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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたもりおゆうのライフワーク画集。誰の心にもある遠い日の思い出を200枚を超える水彩画で・・・毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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#スケッチ

「赤トンボのいた夕焼け空」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ206枚目 赤とんぼが好きだった。 竹垣の先などに止まっているのを見つけて駆け寄ったものだ。 だが、捕まえようとは思わなかった。子供心に何故か赤とんぼは捕まえてはいけないもののような気がしたからだ。 思い出すのは、秋の夕暮れ時。 まるで凶兆かと思うほど無数の赤とんぼが茜色の空に飛んでいた。 あまりの数の多さに驚嘆し、ポカンと大きな口を開けて見上げていたのも懐かしい。 そんな赤とんぼだが、次第に姿を見なくなった。 原因は稲作に殺虫剤

「Best3からBest1」僕の昭和スケッチ200回記念      

さて、今日はBEST3からBEST1です。 Best3 「修学旅行の朝」中学時代秋の日、朝のプラットフォームに少しずつ人が集まって来る時間を描いたもの。 これから出掛けるクラスメイト達との一生に一度の旅行に皆胸をときめかせている・・・・そんな忘れられない朝だ。 Best2 僕がカオルちゃんと呼ばれたには訳がある僕の名前は「もりおゆう」だ。  だから、名前のどこを取ってもカオルちゃんではないのだが、、、 僕は遠い昔にカオルちゃんと呼ばれた事がある。 それには、修学旅行に

僕の昭和スケッチ200回記念    Best10からBest7       

<ご挨拶> 「僕の昭和スケッチ」の絵を先週で丁度200枚アップさせて頂きました。 始めた当初は、とりあえず100枚くらいは描こうと思っていました。 それが、いつの間にか100を通り越して150を過ぎ、200枚を迎えました。 これも、ひとえにnoteで見てくださる皆さんがいて下さったお陰です。 皆さんがいなかったら、絶対に僕はこの200枚を描く事はなかったでしょう。それは、間違いなく本当のことです。 有難うございます。 この昭和スケッチは、実際の風景や事物をスケッチして描く

「用水人(じん)の出た夏」昭和からの絵手紙

僕の昭和スケッチ番外短編集7 これは、「僕の昭和スケッチ」を始める以前に僕が描いた「昭和からの絵手紙」という短編小説の内の一編です。「僕の昭和スケッチ」の原点になったこの幾つかの未発表の短編は、僕個人としては今も愛着があるものです。 この夏、ぜひ貴方に読んで頂きたくて、その内の一編をお届けします。 「用水人」  夏に黒野村に行くと 時折不思議なことがあった。 黒野村は岐阜市の北の在にあり肥沃な農村地帯なのだが、古くからの民話や不思議な逸話の残る地域でもある。 ある日

「サイモンとガーファンクル」今も心に残る昭和の洋楽♫/サウンド オブ サイレンス

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ190枚目 今日は僕が高校時代にすごく好きだったサイモンとガーファンクルの記事をお届けします。サイモンとガーファンクルは、間違いなく昭和の洋楽ポップシーンを代表する忘れられない二人です。 実は、僕としてはこの二人の絵をもっと早く僕の昭和スケッチで描きたかったのです。けれど、ずいぶん遅くなってしまいました(昭和スケッチも早190枚目です)。 きっと、若い頃に本当に好きな女の子の事は友達にも中々話せない・・・、照れますが、そんな気持ちと何

「深夜放送が青春だった頃」

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ185枚目 ラジオの深夜放送を聞いていて明くる日眠くて、眠くて、、、 なんて頃ありませんでしたか?(笑) 深夜放送は、ディージェイが日本全国数多の視聴者に向けて発信しているのですが、受け手側は大抵は一人でラジオから流れてくる声や曲を深夜に聞いています。すると、自分がディージェイと個人的に繋がっているような不思議な親和感が生まれます。深夜という独特の時間を誰かと共有しているというある種の連帯感のようなものありました。 オールナイトニッポ

「昭和は一大UFOブームだった」とんでも広告その⑤UFO探知機

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ184枚目 さて、今日は久々の昭和の怪しすぎ/とんでも通販広告です。 第5回「昭和は一大UFOブームだった」とんでも広告UFO探知機 UFO探索は人類の夢! 人類といって悪ければ、少なくとも男子の夢だ。 それは昭和の御代から今日まで変わらないロマンで、近年では米国防総省からも「UFO報告書」なるものが発表されている。 ロズウェル事件*がスタントン・フリードマン(シカゴ大卒/物理学者)によって発掘/暴露されたのは1970年代後半。1

「厳しい冬の日々を描く」昭和の北海道

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ174枚目 今日は、友人から聞いた話を元に僕の昭和スケッチを描いてみました。 彼は釧路の生まれです。 北海道ですから、冬になると大量の石炭をストーブに焚べるのですが、子供の頃は馬が石炭を乗せた橇を引いて雪の中をやって来たそうです。 「それを馬橇(ばそり)と言うんです」 と昔語りをしてくれます。 「外はものすごく寒いから、家の中ではストーブをガンガン炊く、、、だから北海道では家の中は凄く暖かいのです」 僕はその話が好きで何度聞いても

「冬の朝/通学路」一年間有難う!

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ168枚目 岐阜と滋賀の間には伊吹山(いぶきやま)という高い山がある。 標高1377mのその山からは冬になると北西の強い季節風が吹き、これを地元では伊吹颪(いぶきおろし)と言う。 上の絵は、僕の中学時代の思い出を描いたのもの。 僕の通った本荘中学は丁度実家から北西方向にあり、季節風をまともに食らって通学路を進んだ。漕いでも漕いでも進まぬ自転車通学の朝だった。 貴方の通学路はどんな道でした? *絵の中の言葉「ケッタ」は岐阜弁で「自転車

「修学旅行の朝」中学時代

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ155枚目 秋の日 朝のプラットフォームに少しずつ人が集まって来る クラスメイト達が階段を上がってホームに顔を出す どこか照れくさそうにしているクラスメイトもいる そんな朝を描いた一枚 <©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています> (©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

かき氷が手のひらサイズだった頃

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ151枚目 さて、今日から「僕の昭和スケッチ」も151枚目です。 200枚まで辿り着けるかどうか・・・? どうぞよろしくお願い致します。 <昭和のかき氷は手のひらサイズ> 昭和30年代までのかき氷は手のひらに乗るほどの小さなガラス器に盛られていた。小さな焼きそば屋や駄菓子屋で売られていて、僕の子供の頃はいちごやメロンが10円とかせいぜい20円くらいだった。もちろん、値の張る氷小豆や宇治金時などが口に入った事はない。「金時って何だろう?

「夕涼みは大人の時間」昭和の風景

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ150枚目 隣のおじさんは、夏になると毎夕家の前の歩道に出て布張りの椅子に座って夕涼みをしていた。 ランニングシャツにステテコが定番スタイル。 おじさんの足元には定番の蚊取り線香・・・ そうして、近所のおじさん達が一人二人と集まり、たわいもない話や縁台将棋で夏の夕刻を楽しんでいた。 そんな大人の仲間入りをしようと子供の僕らが割って入ろうものなら、決まってにべもなく無視されたのを覚えている。 大人がすごく大人に見えた時代、、、 昭和

「懐かしの昭和アイス」昭和の夏

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ149枚目 子供の頃、大好きでしたね。懐かしの昭和アイス。 同じアイスでも値段が幾らだったかで年齢がわかります(^。^)💧 何と言っても思い入れがあるのが、「ホームランバー」! それまではジュースを凍らせたようなアイスキャンディばかりでした。 下の記事「アイス売りのおじさん」でも紹介しましたね。 それを覆して協同乳業が日本で初めて画期的なミルクタイプのアイスバーとして販売したのが名糖ホームランバー、昭和30年発売。 発売当初価格一本

「マンハッタンで見つけたバナナカステラ」昭和の駄菓子は海をこえて!

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ139枚目 この記事のヘッダーにもココアシガレットなどと一緒に描かれているバナナカステラ! ある日、僕はクラスメイトと駄菓子屋さんに行き、このバナナカステラに出会った。 この見たことのない駄菓子は食べるとバナナの香りがほんのりとして、中の白餡と相性もピッタリだった。このそれまでに無い新しい味に驚いた僕らは、すっかりこのバナナカステラにハマってしまい二日三日と駄菓子屋さんに通ってこれを買い求めた。何しろ安かった。確か、当時1本5円(昭