思っています。

困難にぶつかった時に、代々の血の流れというか命のリレーと言いますか、
そんなものを意識できるのとできないのとではやっぱり違うと思うのです。
自分や子供達が「あぁ辛いなぁ」と感じたときに、「いやいやいやいや、シベリアで鼠食べて、マイナス35度の世界で肉体労働して帰ってきた展治さん、ニューギニアで戦い、戦艦榛名でレイテ沖を戦った照雄さん、その他営々と命を繋いでくれたご先祖に笑われるっしょ」と思えるかどうか、非常に重要だと思うのです。

それは、親として、教養を身につけさせ、道徳を養わせるというここと並んで、人間が命のリレーを営々と続けていく中で最も重要な事だと思います。

お金なんていうものは残しても残さなくても(どうせ残せないんですが)、あまり関係なくて、親の役割は教育、道徳の涵養、ご先祖を敬う気持ち、この3つで十分だと、思っています。
学問ができなくても、グレたとしても、人間の土台がしっかりしていれば、きちんと次の世代に命を繋いでくれるはずです。

(おわり)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?