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愛しいやよいさんへ

やよいさん、僕はやよいさんに会いたいです。
なぜなら好きなんです。はっきりいうと恋い焦がれています。この男だらけの海兵団の生活には慣れましたが、慣れれば慣れるほど、やよいさんのことで心が乱れます。夜ハンモックの中に潜って緊張が途切れた時は、涙がでるほど恋しくなります。

そんな時は、やよいさんを初めて見たときのことばっかり思い出しています。秋津の夏の夜市、イカ焼きを食べながらぶらぶらしていた僕の目の前に、やよいさんは突然現れました。僕の目の前を歩くやよいさんの横顔は圧倒的に美しくて、ほんのり染まった頰のふくらみと、白い肌と、真っ直ぐな眼差し、実際はおそらく3秒くらいだったけど僕の網膜にはスロウモウションで焼きついています。
こんな美しい人は初めてでした。僕は一瞬で恋に落ちました。

何度も、なんどもやよいさんの横顔が僕の心の中でリフレインし続けてあの日は全然眠れず、ずっと縁側でやよいさんを思いながら月を眺めていました。母にどうしたのかと訝しがられたので「夜市で焼酎ば飲みすぎただけたい、ほっとかんね」と反発したんですが僕の顔はよほど惚けていたらしく、察しのいい母は「兄ちゃんは恋しとるとだろ」と笑っていました。

あれは誰だったんだろう、なんという娘なんだろう、また会いたい、またあの綺麗な顔を見たいと、そればっかりを考えていたところに、やよいさんは思いがけずまた僕の前に現れました。そう、秋祭りの夕方、沼山津神社でした。友人たちと連れ立って、やよいさんは再び僕の前に現れたのです。

ちょっと前まで牛小屋の掃除をしていた僕は、自分が糞臭いんじゃないかと怖気付いて三歩か四歩後ずさりしました。でも僕の目は木陰からあなたを、やよいさんを凝視してました。凝視してたはずなんですが、なぜかそのときの記憶はあまり覚えてません。なぜかというと、

僕の頭は、やよいさんと一緒にいたのが隣村の、僕の知ってる娘だったことで全力回転をしていたのです。

明日、偶然を装ってあの隣村の娘に会いに行き、あなたの名前を聞き出そう。そうだ俺が一番やるべきはそれだ、そういう気持ちに心が支配されていたのです。

翌日早速、女学校の帰りを待ち伏せ、

「昨日ぬしが一緒におった娘はなんていう名前や」

と、できるだけ平静を装って問いました。

「どの娘ね?どんな着物やったかいな?」

「着物は、覚えとらんばってん、一番美しか娘たい、色ん白か」

「なら、やよいちゃんたい」

今思えばその娘は少しだけムッとしたように答えたけれど、そのときの僕にはそんなことを気にする余裕はありませんでした。「やよいさん」僕の精神の全ての部屋に、あなたの名前が記憶されたのです。気色悪いでしょうか、いや僕の心は紅葉のように色付いたのです。あなたの名前を知ったというだけで。

「なんね、気持ちわるか」
という言葉を残してその娘は去って行きましたが、

僕はしばらく「やよいちゃん、やよいちゃん」と呟きながら立ち尽くしていたのです。その時ちょうどどこかで三味線の音がしていました。なので今でも三味線の音を聞くとあの時のことが思い出されます。

秋津川のほとりの畦道、夕焼け、鳶、秋草、三味線。

あぁ、やよいさん。やよいさんに会いたいです。
その美しい顔をみたいです。海兵団の教育が終われば一度熊本へ帰ることが許されると聞いているのでその時は真っ白な水兵服を着て、女学校帰りのやよいさんを待ち伏せしたいです。こんな僕は、気色悪いでしょうか。




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