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僕の昭和スケッチ

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「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
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2020年9月の記事一覧

昭和銭湯遊び/タオルボートって知っていますか?

  「僕の昭和スケッチ」30枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> これがタオルボートです! 絵の手順でタオルでボートを作る(タオルは普通のもので全然オッケー)。 超カンタンなので、やってみて下さい。 僕達は子供の頃、銭湯の湯船でこんなタオルボートで遊んだ。 湯船にタオルを入れる事にそんなに神経質な時代ではなかったから出来た事なので、今の銭湯ではNG。家庭のお風呂でお子さんにやって見せてあげて下さいませ。膨らむ部分を上から指で摘んで湯に浮かべるのがコツです。

昭和銭湯とB級お色気コメディ映画

  「僕の昭和スケッチ」29枚目 こんなのを張っていいの? そんなエッチ(死語)なポスターが昭和の御代には堂々と銭湯に張られていました。 例えば、その代表格は「温泉○○芸者」!(上の絵の中央部参照) この○○に入る言葉は、あまり上品な言葉ではなく、noteの淑女の皆さんのお目に触れるのも憚られるため伏せさせて頂いたが、要するにこの温泉芸者シリーズというのは何れも馬鹿馬鹿しいB級お色気コメディ映画の横綱だと思って頂ければ間違いありません。 だが、私達はそのお色気満載のポス

続伊勢湾台風/私の恥ずかしい思い出

  「僕の昭和スケッチ」28枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> (昨日の記事「空前絶後の伊勢湾台風/昭和34年」の続きです) 台風一過の翌日は晴天。 表に出てみると付近一帯が膝の辺りまで湛水しており、ゴミが至る所に浮いていた。 その中にみかん箱のような木の箱が浮いていた。何処からか流されて来たものだった。 私は興味津々で近所の子供らと一緒になんとかその箱を水のない所まで引き上げた。皆小学校の低学年か幼稚園生だったから、かなり手間取ったのを覚えている。

空前絶後の伊勢湾台風/昭和34年

  「僕の昭和スケッチ」27枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 大きな台風が来るというので街中の商店が早々と店を閉めた。上の絵は、町内の果物屋の小父さんが板きれをガラス戸に打ち付けて防戦体制必死の構えの図。 果物屋さんだけではない。当時の家屋のガラス窓は薄く割れやすいものだったので何処の家でもこれは必須の作業だった。 だが、この時点では誰もこの後あれ程の大災害に襲われるとは予想だにしなかった。今思えば、街は嵐の前の静けさのようなものに包まれていたように思う

彼のあだ名がアタンテになった訳

  「僕の昭和スケッチ」26枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> アタンテというあだ名の少年が町内にいた。 ちょっと泣き虫。 缶けりなどで自分がオニばかりになると泣き出してしまったり… 町内の番長格の少年にちょっとニラまれると又々泣いてしまったり… まぁ、彼が一番年下だったから無理もない…5才くらいだったように思う。 で、なぜあだ名をアタンテと言ったか…? 駄目だ、やめろ、とか言うのを岐阜の方では「あかんて」という。 アタンテ君は、自分がオニばかり

オカマの正ちゃん/柳ケ瀬界隈昼と夜

「僕の昭和スケッチ」25枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 柳ケ瀬は美川憲一の「柳ケ瀬ブルース」で全国区になった街。 昼間は買い物客で賑わう街だが、ネオンに灯りが点る頃ともなれば柳ケ瀬は別の顔を見せる。それは昼間とは些か違う顔だ。賑やかだった商店街は寝静まり、逆に周辺を取り囲む飲屋街が息を吹き返す。そして、様々な夜の面々がネオンの下を闊歩するのだが… 中にはこういう人もいた…… 「おかまの正ちゃん(仮名)」というのがその人。 正ちゃんは綺麗な空

三角ベースと昭和少年達

  「僕の昭和スケッチ」24枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> 僕らは岐阜市内のk神社や市民センター公園でよくソフトボールをやった。 同時にそのあたりは夜ともなれば電柱の陰で男達の袖を引く女のたむろする場所でもあった。時に行き交う男達と大声で罵り合い…時に又じゃれ合う…そんな彼女達の声を聞きながら僕らはソフトをしていた。 「あんたら下手やねぇ」と煙草にむせながら笑いころげる女もいた。 僕らは、全く同じ場所で同じ昭和と言う時代を生きていた。

落とした蜂の巣と郷土料理へぼめし

 「僕の昭和スケッチ」23枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> (僕の昭和スケッチ「夏休みの思い出/小学校の木造校舎」の続きです) さて、小学校の木造校舎から落とした蜂の巣は上の絵のようなもの。 アシナガバチの巣で、だいたい小ぶりのリンゴくらいの大きさだったように思う。中には蜂の子や成虫になりかけの個体がぎっしりと詰まっていた。蜂の子は、人間が食べても美味しいようで、日本全国の山間部で昔も今も食べられている。昆虫食としてはイナゴと並んで有名な存在だ。 特

日本にコーラが現れた日/赤と黒の革命

  「僕の昭和スケッチ」22枚目 あのアメリカンな赤い看板。それはある日突然、日本全国あまねく木造だった酒屋や菓子屋の店頭に掛けられた。 そこで見た不思議なフォルムの瓶、中に詰められている真っ黒な液体。 「不味い…?」 飲み慣れないその味に最初はそう思った人もいた。私の母も実はそう言った。 だが、その不思議な飲み物は瞬く間に日本中を席巻して行った。 その赤と黒は戦後の貧困から脱却する鮮やかな革命の色の様に思えた。

金魚を売る不思議な電気屋さん

「僕の昭和スケッチ」21枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5> ひどく暑い日が続いた夏だったが、季節が変わっていくのはいつもどこか淋しい。今日は、夏の商店街の記憶。 昔、柳ケ瀬通りの南の入り口の角に電気屋さんがあり、毎年夏になるとその店先で金魚が売られていた。 青い縁取りの美しいホーローの洗面器の中で、涼し気に泳いでいた大小様々な金魚達… ワキン、リュウキン、デメキン、黒い奴、赤い奴、でっぷり太って自慢げに尾を揺らす奴。棚に30個程ずらりと並べられた洗

僕の育った街/柳ケ瀬裏通りの記憶

  「僕の昭和スケッチ」20枚目 これは、ネオンがぼんやりと点り始めた時間帯の柳ケ瀬裏通りの記憶。ゴミが散らかり、すえた匂いがしていた。この界隈で生まれ育った僕にとって柳ケ瀬の街は日々の生活圏だったが、ある日ふと曲がった事のない角を曲がると、こんな裏通りに迷い込む事もあった。割れたビール瓶が散乱し、タバコの吸い殻が意地汚く地面に散らばっていた。夜の幄(とばり)がおりればネオンが瞬き、皆闇に隠れてしまうのだが… 「光が輝く裏には必ず陰がある…」 日本画を描いていた友人がず

昭和ミニブーム/不思議な乗り物

  「僕の昭和スケッチ」19枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5>  これは昭和に流行って、あっという間にブームが去った、名付けて「昭和ミニブーム」の一つだ。上の絵のように足で踏んで前進後退が出来る。 実際はこれと同じ仕組みで鉄とゴムタイヤで出来たものが販売されていた。ほんの一時期、子ども達に指示を受けて流行ったのだが何故かあっという間にブームは去ってしまった。 絵に描かれているのは、私が欲しがっていたのを知った青柳町の叔父が私のために作ってくれたものだ。切

続夏の終わりの怪談「忍び寄る影」

  「僕の昭和スケッチ」18枚目 (昨日の記事「夏の終わりの怪談/神社に潜むキツネ」の続き) その神社の縁の下に棲むというキツネには、さらに真しやかな噂もあった 夜な夜なキツネが社から抜け出して家々の屋根の上を飛び廻っている、 と言う噂 夜間にコンコンとキツネの鳴く声が屋根の上から聞こえて来る…と言って恐れる女の子もいたという 「キツネがおるよ…キツネがおるよ…、おやねにキツネがおるよ」 女の子のか細い声が夜更けの街に響いたと言う *これは昔、岐阜市内で私の周辺

夏の終わりの怪談「神社に棲む狐」

  「僕の昭和スケッチ」17枚目 <画/もりおゆう 原画/水彩 サイズF5>  昔、岐阜のとある神社の縁の下にキツネが住んでいるという噂があった。そのキツネは、時折縁の下から抜け出して近隣の家々に悪さをするのだと言われていた。 「味噌汁に入れる油揚げが頻繁になくなるのは、あのキツネ様のせいだ」と言う老婆もいた。 だが、むろん創り話に相違ないと大抵の大人達は笑った。 しかし…中には真しやかなことを言って子ども達を怖がらせる輩もいた。 「かの社の縁の下には金網が張って