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後輩がイケメンすぎると問題かと… 第10話

1

通話が終わると恵基は携帯をポケットに仕舞った。そして先程の話題ではなく、稔さんから受け取った情報を話し始めた。

 「警察の事情聴取で、極秘を条件に葉山弥生が真由美さんとの関係を認めたそうだ。でも、お互い退屈凌ぎの遊びだったって言ってる。弥生も既婚者で真由美さんとの関係はあくまでも自分が独立するための手段だったって供述してるそうだ」

 「つまり真由美さんの資産目当てで付き合ってたということ? 」

 「そう。エステ店舗の購入資金を提供したのも、真由美さん。書類上は葉山弥生1人がエステを購入したってことになってるけど、真由美さんも共同経営者としてエステ店舗を経営していく主旨の私的な誓約書が2人の間で交わされていた。真由美さんは中嶋社長と離婚して弥生と一緒にエステ界に進出する決意をしていたそうだ」

 「そこまで葉山弥生に入れ込んでたってことだね」

 「少なくとも、近年では真由美さんが一番心を奪われた人物みたいだな。 
 弥生は真由美さんと中嶋社長の関係に関しても証言したらしい。真由美さんは完全なLBGTで、女性にしか恋愛感情を抱かない人だったそうだ。中嶋社長はそれを承知の上で真由美さんにプロポーズして結婚したらしくて、社長と真由美さんの間には事実上の夫婦関係は皆無だと真由美さんが弥生に告白していたそうだ」

 「じゃあ、中嶋社長と真由美さんは彼女がLBGTを隠すための偽りの夫婦関係だったってことだね」

 名家のお嬢様だけに外面を取り繕う必要があったのかもしれない。もし、真由美さんが学生時代から田口麗子さんと関係があったとすれば… 真由美さんは大学卒業直後に結婚、そして麗子さんはその3年後にミュゼの社長秘書に採用されている。中嶋社長と結婚した真由美さんが社長秘書として麗子さんを会社に迎い入れさせて、社長夫人というベールの下で麗子さんとの関係を続けていたという可能性は高かった。
 その真由美さんが葉山弥生に夢中になり、弥生の策略にのせられて中嶋社長と田口麗子を捨て、ミュゼのライバル店を弥生と経営しようとしていたのだ。

 「真由美さんは政界や経済界に強い人脈があったし、ミュゼの顧客の多くがそういった有閑マダムだからな。彼女が経営に参入すれば顧客の多くが真由美さん側に流れるはずだ。オーガニック化粧品製造会社の買収資金作りのつもりでエステ店舗を売りに出した中嶋社長だけど、逆に妻と事業の一部を損失する危機に直面してたわけだ」

 「真由美さんがいなくなれば、顧客を奪われることはないし、売却されたエステ店舗は真由美さん名義のビルだから、相続する中嶋社長にはテナント料も入る。都心のビルだから、かなりの額になるわ」

 中嶋社長と田口麗子の動機がはっきりと見えてきつつあった。

 暫くして静かだったデッキの外から車のエンジン音が聞こえてきた。裏門から入ってきた黒いセダンがこちらに向かっている。中嶋社長の車だ。デッキからは見えないけど、運転しているのはいつものように秘書の田口麗子のはずだ。

 「結構早い到着だったな。よほど俺の発言が気になるみたいだ」
 
 恵基はそう呟いて不敵な笑いを浮かべ、立ち上がった。

2

 「いきなり呼び出されて、殺人者呼ばわりされるとは… 呆れて返す言葉もないな。恵基君、君は新手のドラッグでもやってるんじゃないか? 」

 中嶋社長は憮然として、私が運んだ冷たいウーロン茶に手を伸ばした。大柄の社長には自分のヨットより遥かに小さくて殺風景なこのデッキの椅子の座り心地が良くないらしく、何度も足を組みなおしては体勢を整えている。田口麗子は私達が勧めた椅子には座らず、中嶋社長の後ろに立ち、取り乱すことなく爽やかな微笑を私達に向けていた。

 2人とも余裕の態度だ。

 ―― こいつらにここで何ができる。警察でもないくせに…

 そんな心の内だろう。

 テーブルを挟んで中嶋社長と向かい合う恵基は、私がこの3年間一緒に過ごしてきたあの『虚像』に戻っていた。

 「新手のドラッグかあ。そういう類の物があれば手を出したい気分だなあ。今、俺はあんた達に利用されてものすごく腹立ててるんだ。このまま飛び掛かりたいのを我慢してるからさ、ドラッグでもあればこのイライラ感、少しでも紛らわすことできるかもって思うよ」

 腕組みをして、ジョークのように笑い飛ばした恵基だが、中嶋社長に向けた目は突き刺すように鋭い。

 「私が君を利用した? 何のことか分からんな。しかも、真由美を殺したのが私だなんて… どこからそんなシナリオを作り上げたんだ? 私達は忙しいんだ。暇潰しの探偵ごっこなら他でやってくれ! 」

 悪ふざけをしているような恵基の態度に憤然とした中嶋社長の言葉も感情的になってきた。それを待っていたかのように、恵基がテーブルに肘をつき、中嶋社長と鼻をくっつけるくらいに身を乗り出して激しい怒りの眼差しで言った。

 「俺の船に勝手に忍び込んで、ここにあったアメジストの指輪持ち去ったのはあんただよな? 」

 「何のことだ? 」

 「あんたのヨットの船底から見つかった指輪のことだよ。あんたがここから持ち去り、ご丁寧に自分のヨットに残して捜査を混乱させようとしたあのファッションリングだよ。
 事件があった日、あんたは警察の事情聴取で「隣の船の物かもしれない」って証言した。あれは、俺に盗難の被害届を出させるよう仕向ける策略だったんだよな」

 そうだったんだ… もし恵基があの時、ヨットで見つかったファッションリングを自分の物だと認めて被害届を出していたら… 真由美さんの遺体からは1カラットもあるダイヤの指輪がなくなっているから、初動捜査は必然的に強盗目的の方向に進んでいただろう。

 中嶋社長が ふん とつまらなそうに鼻を鳴らした。

 「あの時君は、あの指輪のことを否定したじゃないか。被害届を出すのが面倒だったからだろう? そんなどうでもいい物を今更掘り返して私にいちゃもんをつけるのはやめてもらおう!」

 社長が顔を背けたその時、これまで冷静を保っていた恵基の形相がはっきりと変わった。突き刺すような目は鋭利な刃物のよう吊り上がり、美しい口元を歪に曲げて、唇から喰いしばった白い歯がギリリと覗いている。まるで牙を剥く獰猛な野獣のように危険なオーラ―を噴出していた。

 「どうでもいい物だって? 勝手な想像でものを言うなよ。俺にとって、あれは指輪じゃない… 『人』そのものなんだよ。あんたがそれを奪って、汚した。身勝手な殺人の小道具なんかに使いやがって… 絶対許せねえ」

 恵基の声が怒りで震えていた。
 これだったんだ… 現場で発見されたあのアメジストの指輪は恵基にとって、掛け替えのない深い意味を持っていたんだ。この事件と中嶋社長に異常に反応して、刑事でもない恵基が社長の裏を暴くことに躍起になっていた理由、それはあのファッションリングが『誘拐』され、殺人のカラクリ道具として『犯された』ことへの彼の怒りと復讐だったんだ。

 ―― 喧嘩じゃねぇ… 俺にとっては戦争だ。宣戦布告してきたのは中嶋なんだよ!
 
 花時計の前で吐き出すように言った恵基のあの言葉… 彼にとってこの事件の真相を暴くことが中嶋社長へ叩きつける個人的な『果たし状』だったんだ。だから、稔さんにも「ケリつけさせろ」って頼んだんだ。

 中嶋社長は相変わらず落ち着いた姿勢を崩さない。私は社長の後ろに立ったまま話を聞いている麗子さんを観察した。
 彼女の顔からは笑みが消えていた。いつもの美しいシルエットで真っ直ぐ立っているものの、彼女の視線はぼんやりと浮いていて、ここにいる誰も見ていない。まるで彼女だけの世界に籠っているようだった。
 中嶋社長が再び足を組み換え椅子に座り直して、恵基の視線を鋭く弾き返した。

 「君たち、私を殺人者と決めつけているようだが、それだけの根拠はあるんだろうな? 」
 
 すかさず恵基も応戦する。
 
 「あんた達がここにいることが、一番の確証だよ。あんたも俺の話の内容が気になって、ここに来たんだろ? 疚しいことがなければ、これ程早急に来る必要ってなかったはずだしな」

 そう言って、両手を頭の後ろで組み、丘に寝そべるような恰好で椅子の背に深く凭れた恵基は、テーブルを挟んで中嶋社長と睨みあった。
 
 「社長…… 」

 麗子さんが中嶋社長の座る椅子の背に片手を置きその視線を社長に向けた。彼女は少し動揺しているようだ。どうしますか? という合図のようにも感じる。

 中嶋社長は大きく息を吸い、また足を組みなおして低い声で呟いた。

 「…… 聞こう、君達のシナリオとやらを」

 社長が椅子の背に深く凭れて腕を組んだのと同時に田口麗子が初めて隣の空いた椅子に優雅な動作でゆっくりと腰掛けた。カモシカのような長い足をきっちりと斜めに流して背筋を伸ばし、こけしのようなすっきりした顔を私達に向けた。
 正面に居座った2人を順番に眺め、恵基が口元だけをキュッと上げた微妙な笑顔を見せた。彼の『果たし状』が中嶋社長に受け入れられた瞬間のようだった。隣にいる私に今度は少し憂いのある微笑を見せてから、前の2人を再度見据えた恵基がその魅力的な口を開いた。

 「ちょっと前に起こったこのマリーナの盗難事件で、あんたは拡張工事中のエリアが管理人室から死角になることを知った。いつ頃から犯行を考えてたのか知らないけど、真由美さんをこのマリーナに連れてくる日を待ってたんだよな? そして先週、その日が訪れた。
 俺が週末によくここに来るのを見たあんたは、今度は妻も連れて来ると言って伏線を張った。あの事件の前日も俺に電話くれたよな? あれは確実に俺をここに呼ぶためだ。 ちょっとした強盗騒ぎから発生した殺人という構図を描くための『目撃者兼証人』を確保したんだ」

 「バカバカしい… 」

 中嶋社長が呆れたように笑い、居心地が悪いとばかりにまた足を組みなおした。その様子を不気味に笑い返した恵基は続けた。

 「俺の船にあったファッションリングが現場で発見された時から、俺はあんたが怪しいと思ってたんだ。俺の船は小型だからな。出入り口も窮屈で、逃走経路も確保しにくい上に狭いスペースしかない。ここで金目のものを探すのはリスク高いんだよ。前回、あんな見事にごっそりとお宝を持ち去ったプロの盗人達が、わざわざ俺の船に侵入する理由がないんだ」

 「だからと言って、私が君の船から指輪を持ち出したという証拠にはならんだろう」

 「問題は『隣の船の物かもしれない』って言葉だよ。他にも船は停泊してるんだ。あんな金銭的価値なさそうな指輪、自分の所有物じゃなかったら「知らない」って言えばいいことだろ? あんた、俺に被害届出させるためにちょっと焦っちゃったみたいだな」

 まるで滑稽な者でも見るように恵基がくっきりした大きな目と眉毛を大袈裟に吊り上げた。

 「話にならん! こじ付けもいいところだ… まあいい、そのシナリオで私がどうやって妻を手にかけたかとやらも話してみろ」

 中嶋社長は相変わらず横柄な態度で恵基を鼻で笑った。隣の麗子さんは能面のような表情で、別世界に逃避してしまっているかのようだ。耳のあたりからしっかりレイヤーが入った短い髪のボーイッシュな彼女は、真由美さんとは対照的にLBGTということが伺えそうな雰囲気だ… どこから見ても淑女そのものだった真由美さんの振る舞いと秘密が逆に事件を複雑に見せてしまってたのかもしれない。

 「昼前にあんたは、管理人の西さんに電話して、ヨットにシャンペン1箱とお摘みを用意してくれと依頼した。でもその時、あんたは既にここにいたんだよ。隣にある俺のクルーザーに隠れてたんだ」

 「どうやって、ここに隠れることができる? クルーザーには鍵がかかってるはずだ」

 「窓からだよ。あそこからあんたはこのデッキに移ったんだ」

 恵基がそう言って、デッキの隣に停泊する中嶋社長のヨットの1点を指差した。そこにはロープで吊られた簡易梯子が垂れていた。水面に降りる際に利用するやつだ。

 「あの日、あんたと俺がここに来ることを知っていた管理人の西さんは、俺達の船の窓を開けてくれていた。元船乗りの西さんは時間通りに動く人だったからな。早朝の日課はその日に到着するオーナーの船の準備と裏門の掃除だ。一番端っこにある俺達の船から準備が始まり、船の準備が全て終わると裏門の掃除という順番だ。作業中の西さんは管理室にいないから、監視の目はなくなる」

 中嶋社長は事件の朝、以前の盗難事件で知ったマリーナへの侵入経路から徒歩でやってきて、道路の端に隣接する寝室側の窓からまず自分のヨットに入った。そして、ヨットの反対側に設置された吊り梯子を利用して隣に停泊する恵基のクルーザーのデッキに降りると、解放されていた窓からキャビンに侵入して、潜んでいたのだ。

「私が何故、隣の君の船に身を潜めないといけないんだ? 自分の船があるのにそんな馬鹿げた事をする意味などないだろう? 」
 
 中嶋社長は腕組みしていた両手の手のひらを上にして広げ、訳が分からんという風に肩をすくめた。

 「1つは、あんたのヨットには誰もいない という印象を与えるためだよ。昼頃、西さんにシャンペン1箱とおつまみを用意させるよう連絡したのも、そのためだ。このマリーナを長く利用しているあんたは西さんをよく知ってただろ? とても気が利く人だったから、シャンペン1箱を船底に運んで、そのうちの1~2本くらいは、冷蔵庫に冷やしておいてくれる。つまり、船底からサロンの隅々まで、ヨット内には誰もいなかったって西さんに思い込ませるためだよ。俺のキャビンの窓からは、窓が開けられたヨットのサロンが見えるからな。西さんがシャンペンを用意して出ていったあとで、また自分のヨットに戻ればいいんだ」

 「… なるほど。その他にも理由があるみたいな言い方だったようだが? 」

 「勿論もう1つは、俺の船から適当な物を持ち出して、現場に残すためだよ。捜査を錯乱させる目的に使うつもりだから、持ち運びが簡単で、特別高価な物じゃなくても良かった。きっとあんたは、もうちょいマシな物を持ち出したかったんだろうけど、生憎俺の船は殺風景だからな。持ち出せるのはあのファッションリングくらいだったんだろ? 」

 確かに恵基のクルーザーには必要最低限の物しかない。食器だってホームセンターの安物だ。『盗難』を印象付けるために、この船内で中嶋社長が見つけることができた『お宝』は、あの指輪しかなかったんだ。

 「西さんがシャンペンの準備を終えたのを見届けて、あんたは指輪と一緒に自分の船に戻った。それからの仕掛けは秘書の麗子さんが担当したんだ」

 テーブルに肘をついて顎を支えていた恵基が目だけを社長の隣にいる田口麗子に向けた。睨むとまではいかないけれど、ありったけの悔しさと怒りの眼光で直撃された麗子さんには戸惑いの表情が浮かんでいた。

 「麗子さんは、この近くにあるミュゼの横浜事務所にいた。昼頃、Mベーカリーにサンドイッチとカナッペのデリバリーを依頼してるのを配達した店員が証言してんだ。その店員は事務所に届けて店に帰る途中にまた引き返して、カナッペだけをこのマリーナまで運んだ とも言ってる。金曜が事務所の定休日だってことには気が付かなかったみたいだけどな」

 「ええ、確かにあの日は定休日でした。でも社長は仕事を終えた後で奥様とここに来る予定でしたから、本社より近いあの事務所で仕事をされたんです」

 恵基の鋭い眼光に気負いしながらも、しっかりした声で麗子さんは社長を庇おうとした。この2人の関係も頑強そうだ。

 「あんたの社長は事務所じゃなくてこのマリーナにいたんだけどな… まあいいよ。とにかく事務所にはあんたら2人以外に誰もいなかったんだから、そこでカナッペに睡眠薬を混入させるなんて、ものすごく簡単なことだったはずだよな」

 そして、Mベーカリーの店員が配達した睡眠薬入りカナッペを西さんが受け取ってヨットに運び、サロンで盛り付けた。その光景は私がこの目で見ている。

 「西さんがヨットでカナッペを盛り付けていた時、社長はヨットの船底に隠れていたんだ。これもよく考えたよな… 午前中にシャンペンを船底に運んだ時は、誰もいなかったんだ。中嶋社長は俺の船にいたからな… まさか船底に社長が潜んでいるなんて思いもしないよ。まあこれでヨットの中には誰もいなかったっていう状況が仕上げられたんだ」
 
 上目遣いで正面の2人を交互に睨みながら、恵基が一呼吸おいた。

 田口麗子はまた遠くを見ている。懐かしむような表情… なんなんだろう? 
 またもや中嶋社長が ふんっ と面白くなさそうに鼻で息をしたのに反応して、恵基が話を再開した。

 「夕方、あんたは西さんに連絡して真由美さんだけ向かわせる旨を伝え、秘書の麗子さんが真由美さんを連れてここにやってきた。予め事情を伺っていた西さんは、合鍵で真由美さんを船内に入れ、麗子さんと一緒にその場を去る。船内にあんたがいるとは思わないし、麗子さんは船内に入ってないんだから、西さんからしたら、船内は真由美さん1人だけのはずなんだ」

 そして麗子さんは正門から出て行った。これで、一旦帰っていったという印象がつけられる。

 「ヨットに入った真由美さんの前に、あんたは姿を現した。シャンペンとお摘みがセッティングされてるんだ。ちょっとしたロマンチックなサプライズとでも思わせたんだろ? 離婚を考えている真由美さんが喜んだかどうかは別にして、まさか殺されるとは思わねぇよな。とにかくあんたは一緒にシャンペンを飲みながら、彼女がカナッペを口に運ぶように仕向けたんだ」

 そうか… だから床に零れていたシャンペンの量は少なかったんだ。1人にしては飲酒量が多いように感じたけど、真由美さんは中嶋社長と一緒にシャンペンを飲んでいたんだ。

 「睡眠薬と一緒にお酒を飲んだ真由美さんは、わりとすぐウトウトし始めたはずだよ。そして、あんたは彼女を絞殺して、強盗まがいの犯行にみせかけるために真由美さんのダイヤの指輪を抜き取り、俺の船から持ち出したアメジストの指輪を船底に置いたんだ。それから、何食わぬ顔でオンライン会議に出席する。本当はこの船から参加していたけど、用意していた横浜事務所内の映像を背景に流して、いかにも事務所にいるように演出した。睡眠薬でラリってた真由美さんは抵抗も少なかっただろうから音も漏れにくい。そして隣のデッキにいた俺達も、真由美さん以外は誰もヨットに入っていないって証言した。これであんたが犯行時刻にここにいなかったという完璧な状況をでっち上げることができたんだ」

 そして午後9時、麗子さんが今度は裏門からヨットの前にやってきた。管理人が直接開閉する正門と違って裏門はカメラ付きのインターホンを通じて、管理人室から門の開閉をリモート操作できるオートロックだ。

 「裏門に設置されたカメラには麗子さん1人しか映っていなくても、西さんは、社長を送ってきた運転手の麗子さんがインターホンを押したと思うだろ? 車の窓は黒塗りだし、後部座席にいたことにすれば、あんたの姿は映らなくても全然問題ない」

 そして麗子さんはヨットの真正面に車を横づけする。車が浮き桟橋に到着した音を聞いて管理人室の窓から覗いた西さんが見たのは、運転席から出てきた麗子さんが、あたかも中嶋社長がいるように後部座席のドアを空けるところだった。麗子さんが回り込んで開けたのは勿論、管理人室からは見えないヨット側の後部座席のドアだ。

 「そのタイミングであんたは姿を現したんだ。実際は車からではなくヨットから姿を現したんだけど、周囲は暗いし、ヨットの正面に駐車した車は視界を邪魔している。西さんからは、さもあんたが車から降りて浮き桟橋を渡っているように見えたんだよ」
 
 「はははは…!」中嶋社長がわざとらしく大きな声で笑った。そして、大きな溜息を1つつくと呆れたような面持ちで言った。

 「なかなか面白いシナリオだ。全て状況証拠のこじ付けで余興としては充分だった。だが… 」

 皮肉の途中で、社長の顔がニヤリと不快な微笑を見せた。

 「君達のシナリオでは私は自分のヨットにいたことになってるが、あの日私は事務所の前にある花時計をバックに写真を撮ってるんだ。撮影時刻は6時40分、写真の中の時計の針がしっかりとそれを証明してくれている。その時間、私は事務所にいたという動かぬ証拠だよ」

 中嶋社長が勝ち誇ったように私達を見下して、蔓延の笑みを浮かべた瞬間、恵基が社長と同じような憎たらしい笑顔を作り下唇を舐めた。いよいよだ!

 「中嶋さん、あんた色々知恵絞ってアリバイ作ったのは認めるけどさ、その完璧なアリバイが墓穴を掘ることになったのも皮肉だよな」

 「どういう意味だ… 」

 中嶋社長の笑みがピタリと止まり、訝しい表情へと変わっていった。

 「あの花時計の中にスイフヨウって種類の花があったんだよ」

 「なんだ、それは?」

 「俺達男ってさ、花には興味ないだろ? 俺も知らなかったんだけど、その花って時間で色が変わっちゃうんだって」

 「どういうことだ…? 」

 体を硬直させて、目を白黒させている中嶋社長の姿を満足そうに眺めた恵基が、突然私にウインクしながら言った。

 「由美さん、説明してやってよ」

 「あ、うん… 」

 ニセモノ恵基のウインクってわかってても、やっぱりドキッと反応してしまう。鼓動の高鳴りを落ち着かせるために大きく息を吸って椅子に深く腰掛け直してから、私は中嶋社長と麗子さんに説明を始めた。

 「酔芙蓉という花は1日のうちに色が変化していくんです。朝は白いけど、時間と共に花の色が赤みを帯びていく。午後は濃いピンク色になって夕方には萎れるのがこのお花の特徴なんです。花色が次第に変化していく姿が、お酒を飲んで顔が赤くなる姿に似ているからこの名前が付けられたそうですけど… 」

 そこまで説明して私は自分の携帯を取り出し、ゆりかちゃんの誕生日にみんなで撮影した記念写真を表示させた。

 「これは私達が昨日の夕方に花時計の前で撮影した写真です。ここに写っている花時計の酔芙蓉はピンク色で、すでに萎んでいるものもあります。でも、中嶋さんがブログにアップした画像の花時計では、とても瑞々しくて白い花色の酔芙蓉が咲いていました」

 私はそれだけ言うと、恵基に顔を向けて話を終わらせた。中嶋社長との決着をつける瞬間を心待ちにしていた彼に最後のバトンを渡してあげるためだ。私の目線を受け取った恵基は、キリリと結んでいた口元を少し緩めて、ふわりと軽い笑みを見せた。そして恵基は中嶋の両目を真っ直ぐに捉えて勝利の言葉を告げた。

 「つまり、あんたが撮影したあの写真は『夕方』じゃなくて、『朝』の6時40分だったんだ。それをあの写真の花時計がバッチリ証明してるんだよ」

 あの日、時計の指針は確かに6時40分。でも酔芙蓉の白い花びらは、それが朝に撮影されたことをはっきりと示していた。

 「あんたは早朝、あの写真を撮影してそのまま徒歩でここに侵入した。あとは、さっき話したとおりだ。そしてオンライン会議の休憩時間に、携帯のスクリーンショット機能で朝撮った写真をもう一度撮影して、その画像を会議出席者全員に送信したんだ。そうすれば会議の参加者が受信する画像ファイルの撮影時間も送信時刻と同じ夕刻の6時40分になるからな。完璧なアリバイの完成だ」

 犯人でなければ手の込んだ小細工でわざわざ画像を作り上げる必要なんてないはずだ。中嶋社長は自ら完成させた完璧なアリバイに足をすくわれてしまったのだ。

 犯行時刻のアリバイは崩れた。中嶋社長と恵基は緊迫した空気の中、テーブルを挟んで睨み合いを続けている。麗子さんは相変わらず遠くを見詰めているけど、その頬には夕日を浴びた涙の跡が一筋の光沢を作っていた。
 少し風が出てきた。私達の小型クルーザーは波に押され、隣に停泊する中嶋社長のヨットに何度もコツンとぶつかりながら離れていく。人間の怒りと悲しみ、そしての諦念が渦巻くデッキで、その音だけが正確にリズムを刻んでいた。

「1つお伺いしてもいいですか?」

 忌々しげに恵基を睨み続けている中嶋社長に向かって私は穏やかな声を発した。それは負の感情が漂う混沌とした空間に吞み込まれながら、張り付いた空気を中和していくようだった。中嶋社長と睨み合っていた恵基が怪訝そうな顔で私を見た。

 「奥様を殺めた本当の理由は、何なんですか? 」

 それが私の中で小さな疑問となっていた。

 「私達は、真由美さんと麗子さんが恋愛関係にあったという事実を掴みました。そして社長もその事をご存じで結婚されたということも… 葉山弥生がそう証言したそうです。それが事実ならば、化粧品会社の買収を成功させるだけの目的で真由美さんを排除したのではないような気がするのですが」

 会社の買収に不利となる真由美さんと麗子さんのスキャンダルを隠蔽することと、資金繰りのための遺産目的が中嶋社長の動機だったなら、社長が2人の関係を結婚する前から知ってたというのは変だ。真由美さんと麗子さんの関係を認め、これまで隠し通してきた中嶋社長が麗子さんと結託して殺人という極端な手段に出るのは理に合わないような気がする。
 真由美さんの心変わりでその関係にピリオドを打たれつつあった麗子さんが嫉妬に任せて犯行に及んだ というのなら多少の理解はできるけど、それでもここまで緻密に計画された犯罪にこの理論はそぐわない。そう考えると、これまで均衡を保ってきたこの3人の異質な関係が、葉山弥生という新しい恋人の出現でおかしな方向に流れて行ったのが原因ではないかと感じたのだ。

 「ふん、何を勝手に馬鹿げたことを… 会社の買収問題なんぞで真由美を殺すわけないだろう。そんなのは当たり前だ! 私は… いや私達は真由美を心底溺愛していたんだ!」

 中嶋社長の言葉尻が、半分涙声のように聞こえた。
 その隣で麗子さんは重ね合わせた両手を口元で丸め、祈るような姿で目を閉じていた。
 中嶋社長が再び足を組み替えて座り直し、私にその大きな体を向けて語り始めた。

「初めて真由美と出会ったのは、私が高校生の頃だ。夏休みを利用して私の田舎に避暑にやってきた東京の資産家家族、両親に連れられた7歳くらいの少女が真由美だった。ポニーテールを揺らして両親に微笑んでいる姿は天使のように愛らしかった。その瞬間から私は、彼女の虜になってしまったんだ。
 将来、この娘(こ)と結婚する―― そう誓った。
 勿論、真由美と私は言葉すら交わしていないのだから、彼女が私の想いを知る由もなかった。夏が終わり、真由美の姿が消えると私は彼女の事を調べ始めた。由緒ある医者の家系で父親は美容整形外科を営んで大成功していること、小中高から大学まで一貫した名門女子校に通っていること… 映画や音楽の趣味、好みの食べ物や色まで彼女の全てを可能な限り調べ上げたんだ。
 東京の大学へ入った私は彼女の実家の近くで1人暮らしを始め、偶然を装い真由美に接近した。全て私の計画通りだった。彼女は名家の一人娘だけあり、我が儘の塊のような娘だったが、私は魂までもくれてやる覚悟だったんだ。私にとって、真由美は大輪の華のように艶やかで、女神よりも高貴な存在だった。花が大好きな真由美になけなしの金を叩き毎日違う花を送ったりもした。私は兄のように慕われはじめ、真由美が大学に進学した頃、彼女がLBGTであることを告白してくれた。私はそれでも構わないと思った。彼女が傍にいるなら、私の人生全てを投げ出しても構わないと思ったんだ。
 ある日彼女が私に紹介したい人がいる と、1人の女性を連れてきた。それが麗子だ」
 
 中嶋社長は同胞を労うような柔らかい瞳を隣にいる麗子さんに向けた。

 「真由美は麗子を生涯離したくない相手だと言った。だが彼女の立場上、公にはできないと悩んでいた。私は真由美にプロポーズして隠れ蓑となることを提案した。真由美の幸せは私にとっての幸せ、だから麗子も家族だ。
 生憎私には医者になる程の学費も能力もなかったが、真由美が世間から後ろ指を指されずに麗子と過ごせる環境を与えることができた。
 毎日真由美の傍にいられる… これが私の願いだった。女は外で作ばいい。真由美にこれまで以上の贅を与えてやり、医者ではない私を見下す彼女の親族を見返してやるために起業家として一心不乱に事業を拡大していった。そして麗子が大学を卒業して、当初の約束通り私の秘書として私達夫婦と行動を共にする頃には、ミュゼは飛躍的な成長を遂げていたんだ」

 「そんなに大切な真由美さんの命を何故… 」私がそう言いかけた時、これまで一言も喋らなかった麗子さんが、いきなり目をカッと見開いて叫んだ。

 「葉山弥生のせいよ! 」
 
 そして、そのスレンダーな体をわなわなと震わせながら、まるで念仏を唱えるかのような抑揚で麗子さんが言葉をボソボソと繋ぎ始めた。

 「あの女は真由美さんを利用するために近づいてきた。最初は真由美さんの交友関係を利用してミュゼの顧客を自分が運営するエステサロンに横取りして業績を上げるために… そして真由美さんがLBGTだと知ると、彼女と関係を作り彼女を誑かして資金繰りさせ、ミュゼのエステ店舗を買い取る計画までしていた。興信所を使って葉山弥生を調べた私と中嶋社長は、彼女が既婚者であっただけでなく、LBGTでもないことも知った。真由美さんを騙すためだけに自らの体を使っただけ。興信所が入手してきた盗聴テープの中で弥生が、
 『真由美なんて単なる金蔓に決まってるでしょ? そのうち頃を見計らっておさらばするつもり。店舗の名義は私になってるし、あの高飛車なレズ女がゴネるようなら店舗を高く売りつけてやるわ。名門のお嬢さんは世間体もあるから嫌とは言えないわよ』と、旦那に喋っているのを聞いた時、私と社長は腸が煮えくり返るように悔しかった…!」

 麗子さんの単調な口調がだんだんと激昂していき、悔しさのあまりに最後の言葉は途切れてしまっていた。

 「真由美さんにそのことは伝えたんですか? 」

 麗子さんの気持ちを落ち着かせるために、私は少しだけ時間をあけて尋ねた。けれど、麗子さんは感情が高ぶりすぎて喉が詰まってしまったようだ。代わりに中嶋社長が答えた。

 「勿論、何度も言い聞かせた。ただ真由美はあの弥生という女にすっかり洗脳されてしまっていてね… 麗子の言うことも私の言葉にも耳を貸さず、私達の溝はどんどん深まっていくばかりだった。とうとう真由美は私と離婚して同時に麗子との関係も終焉すると言い出してしまったんだ」

 「だからって、どうして真由美さんなんだよ? どうせ殺すんだったら葉山弥生の方だろ? 」
 
 私は何の躊躇もなく『殺人』という言葉を口に出す恵基を鬼のような形相で睨んだ。愛する人を手にかけてしまった罪に悲憤慷慨している人達を前にして、あまりにも無粋な彼の言葉だった。

 どんな事にも動ずることなく冷静沈着に行動できる恵基は『慈しみ』という感情が欠如している。幼い頃から他人を欺くことだけを教えられて育った彼は、人間本来の自然な感情に触れる機会が得られなかったのだろう。彼の虚像が演じる優しさやマメさは社会生活をする上でのテクニックに過ぎなかったのかもしれない… そう思った。

 恵基は正面の中嶋社長が発する次の言葉を待っている。社長と麗子さんは既に犯行を認めたも同然なのに、目の前の彼ら達を更に晒し者にするつもりだ。彼が見せた容赦ない冷徹さに私は、華やかな外見を伴った恵基という虚像に潜んだ『壊れた感受性』を目の当たりにした。

 中嶋社長が目を閉じて静かに答えた。
 「…弥生を排除してしまえば、彼女の周囲から真由美と弥生の関係が明るみに出てしまう可能性が高い。真由美は警察から事情聴取だけでなく、ゴシップ好きなマスコミと世間の好奇の目に晒されてしまうだろう。それは真由美が一番恐れていたことだ。それに… 事情はどうあれ、真由美は弥生に夢中だった。私達が弥生のような醜悪な女に手を下して、真由美を悲ませることなどできる訳ない… 」

 「だから真由美さんを昇天させたの! 」

 中嶋社長の言葉を待たず、麗子さんがそう叫んで嗚咽した。

 「エステ店舗の購入に成功した弥生が真由美さんを捨てるのはそう遠くない。少女のように無垢で美しい真由美さんを守るために、私と社長は彼女を『永遠の世界』に捧げることにしたのよ。弥生が真由美さんに近づかなかったら、私達はずっと3人だけの『秘密の世界』に閉じ籠っていられたのに… 全てあの女のせいよ! 」

 真由美さんを愛し敬い過ぎるあまり病的に歪んでしまった関係が招いた殺意… 私は遣る瀬無い想いの中、失った妻への悲しみと自らの罪を反芻している中嶋社長に問った。

 「真由美さんにシャンペンを飲ませて、カナッペに睡眠薬を入れたのは、彼女が意識を失い、恐怖と苦しみを感じさせないためだったんですね? 」
 
「そうだ。真由美は最後まで美しかった… 苦悶の表情すらなく、まるで眠りの国へ旅立ってゆく天女のようだった。贅を尽くしたヨットのサロンで極上のシャンペンを口にして… 彼女の死は警察の方向違いの捜査が原因となり、犯人不定のまま永遠のミステリーとなるはずだったんだ」

 暫く中嶋社長は笑うとも泣くとも思えないような眼差しをうす暗くなっていく空に向けていた。やがて何かを思いついたように恵基に向き直した彼は、不気味な薄笑いを見せて言った。

 「私は君の正体を知っているよ」

 恵基が無言で長い眉毛を被せ訝し気に目元を細めた。

 「私も敵は多い方なんでね。1か月ちょっと前、君が私のヨットの隣にやってきた時、調査させてもらった。最初は何処かの金持ち坊ちゃんだろうと思ったが、それにしては余りにも隙がない君の動きが気にかかってね。
 君もよく知ってるだろうが、データーテクノロジーの発達した現代では、身元を割り出すのは容易だ。しかるべきルートを通じてそれなりの金を積めば中央情報局(CIA)の下っ端工作員程度など簡単に割り出せる世の中なんだよ」

 中嶋社長は私達が所属している会社に関しては一切触れなかった。
 と、いうことは恵基は「元」CIAでなく、今もCIAの諜報員ってことだ。謎に覆われた恵基の厚いベールがまたひとつ捲られたような気がした。

 「だから、俺を利用したってことか」

 恵基は表情一つ変えず妙に納得したように呟いた。

 「そうだ。中央情報局の人間なら状況慣れしてるだろうし、正体が暴かれるのも好ましくないはずだ。真由美の事件は、うやむやになるほうが都合良いに決まってる。だから私達の描いた演出にピッタリの役者だと予想したんだが、あのアメジストの指輪が君の怒りに触れ、仇になってしまったようだな」

 中嶋社長がジャケットの内ポケットに手を差し込んだ。警戒した恵基が一瞬構えたが、取り出されたのは『ザ・ピース』の平缶だった。1箱1000円という高級タバコのひとつだ。ダークブルーに金色のロゴが入った缶の蓋を開けた社長は、おもむろに1本取り出して口に咥えた。同時に、隣の麗子さんがジッポーで火をつける。まさに阿吽の呼吸だ。中嶋社長は綺麗に詰め揃ったタバコの平缶を正面の恵基にも差し出して1本勧めたが、彼は首だけを横に振り無言でそれを断った。バニラのような甘い独特の香りが仄かに私達の鼻を擽った。
 ふう―― と息を吐きながら美味しそうに口から煙を出した中嶋社長が、タバコを挟んだ指をテーブルに乗せて言った。

 「君達の勝ちだ。だが我々もこのまま完敗するわけにはいかない。真由美の為にもな… だから、ひとつ君に取引を申し込む」

 恵基は無言のまま椅子の背に上半身を預け、腕組みをして構えた。中嶋社長がすかさずその大柄の身を乗り出して続けた。

 「私達が君達に話した内容、つまり真由美の命を奪った本来の理由をここだけの話として君達の胸に仕舞ってほしい。その代わり、私達も君の本当の正体を誰にも明かさない、どうだ? 」

 「つまり、あんた達の動機の真相を伏せておけ ということかよ? 」

 「そうだ。そうすれば君の正体も口外しない。隣にいるお嬢さんも、君ほど裏社会の人間じゃないにしても、わりと似たような仕事をされているようだが… 」

 社長は私達の動きを前から掴んでいたんだ。そして、自分にアプローチしてきた恵基を徹底的に調べて、彼がCIA関係の人間であることを知り逆に彼の存在を利用してこの計画を立てたんだ。

 「どうだ… 」

 中嶋社長が緊張した表情で真っ直ぐな目線を投じた。

 「ふん、なにが取引だよ。れっきとした脅迫じゃねぇかよ」

 恵基がそう言って社長から目を逸らした瞬間、麗子さんがテーブルに顔をくっつけるように頭を下げ、涙声で訴えた。

 「お願いです! 私達が自ら犯した罪で真由美さんを永久に汚すことだけはしたくないの。真由美さんがいつも凛として美しく、高貴なことが社長と私の全てなの。あなただって、他人に触れてほしくない『何か』があのアメジストの指輪にあるんでしょう? それを守るために、今こうやって私達の前にいるんでしょう? 」

 「麗子、もういい… 理由はどうあれ私達は人の道に反れる行いを犯してしまったのだ。せめて真由美と一緒に世間の白い目に晒されよう」

 テーブルに伏したまま、顔を上げようとしない麗子さん、それを窘める中嶋社長… 2人の痛々しい姿から目を逸らしたままの恵基は無言だった。
  
 やがて、数台の車が到着する音が聞こえた。バタバタと慌ただしい複数の足音が私達のクルーザーの前で止まった。キャビンのドアを静かに開けてデッキに姿を現したのは冴えない茶色のジャケットを羽織った長身の男性、稔さんだった。
 稔さんはいつもの穏やかな面持ちで、デッキにいる私達を一望した後、中嶋社長と麗子さんに向かい含みのある落ち着いた声で告げた。

 「中嶋さん、田口さん、ご同行願えますか? 」

第11話: https://note.com/mysteryreosan/n/nd2883add6119




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