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後輩がイケメンすぎると問題かと… 第14話

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 ミュゼ本社ビルのゴージャスなメインエントランスの前には、その雰囲気とは到底似つかないいかめしい柵が置かれていた。外にはマスコミ関係らしい記者数人が立ち話をしながら内部の責任者を待っている。

 現代の奇跡とまで持て囃され、多くのビジネス雑誌や新聞記事で取り上げられていた注目企業だけに、その社長と秘書の逮捕は様々な憶測が飛び交っていた。マスコミは連日のようにこのスキャンダルを面白おかしく歪曲して報じている。例の葉山弥生も社長と秘書の麗子さんが愛人関係にあったと証言してメディアに積極的に協力すると同時に、ちゃっかり彼女の新しいエステ店舗の宣伝までしていた。私が知っている真実は誰にも語られず、世間は社長と麗子さん、そして真由美さんの関係を全く別の方向で理解していた。

 最愛の人を手にかけた苦しみ… それを自分に課せながら彼女の面影と一緒に永遠に彷徨う… それが中嶋社長に課せられた一番の罰じゃないかと思う。通り一遍の噂でしか語らない他人に真相なんて関係ない。中嶋社長の心中は彼にしかわからないはずだから、私達が普遍的なモラルの物差しを翳してとやかく言う権利なんかないと私は思う。皮肉なことに中嶋社長の気持ちを一番理解できるのは多分、恵基だ。だからきっと彼も中嶋社長が犯した罪の真相を明らかにしなかったんだろう。真実は1つだ。でも、社会の人間全てが敢えてそれを知る必要はないのかもしれない…

 そんな思いを馳せて渦中のミュゼ本社を横目で見ながら、私は裏路地にある小さなイタリアンカフェに向かっていた。時刻は午後4時、夕方5時には初アポがあるけど、ここから赤坂のホテルまでは地下鉄で1本、30分あれば充分なはずだ。

 私は焦る気持ちを抑えながら、路地を進みトリコロールの旗が掲げられた似非レンガの店に急いだ。広く開いた数個の窓からは、それ程大きくない店内のテーブルが外から確認できる。にもかかわらず、気が急いていた私はそのままいきなり店のドアを開けてしまった。

 「いらっしゃいませ」

 カランカランというレトロな釣り鐘の音と同時にスタッフが入口の私に微笑んだ。

 「えっと… 」

 独り言を言って入口に立ち尽くしたまま、店内を見渡した。3時のスイーツタイムも一段落して、丁度店内が空いている時間帯だ。主婦らしいグループと、学生のカップルがちらほら… それから奥の窓際には金髪の外国人男性が1人…

 やっぱり、私の勘違いだったのかなあ――

 少し心が沈みそうになり、近くのテーブルに腰掛けようとした私に向かって、窓際にいる金髪の外国人男性が手を振った。

 えっ!!

 自分の目を疑いながらも、私は駆けるようにその席に近づいた。

 「由美さん、相変わらずだなあ。折角俺が窓の外から見つけやすい位置に席とってやってんのに、脇目も振らずドアに突進するんだから… 」

 唖然と立ち尽くす私の目の前に、テーブルに肘をついて私を見上げる金髪青い目の恵基がいた。

 「あんたっ…! 何よ、その恰好っ」

 もともとエキゾチックなハーフ顔の恵基だ。髪を金髪に染めカラーコンタクトで目の色を変えたその姿は、何処から見ても外国人だった。流暢な日本語を喋っているのが恐ろしいくらい違和感がある。

 「まあ、座りなよ」

 相変わらず俺様口調の恵基に促され、私はへなへなと崩れ落ちるように椅子に腰掛け、テーブルを挟んで見慣れない恵基の姿をあんぐりと眺めた。

 「メッセージ伝わってたんだな。由美さんがここに来るかどうか半信半疑だったけど」

 カプチーノをオーダーした私の顔を暫く見詰めて、恵基が笑った。

 「私だって諜報関係の端くれよ。馬鹿にしないでよね! 」

 件名 『賽は投げられた』――
 
 古代ローマで当時ガリア総督だったカエサル(シーザー)がルビコン川を渡る際に放った名言だ。彼が使用した暗号、それは現代でも「シーザー暗号」としてよく知られている。

 シーザー暗号とはアルファベットを辞書順に3つ右にずらして文章にするものだ。Aの3つ先はD、そこからアルファベット順に並べていく。Bの3つ先はE、Cの3つ先はF…

 A➡”X”, B➡”Y,” C➡”Z”, D➡”A”, E➡”B”、F➡”C”, G➡”D”,  H➡”E”, I➡”F”,J➡”G” … という具合にアルファベットを表示して文章を作成するのだ。

 恵基が送ってきたメールをこの法則で解読すると、
 
Q(T) l(o) a(d) x(a) u(y), x(a) q (t) 4 m(p).j(m)., F(I) q(t) x(a) i(l) f(i) x(a) k(n) z(c) l(o) c(f) c(f) b(e)b(e) p(s) e(h) l(o) m(p). P(S) e(h) f(i) d(g) b(e) h(k) f(i)

“ Today, at 4 p.m. Italian coffee shop. Shigeki (本日午後4時、イタリアンカフェ。恵基)“

となる。暗号理論の中では一番シンプルで、容易く解読されてしまうため、現在では殆ど使用されていないアルカイックで初歩的な暗号文だった。

 「…それで? あんたがここにいるってことは、ルビコン川を渡ったってことよね? 」

 ローマ帝国本土と属州の境界線であったルビコン川を渡るということは、当時のシーザーにとっては禁を犯す一世一代の大決断だった。だから今では『賽は投げられた』というシーザーの言葉は、運を天に任せて重要な決断をする時に使うワードだ。恵基が私の前に姿を現したということは、彼なりに何かの『決心』をしたということだろう。

 あの夜私は自分の心の奥底から溢れ出す感情全てを恵基に投げつけた。あとは恵基の決断を待つだけだ。不甲斐ないことにあの夜酔っぱらっちゃったから、ゆりかちゃん曰くそのチャンスを逃してしまった。だけど私はもう一度、恵基の前にいる。

 時計は既に4時15分を過ぎていた。クライアントと初顔合わせだ。アポに遅れるわけにはいかない。一刻一刻とタイムリミットが迫っている。でも私は、目の前にいる見慣れない姿の恵基の前を離れたくなかった。どうしていきなり消えたのか、何故連絡をくれなかったのか、この3週間何処で、何をしていたのか… 歯がゆさと憤慨と再会できた嬉しさとこれからの不安が一度に心の底から噴き出して、うまく言葉にならない。口を開いた私から出てくるのは激しい感情に駆られた詰(なじ)りに似たものばかりだった。

 「あんたねっ、こっちがどれだけ心配したかわかってるの? いきなり消えちゃって梨の礫だなんて… 私がどんな思いだったか、少しは考えてくれてもいいんじゃない?! どれだけ必死で探したと思ってるのよ! 私のせいで行方不明になっちゃったって責任まで感じて… 」

 「ごめん」

 恵基の手が伸びて、私の頬に優しく触れた。「ごめん」の言葉と一緒に大きな手が与えたひんやりとした感触が高揚した頬に伝わる。その瞬間、私の声は途切れてしまった。

 「由美さんがとばっちり受けちゃって嫌な思いしてるの知ってたけど、俺にはこの期間がどうしても必要だったんだ」

 私の頬を柔らかく摩りながら、いつもと違う青い目の恵基が穏やかにそう言った。

 「… 何してたの? ちゃんと答えなさいよ。手短にね! 私、あんまり時間ないんだからっ」

 焦り始めた私は頬に重ねられた恵基の手をムンズと握ってテーブルの上にブロックした。もう4時20分だ… 『あんまり』じゃなくて『全然』時間ないよっ!

 「新しいクライアントとの待ち合わせなら行く必要ないと思うよ。だって、セッティングされたテーブルにはキブシの花があるんだろ? 確かにキブシの花言葉は『待ち合わせ』だけど、他に『嘘』っていう意味もあるんだ」

 「えっ? そうなの? 」

 そこまで言って私は思わず息を吞んだ。

 「ちょっと待ってよ! なんであんたが私のアポのこと知ってるの?! 」

 訳が分かんないといわんばかりに目を白黒させた私を見て恵基が思わず噴き出した。

 「由美さんって、ほんと退屈しない女(ひと)だよなあ。暗号は解読できても裏をかくことはできないんだから… 」

 恵基が呼び出してくれなかったら、私は今頃いそいそと待ち合わせのホテルに向かっていたはずだ。そして… 見事『面接』に失敗していただろう。

 「あんたがどうやってアポの件を掴んだのか知らないけど、私があのメッセージを解読できなくて待ち合わせ場所に行った可能性だってあったでしょ? 」

 恵基から助けられた私だけれど、直球型の私の欠点を突かれたことが悔しくて彼の行動の裏側を無理矢理突き返すような反撃をしてやった。恵基は愉快そうに笑って、1枚の名刺を差し出した。

 『駐日アメリカ大使館・統括管理部職員: 沢田恵基』

 「はっ? なにこれ、ウソでしょ? 大使館職員って… ?! 」

 「ウソじゃねぇよ、今週からだけどな。大使館内でも知ってる人は殆どいない地味な部署なんだ」

 恵基の正体を知っている私にとっては、この『地味な部署』の役割はなんとなく想像できる。

 「んでもって、俺の初仕事が日本国内にある大手医薬品会社と医薬品関係の製造や流通に関しての実態調査なんだけど… まあ将来的にアメリカの同系企業との技術提携が容易くなるための資料作りってとこかな」

 「えっ?!」

 私に与えられた任務は某政府機関の医薬品会社の資料作成の手伝い と、いうことは…

 「由美さんのクライアントは俺だよ」
 
 恵基の青い瞳が正面の私を捉えてそう言った。
 
 「あのテーブルにキブシの花をアレンジしたのは、由美さんが暗号文を無視してアポ場所に行った場合も考えてたからなんだ。花言葉ってさ、伝える相手との関係や状況次第でいくらでもメッセージを変化できる利点があるんだよね。
 由美さんが暗号文通り4時にここにやって来れば、キブシは『待ち合わせ 嘘』、暗号文が伝わらないまま5時にアポ会場のFスイートホテルラウンジに来ていれば、あのキブシは『待ち合わせ』そして『再会』っていう意味になるんだ」

 「なによそれ… そうだったんだ、ほんとにもう… 」

 恵基の仕掛けたアポだったとわかった瞬間、体からいきなり力が抜けた。朝から緊張してストレス状態だった私は風船の人形がシューッと萎んでいくようにぐったりして、テーブルに伏してしまった。
 もう今、何も考えたくない… お腹空いた。そう思った私の頭の上から、無駄に元気すぎるホールスタッフの声がした。

 「お待たせしましたー! 当店自慢の濃厚マスカルポーネを使用した特製ティラミスですっ」

 ビックリして顔を上げた私の目の前に正方形にカッティングされた大きめのティラミスが置かれていた。ココアパウダーの円やかな香りと少しはみ出たマスカルポーネチーズのトロリ感が今の私を癒やしてくれるようだ。

 「ほら、これ食べて元気だせよ。どうせ、緊張しまくりで朝からロクに食ってねぇんだろ? ティラミスってイタリア語で『元気にして (Tirami su )』っていう意味なんだってさ」

 恵基が大型ティラミスの載ったお皿を私の鼻先に近づけてきた。

 「あんたの言葉遊びはもう沢山! この3週間何やってたのか、何があったのか、経過をちゃんと説明してよっ! 」

 私はそのお皿を乱暴に受け取り、スプーンで掬い取ったティラミスを口の中に放り込んだ。ひんやりとしたクリーミーな食感にマスカルポーネの円やかな甘さが口に広がる。スポンジケーキに染み込んだエスプレッソの苦みがじゅわ~っと溢れだし、ココアパウダーと一緒に甘味をうまく調和してくれている。あまりの美味しさに、本当に活力が湧いてくるようなティラミスケーキをガツガツ貪りながら恵基の話を聞いた。


2

 行方不明期間の理由について恵基が最初に言ったことは、食べかけのティラミスをそのまま顔に押し付けてやりたいくらい、腹が立つものだった。

 「ビザの更新してたんだ。一応俺、米国籍だから」

 私がそのまま文句も言わず、話を進ませてやったのは、口の中に頬張ったティラミスが美味しすぎたからだ。それで正解だった。その後は社会の裏で暗躍する恵基本来の事情が少しずつ語られはじめた。
 ゆりかちゃんが言った通り、3年前私達の会社にやってきた恵基は、内閣情報調査室(CIRO)と中央情報局(CIA)が協力提携を結ぶ諜報活動を行っていた。私の会社で最後の仕事となった『ミュゼ』の調査依頼主『M社』は、医薬品を扱う外資系の会社だったが、例の化粧品製造会社の買収の影には米国政府の肩入れがあったらしいのだ。

 「M社は現在研究中の医薬品を将来的に日本で製造するために、あの化粧品製造会社の買収に目を付けたんだ。全世界で大量に需要が見込める新薬らしくて、米国政府も日本政府もその恩恵に預かれる可能性があるらしい。それを聞きつけた中嶋が買収に名乗りを挙げてきたんだよ。それで俺はM社の買収戦争を勝利させるための諜報と工作活動を任されていたんだ」

 もし中嶋社長が買収を成功させた場合、世の中を動かすことも可能だったくらい、あの化粧品製造会社の買収は重要なものだったらしい。

 「中嶋があの会社を買収してどう動く予定だったかは知らないけど、少なくとも買収した金額の倍以上で売却することはできただろうな。奴にとっては一生に一度の大博打だったはずだよ」

 「そんな凄い裏情報を中嶋社長はどうやって手に入れたんだろう? 」

 「大会社の社長とはいっても、所詮は民間人だからな。両国政府に対立する人間もしくは組織が中嶋の背後にいたんだろう。俺の素性があの野郎に簡単にバレちゃってたってこともそれで頷けるよ」

 そこまで話すと恵基は私にいつもの流し目を向けて、ニヤリと笑った。

 「ティラミス、美味いだろ? 無茶苦茶元気でてきてるじゃん」

 「えっ… うん、最高に美味しいけど… 」

 「じゃ、もうちょっとゆっくり食べなよ。俺の話、結構長くなるし… 目の前でがっつかれたら普通の男は引いちゃうよ」

 そう言っていつものウインクを放った。金髪と青い目の恵基のそれはマッチし過ぎなのか、いつもならドキッとするはずなのに、自然に受け流せた。

 「大きなお世話! あんたこそさっさと全て白状しちゃいなさいよ」

 妙な言葉遊びでアポを仕掛けたり、原始的な暗号送りつけたりして1日中私を引きずり回してたくせに、お腹空いたの誰のせいだと思ってるんだ!

 「はいはい」

 いつもの見慣れた俺様態度だけど、今までのより少し従順な感じを受けるのは気のせいかな? 私に反論もせず素直に恵基が話を再開した。

 当初は私達の会社の仕事という建前で、収賄やスキャンダルを引出して中嶋社長の買収を失敗に終わらせる予定だったらしい。ところが恵基の正体を知った中嶋が、逆にそれを利用して秘書の田口麗子と共謀、真由美さん殺害事件を起してしまったのだ。

 「殺人事件が絡んでしまえば中嶋の会社も交友関係も全て洗いざらい調べられてしまうだろ? そこから国家の内情が漏れる可能性をCIROもCIAも憂慮してる。中嶋が考えたようにあの事件は迷宮入りするほうが誰にとっても都合が良かったんだ。だけど、個人的に腹の虫が治まらなかった俺は、中嶋のアリバイを暴いて結果的に奴の犯罪を立証してしまった。だからそこから機密が漏れないように徹底的な証拠隠滅をする必要があったんだ。なんたって国家間の策略が関わってるからな… 危険な工作活動だったし、誰にも迷惑かけたくなかったから、姿を消したんだ」

 偽の青い瞳に優しく見詰められ続け、少し恥ずかしくなった私はスプーンを置き、イタリア国旗に見立てられた可愛い紙ナプキンで口を拭いた。トリコロールの白い部分が汚れてる。口元にココアパウダーつけてたみたいだ… 恵基が がっつくなって言った理由はこれだったんだ。

 「まあそれでも由美さんには、俺がいなくなったことで会社から冷遇されて迷惑かけることになっちゃたけど」

 「ほんとそうだよ。直接じゃなくても、私に一言伝えてくれる方法なんて幾らでもあったでしょっ? あんたがいなくなったのは私のせいだって思って、すっごく落ち込んだし、悲しかったんだから」

 紙ナプキンでキレイにした口を尖らせてむくれた私に、恵基が戸惑い気味にちょっと辛そうな顔で釈明した。

 「俺さ、中嶋が逮捕された時から決めてたんだ。機密に関する全ての証拠を消した後は、そのまま誰にも言わず日本を出るって… そうすることが由美さんやゆりかちゃん、それから稔の身の安全に繋がると思ったから。
 証拠は隠滅されても、中嶋が買収の裏に潜む取引を喋らない保証なんかない。秘書の田口麗子だって俺とその周囲にいた人間を知っていたしな。一番関係性が薄い葉山弥生も含めて生き証人が多すぎるんだよ。ちょっとした経緯であの事件に関係した由美さん達に危害が加わる可能性だってゼロじゃない。皆の前から俺自体の存在が消えるのが一番確実で安全なんだよ。丁度ビザの期限も来てたし、俺自身もラングレー(CIA本部)に戻って、再びあの事故の件を追求したいと思ってたからな… だから誰にも連絡するつもりはなかったんだ」

 5年前、初めて感情の赴くままに動いた恵基は、将来を誓い合った大切な人を永遠に取り上げられてしまった。そのことは大きなトラウマとなり、自らが作り上げた虚像の姿でしか社会生活を送れないようになってしまっている。本当の恵基は今も、彼にとってかけがえのない大切な人達と接する事に只ならない恐怖を感じているのだ。

 「でもさ、先週CIROの関係者を通じて稔がメッセージ送ってきたんだ。あいつにしては珍しく厳しい内容でさ… 俺の失踪で由美さんが辛い思いしているってことと、俺が死人(ありさ)をあの世に解放してやらない限り、いつまでも堂々巡りだ、このまま死人にしがみついて彷徨うか、前に進む勇気を出すかは俺次第だ、好きにしろ―― って」

 ゆりかちゃんに説得された稔さんが、恵基に伝言してくれたんだ。そしてその次の週にボスが恵基の会社脱退を発表して、私は出向を命じられた。なんとなく先が読めてきた…

 「それであんたは、ルビコン川を渡り東京に留まる決心をした。ビザを更新して、クライアントとして私の前に姿を現したってこと? 」

 「まあ、そうだな。俺にとって一番扱い易い人材の条件を会社側に依頼して、由美さんを出向させるようにしたんだよ。あの会社で『バ●』がつくほど正直で諜報向きじゃないのは由美さんくらいだからな、絶対由美さんが送られるようにしてたんだ」

 「バカ正直って何よっ! 失礼ね!」

 「褒め言葉だよ」

 「全然褒めてないよっ! この似非外人! 」

 本当は会社から肩叩きされている私を恵基が助けてくれたことくらいわかってる。恵基に会えてよかったって心から思ってる。そしてまた恵基と一緒に仕事できるのが嬉しくてたまらない。それでもこの3週間ずっとヤキモキさせられて、嫌な思い一杯して、今日なんか無駄に緊張させられて… これから先『後輩』じゃなく『クライアント』として更に翻弄されそうな状況だ。目の前にいるこの外人モドキから『してやられた感』がどうしても抜けない私は、不機嫌にプイと横を向いた。

 そんな私の態度を暫く楽しそうに眺めてから、恵基が呟くように言った。

 「由美さん、俺の彼女になってよ」

 ―― えっ?! ――

 予想していなかった言葉に、一瞬頭が真っ白になった。もしかして、私の空耳? 
 正面の恵基に顔を戻した私は、催眠術にかかったみたいに口をぽかんと開けて、目の前にいる恵基を呆然と見詰めた。
 恵基はテーブルに肘をつき、斜め目線から偽ブルーの瞳でいつもの艶やかな眼光を送っている。私の視線を絡み取ると誰もがトキメキを感じてしまうようなソフトな瞬きをした。青い目が魅力的な光を放つ… その姿を見るだけで心臓の鼓動が激しくなり、一気に頭に血が上り始めた。恵基はいつもの虚像だ。だからこれはコイツの口説きテクの1つだと充分わかっていても、茹でエビ以上に赤く火照る自分の顔は鏡を見なくても理解できた。あんぐりと口を開けて赤面顔で茫然と恵基を見ている私の手の甲に彼の大きな手が触れ、そっと重なった。

 「返事は? 」

 温かい恵基の体温が私の手を通じて伝わってくる。こんなに優しく触れられたのは初めてかもしれない。嬉しさと戸惑いが込み上げる中、彼と過ごした3年の日々が走馬灯のように私の頭の中をグルグル回っていた。仕事ではいつも恵基が主導し、私は会社と恵基の連絡役件お世話係だった。プライベートでは友人として近くにいたけど、私はただの『由美さん』で、恵基の隣にいる『女性』として扱われることはなかった。それが当たり前なんだと自分で決めつけて、周囲の人と同様、私も恵基を『特別枠』として、ただ遠巻きに友人役を演じていたんだ。本当の恵基を知る努力もせずに… でも今、私は心の底から恵基を知りたいと思っている。

 やがて私は、目の前で自信たっぷりに私の言葉を待つイケメン過ぎた『元』後輩に向かって答えた。

 「今は、いや」

 ほんの僅かの間、恵基が固まった。私の言動が瞬時に理解できなかったみたいで、その後すぐに「はあっ?! 」と素っ頓狂な声を上げて私を見返した。

 「いや―― って、どういうことだよ? 由美さん俺のこと好きなんだろ? 」

 「好きだよ… いや、好きだったよ。自分勝手で破天荒で私を引っ張り回してたナルシストの恵基が大好きだった。でも、それって本当の恵基じゃなかった。私はあんたが作り上げた『ホログラム』に恋してたんだよね」

 テーブルを挟んで向かい合う恵基が私の食べかけたティラミスを脇に避けて、エキゾチックな外人顔をズイと私に突き付けた。

 「つまり、化けの皮が剥がれた俺には興味ねぇってことかよ? 」

 「そうじゃないよ… 」
 
 私は クスッ と笑った。これまでずっと自信たっぷりに自己陶酔男を演じてた恵基が拗ねた子供みたいに口を窄めたのが可笑しかった。そして少しの間、そんな少年のようなあどけない恵基を眺めながら、このイケメン過ぎる問題児に伝えたい今の私の『心』を整理していた。

 人間の愛情は不思議だ。ある日突然誕生する『愛』は人と人の想いを交えながら、様々な形へと変容していく。 
 稔さんとゆりかちゃんのように、年齢や職業を越えて未来を結び、強い絆へと成長する『愛』もあれば、真由美さんと麗子さんのように性を逸脱して結ばれ、永遠のユートピアを求めるが故に狂気へと転落していった『愛』もあった。中嶋社長が抱いた妻への崇拝と執着の『愛』は、最愛の人を殺(あや)める凶刀へと変貌を遂げてしまった。
 そして恵基は、突然奪われた『愛』に激しく傷つき、自責の念に縛られたまま排他的な虚像を纏い幽霊のように彷徨っていた… 
 
 マリーナでの事件は、人に刻まれた『愛』が、流れるように何かを形成していく美しさと、崩れるように闇へと異相していく恐怖という相反した不思議なパワーを秘めていることを私に示してくれた。私達は皆、愛し合い、傷つけ合い、慈しみ合いながら生きていく。愛の不思議な力は年齢も性別も育った環境も無意味なことだった。
 それならば私は、自分の心に芽生えたこの愛情をありのまま受け留めて、偽りのない『愛』を育てていきたいと思う。私が心を奪われた魅力的なビジュアルの、頼りになる、傍若無人なナルシストは恵基の悲しいトラウマが作り上げた虚像でしかなかったのだから… 私は恵基に微笑んでゆっくり口を開いた。

 「恵基があのまま消滅しなくてよかった。また会えて、東京に留まること決めてくれて、また一緒に仕事できるのはとっても嬉しいよ、夢みたいだよ。
 でもね、私は今、恵基と知り合ったばかりだよ。この3年間ずっと一緒だったあんたは『まやかし』だったんだから…
 恵基のこと、真面目に考えたいんだ。今までの恵基じゃなくて、これからの恵基をもっとよく知りたいの。だってあんた、複雑極まりないレアキャラだから… 仮面のない恵基と接して、一緒に行動して、私の心臓が今みたいにバクバクするのを感じれば、私から恵基に大好きって告白するよ」

 長いまつ毛で囲まれた恵基のアーモンドのような美しい目がどんぐりのようにまん丸くなっていた。形の良い口元も半分くらい開いたままだ。3年間一緒に過ごした私にとって初めて目の当たりにした完全無防備な恵基の姿だった。
 これまでの流し目もウインクも、周囲を巻き込むカリスマ性も全て演技だと知ってしまった私にとって、恵基のバズーカ的なイケメン顔すら『ただの仮面』に見えていた。

 半開きにしたままの口で暫くぽかんと私の顔を見詰めていた恵基が、その口を閉じ、美しい目尻を優しく下げて、ひな鳥のようなあどけない笑顔を浮かべた。そして、これまでずっと私をドキドキさせてきた魅力的な視線をテーブルに逸らして、ポツリと言った。

 「俺、初めてだよ… 女の人からビシッと振られたのって… 」

 虚像を剥いだ恵基本人の飾らない言葉と姿に、私の胸がトクンと跳ねるのを感じた。

最終話: https://note.com/mysteryreosan/n/n7c5128b163e5




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