(第15回)死闘の末

その時栗田艦隊が見たのは、レイテ湾の輸送船団を護衛するアメリカの護衛空母群でした。もちろん機動部隊本隊、つまりハルゼーの部隊ではありません。

しかし囮作戦成功の電信を受信できていなかった栗田艦隊は、これが敵の正規空母部隊であると信じ、艦橋では歓喜の声があがったそうです。

これまでずっと、敵の空母から発進した航空機にやられっぱなしでしたが、これは砲で撃ち合う、夢にまでみた艦隊決戦です。この日の為に猛訓練を積んできたわけですし、日本海軍の射撃精度は非常に優れていましたから、
栗田艦隊はそれとみるや一斉に敵空母部隊に殺到し、砲撃を加えました。

護衛空母群の指揮官スプレイグ少将は、たいへん恐怖したそうです。
満身創痍とはいえ、日本海軍の主力水上部隊ですから、戦力の脆弱な護衛空母艦隊にまず勝ち目は、ありません。数分後に泳ぐことを覚悟したと回想しています。

スプレイグ少将の部隊は一斉に煙幕をはり、折からのスコールに逃げ込み、ありったけの戦闘機を飛ばし、魚雷を放ちました。

栗田艦隊は、巡洋艦はじめ大和が、長門が、金剛が、そしてもちろん祖父が乗り込んでいた榛名も、主砲を斉射して敵を追撃しました。隊形を整える時間を惜しんで、各艦が独自の判断で、敵を追撃したのです。

栗田艦隊は、全力でこの敵と戦いました。
そしてスプレイグ少将の艦隊も総力をあげて反撃し、栗田艦隊へ少なくない損害を与えました。小沢艦隊に釣り上げられたハルゼーの機動部隊は、全力でレイテ湾へ戻っていますが、まだまだ離れた海面にあります。

そして数時間後、大量の砲弾と燃料を消費したした栗田艦隊は、一定の戦果を挙げたと(ある意味誤認かもしれません)判断した栗田艦隊は、本来の目的であるレイテ湾へ向かいます。

しかしここに、大きな運命の分かれ道が待ち構えていました。
そのとき栗田艦隊は「ヤキ1カ電」という電信を受信します。その内容は

「北方に敵機動部隊あり」

というものでしたが、北方の敵機動部隊というのは、幻、つまり誤報でした。このヤキ1カ電については、出所不明ということもあり戦後多くの議論を呼び、現在でも「ヤキ1カ電」で検索すればいろいろな記事が出てきます。

いずれにせよ栗田艦隊はこの誤報を信じ、幻の敵を殲滅するため反転しました。ここに永久にレイテ湾突入への戦機は失われたのです。

たらればの話ではありますが、この時栗田艦隊がレイテ湾に突入していればどうなったでしょうか。
レイテ湾を護衛していた米海軍部隊は、西村艦隊、志摩艦隊に対する猛攻撃で弾薬をほとんど使い果たしており、そして輸送部隊の陸揚げはまだ完了しておらず、大量の食糧弾薬がレイテ湾に積み上げられていました。ここに栗田艦隊が殴り込み艦砲射撃を行えば、レイテの米軍兵站に壊滅的ダメージを与え、まだそのへんにいたらしいマッカーサーの命を奪う可能性すらあったようです。この戦争に勝利することは出来なかったにせよ米軍の侵攻を数カ月遅らせることができた可能性は高いと言えます。

ですから戦後の論調、多くの戦記でも、この栗田長官を非難してあるものが多いようです。勿論僕のような人間に是非を論ずることはできません。米軍でさえ、栗田長官を責める資格のある者は、本人だけだと記録しています。

そのとき大和艦橋では「南へ行くんだろ!行くんだろ!」と詰め寄る宇垣纏中将と、沈黙する栗田長官の緊迫したやりとりがあったという資料もあります。

ひとつ言えるのは、栗田長官が反転しなければ、栗田艦隊は相当な損害を敵に与えることと引換えに全滅し、祖父の照雄さんも戦死して当然、僕もこの世にいないはずだということです。

そして栗田艦隊が反転したそのころ、栗田艦隊の突入に呼応して編成された、初めての「特攻」隊がこのアメリカ護衛空母軍へ向けて、フィリピン・マバラカット基地を飛び立っていました…


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