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なぜ生まれてきたのかなその3ー女王様みたいだったと言われた小学生時代ー

子どもは親を選べないというけれど、そうなのか?
池川明先生の書く本によると、子どもは親を選んで生まれてくるという。
私はなぜ、あの親を選んだのか?
約半世紀考えつづけた。(ながっー)

で、その答えは、私が作ることにした。だから、今これを書いている。

小学生にあがり、平仮名を書くのが宿題だった頃、
微かな記憶にあるのは、母がやたらと神経質に、連絡ノートに私のことをあれこれ書いて、それを担任に見せろと言っていたことだ。

頭に2度の大きな怪我をした娘がまともかどうか不安だったのだろう。そして、自分みたいに、勉強できなかったらどうしようと不安だったのだ。多分。

いちいち連絡帳を見せるのは嫌だったような気がするが、それよりもそのあと私にとって大きなインパクトのある出来事が起こった。

当時、童話を覚えて皆の前で語ると言う童話大会?みたいなものが学校であった。一年生の私は、学級で選ばれ、学年で選ばれ、学校で選ばれて、市の開催する童話大会に出ることになった。一年生が学校の代表として大会に出るのだ。

両親も喜んで、貧乏だったのに、大会での、私の出番を録音するためのカセットテープレコーダーなんか買ったりして、見にきてくれた。

俗に言うできる子どもとしてのスタートが始まったのだ。
勉強は、本当に苦痛ではなかった。何をしても早くて正確にできた。
学級代表には大抵選ばれ、
夏休みの科学研究などでもたくさん賞をもらった。
ひたすら、真面目な優等生だった。

小学生当時の私のことを、ある同級生は、女王様みたいだったと言う。本人はそんなつもりはなかったけれど。そう見えた人もいたのだ。

でも、、、
幼稚園とか、小学生の頃から、母が近所の人から馬鹿にされたりからかわれることを、私は見て知っていた。

だからこそ、私は自分が勉強できることが、救いだったのだ。

だから、常に頑張っていないと不安だった。
いつも、ちゃんとしていないと不安だった。
人から後ろ指を刺されるのではないかと、いつもどこかで不安だった。
頑張ってないと、いつ、やはりあんな親の子どもだよね、と、指を刺されるのではと、不安だった。

だから、余計に偉そうにしていたのかな。それで女王様みたいに見えたのかな。

守ってくれるはずの親が、周りから馬鹿にされる存在であるということは、
子どもにはとても大変なことだった。少なくとも私にとっては大変なことだった。

それに気がつくのはずっとずっと大きくなってからだったけれど。

家では、明るくて面白い母とは仲良くしていたと思うけど、だんだん、はっきりと母をバカにするようになっていた。
例えばだけれど、母に料理を教えてもらったことがない。台所に立つと、母の所作に、私はイライラした。家庭科で習ったことと、違う。自分がやった方が早い。
頼りにならない、話しても求めるものは返ってはこない、私はだんだん、母に学校のことや自分のことを話さなくなっていった。母に深く失望していたのだ。でも、それは、あまりにつらいことだったから、私はその気持ちに長いこと蓋をしていた。本当は話ができる母でいて欲しかった気持ち。そういう母でないという悲しみに。

一方で母は、私に、自分が未熟児で生まれ、継母からいじめられていたことを、くったくなく、まるでお話を読み聞かせるように繰り返し私に聞かせた。

さらに、私が生まれたとき、父は「なんだ女か」と言ったことなど。そんなこと、子どもに言うことではなかったのだ。
それが、子どもにとって、どれだけ酷なことかを知らずに。。。
私は父からは愛されていないと思っていた。弟の方が可愛がられていると思っていた。
勉強のできる、優等生の娘を、父は、褒めることはなかった。「失敗すれば良いといい」さらに、少し成績が下がるとそれだけ指摘した。失敗すればいいというのは、ある意味親心だったのかもしれないけれど、娘としては傷ついた。
認めてはもらえない愛されない、弟の方が可愛いんだ、そう感じた。

話は母に戻るが、
お盆など、母の実家に帰るとき、母が冷たくされることや、他の親戚とは別にされること、継母の祖母が私には優しくはないこともわかっていた。

悔しかった。そんな扱いをさせられる母がかわいそうで、親戚や意地悪な継母を、見返してやりたかった。私が勉強ができることで。。。勉強できることに、価値をおく一族だったから。だから、余計に私は完璧な優等生でいなくてはならなかったのだ。

私は母の敗者復活戦に、勝手に挑んで空回りしていたのだ。

でも、暗い思い出ばかりでない。
私は空想好きで、物語を作ったり、手芸が大好きで、何かを作ることが大好きだった。
友達と遊んだりもした。普通の小学生の部分もあった。
家族で毎年、海水浴に行ったり、お正月も大きなイベントとして楽しかった。

そして、なぜか、
夜寝るとき、私はこんな空想をした。
生まれる前の世界が私にとっての本当の世界、
こんな家族の元にいて、こんな兄妹がいて、、
そこでは、私は本当に子どもらしくのびのび、遊びまわって、安心して暮らすのだ。私はそこから。たまたまここにきているのだと。それが、とっても救いだった。

子どもらしく、できてなかったのだなと、今では思うけれど。。。

こんなこともあった。
小学生の高学年の頃、父は体が弱く、入院していた。ある日夜中に電話がかかってきて、母は困っていた。何を言っているの?みたいな、、私が目が覚めて近寄ると、お父さんの電話だからでて、と私に受話器をわたした。
病院先の父と思った私は言われるままに電話に出て、
早く元気になって、そう言った。
電話口で、お前は早く寝ろと声がした。今思うと酔っていた男の人の声だったのだ。

その後、入院先に、父が電話をしたのか確認したら、父ではなかった。母が、勝手に父だと思っただけだった。

その電話はいわゆるエッチな電話だったのだ。母はそこで脱げとか電話口で言われたらしい。
その電話を、小学生の娘に出させる母親がいるのだろうか?
私にも娘がいる。
私ならそんな電話に娘を出すなんてあり得ない。絶対に出さないし、内容も言わない。
でも、私は小学生で、母のすることがおかしいと、わからなかった。
わかったのは、ずっとあと、子どもを育ていくうちに、だった。

私はそれでも、母が大好きで、母を救いたいと、思っていたのだ。
優等生のその親で、いい思いできたでしょ。って、それで母の心の傷が癒されるのではないかと思っていたのだ。
子どもだったから。。。

続く
















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