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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2022年2月の記事一覧

「幸せの黄色い箱とビン詰め牛乳」

 「僕の昭和スケッチ」124枚目 昔は牛乳配達を頼んでいた家が多かったものです。 この頃の牛乳は今のような紙パック入りではなく、みんな瓶詰めの牛乳でした。牛乳配達のおじさんがカチャカチャと牛乳を鳴らして毎朝自転車で届けてくれるのでした。玄関先に置かれていたこの木の箱は、明治でも、森永、雪印でも、グリコでも大抵同じ黄色で、調べてみると値段は一本一ヶ月で290円ほど(昭和35年頃)だったようです。 今思うと、この何でもない小さな黄色い箱は、幸福を象徴しているように思います。

「驚くべきものを売っていた昭和の薬局」

 「僕の昭和スケッチ」123枚目 戦後、昭和二十年代の薬局では今では考えられない様なものが売られていました。 それは「ヒロポン」、つまり覚醒剤です。 信じられないことですね。今時ならば、覚醒剤所持イコール即逮捕です。けれど、当時は違法なことでは全くなく、戦後の混乱の中でごく当たり前に覚醒剤が疲労回復や頭がスッキリする薬として販売されていたのです。 因みに、うちの実家は、僕が生まれる前には雀荘をやっていた時代があり、祖母は昔を思い出してよく言ったものです。 「徹マン(徹

「飛騨は雪の中」冬の高山本線

 「僕の昭和スケッチ」122枚目 飛騨に行くなら冬がいい 紅葉に染まる山々を車窓に見ながら走る秋の風情は格別だけど 僕はやはり冬の高山本線の車窓から眺める景色が好きだ 枯れ木で覆われた山々・・ 眼下に流れる飛騨川の水の流れ・・・ 純白の雪に映えてそのエメラルドグリーンの美しいこと 上の絵は、昭和40年代後半に飛騨を訪れた時の記憶です 皆さんも岐阜に行くなら、ぜひ冬の飛騨高山へ *ちなみに、同じ飛騨方面に向かう列車でも、僕の郷里の岐阜駅発の列車を「高山本線」と言い、

「清潔好きな現代人」昭和の食卓

 「僕の昭和スケッチ」121枚目 上の絵は、昭和30年代半ば頃に母親の在所で私が見た箱膳の記憶です。 在所は大きな百姓屋で食事の時間になるとこの箱膳が各自の前に並び、皆それぞれ食事をするのでした。 当時、庶民の家庭では丸いちゃぶ台を囲んで食事をしているところが多かった様に思います。もちろん僕の実家も同様でした。漫画「巨人の星」星飛馬の父親がひっくり返す、あれです😅 ですので、在所でこの箱膳で初めて食事をした時は驚きました。 食べ終えると、お茶碗はお茶で濯ぎ、そのまま箱の