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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2022年1月の記事一覧

菓子工場まで5円握って歩いた夏の日

 「僕の昭和スケッチ」120枚目 子供の頃に、ある噂が町内で広まりました。 町外れのどこかに小さな菓子工場があり、そこへ行くと割れて売り物にならなくなったせんべい等を大きな袋に入れて5円で売ってくれる、、、という噂でした。 親や近所の大人に聞いてみると、どうやらそれは本当のことらしく、、、 僕たちはある日3人でそこに向かったのでした。 夏の暑い昼下がりで、もう汗だくで30分ほど歩くと(まだ低学年で自転車を持っていなかったのです)、果たして低い屋並みの路地裏にその菓子工場

「ラジヲの話」昭和の暮らし

 「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ119枚目 昭和の頃、ラジオは僕らの暮らしと共にいました。 1953年にテレビ放送が始まっても、値段の高いテレビは中々普及せず、ラジオはまだまだ娯楽や情報伝達の花形だったのです。音楽やドラマ、さまざまな名番組がラジオから生まれました。 □子供たちの大好きだった「赤胴鈴之助」. □お風呂屋を空にしたというラジオドラマの伝説的番組「君の名は」. □「野球放送」や「相撲放送」、「落語」! □少し時代は下がりますが、「オールナイトニッポン」

「エンガチョと叫んだ日々」昭和の民族風習

 「僕の昭和スケッチ」118枚目 子供の頃に誰かが犬や猫の〇〇を踏んでしまった時、「えんがちょ〜」と叫びませんでしたか? 調べてみると、エンガチョは「縁をチョン切る」が語源とされる説が有力のようです。穢れや不浄なものから指で印を結んで自分を守るこの風習は古くからあり、13世紀ごろの*平治物語絵巻に信西の生首を見ている人々が人差し指と中指を交差させている図が確認できる、とWikipediaにも記載があります。 この民族風習はやがて時代と共に「バリヤー」などとも言われるよう

「付録満載だった昭和の漫画月刊誌」

 「僕の昭和スケッチ」117枚目 昭和の漫画月刊誌には「付録」がドッサリついていました。 少年誌、少女誌共に人気作は本誌に8ページほどを掲載し、A5版の付録漫画を数冊、プラス付録のグッズを付けるというのが定番でした。少女雑誌には上の絵のような実用的な付録グッズが多かったようです。これは、今の女性雑誌にも同様の傾向が見られることを思うと面白いですね。 価格は、120円くらいだったように思います(昭和30年代半ば)。 まるで宝箱のようで、男の子も女の子も毎月の発売日を心待ちに

「雪国の通学」豪雪の山中を・・・

 「僕の昭和スケッチ」116枚目 雪国の冬の暮らしはとても厳しいものです。 山間部に暮らす子供達は雪の山道を蓑(みの)に身を包んで、一時間、二時間と歩いて学校へ行ったものです。 (*)この絵は、飛騨の山間部で育った友人の言葉を思い出して描いた作品です。 <©2022もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています> (©2022 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)