note 続けることって

note 続けることって難しい けど続けたい
始めた時には「さあ!毎日書くわよ!」と気合十分なんやけど
自分の為のメモを書いていけば良いのだっていう記事を読んだ
おーおー
わかった
じゃあそのようにして書いてみようじゃないか
とんでもなくつまらないことしか書けないかもしれないけどまあそれでいい
私のnoteを書く目的は
1. 自分の夢 ごちゃまぜ高齢者と子どもの家を作るまでの軌跡。記録
2. 文章力、言語化力を上げていくこと
3. 忘備録
今のところそんなもん

そしてメモ
ある人にくろまめさんを紹介した。
その人は話をちょこちょこ聞くと私と多分似たような場所を作りたいと思っているっぽい。
案の定、「おお!これは僕が作りたい場所に近い!」と感嘆しているメールが来た。
そこで私は嬉しいと反面、しまった!私の収集した情報を提供してしまった!ライバルになるかもしれないのに。。。と後悔。
同じような世界観のものが近くに出来るということ。
大好きな長崎の老人ホームもそう。
私が作りたい場所を紹介すると「そうだよね!素敵!!私も作りたい!」という人が出てくる。しかも身近で。
私はなんで自分のおすすめをそういう事がしたい人におすすめしてしまうのか。
一緒に目指せるなら良いけど、おそらくその人は自分で作りたいのである。
多分。
私はというと、やっぱり自分で作りたいのかな?
それはどうして?
分析してみよう。

経営者
自分の思いを出せる
例えば、皆がハッピーな老人ホーム
子どももやってくる場所
活気があるところ
昔の体験を教えてもらえる場所
軸が決まっているのでそこを伝えると人もその軸に共感して集まってくる
それはそこで働きたい人、暮らしたい人
経営についての知識、実践はものすごく必要だし多分大変
悪口も言われる立場
それが経営者(アドラー的なもので進めていけたらそんな事にはならないかも 主体を大切に 共同体感覚 ひらくこと)

雇われる立場だと。。。
結局はトップ
意見が分かれた時にそうなる
アドラー的なものを取り入れにくい 会社そのものの軸が自分じゃないから

となると自分で場所作りをしたい人と一緒には難しいのかな
その人の主体の場所が作りたいから

一緒に働いてお互いの意見を擦り合わせていくことは出来るけど
私はこんな場所を作りたい!と旗を挙げていると、きっと人が来てくれる
そのスタイルを続けよう

タイトルとは違う着地点
こんなメモ
雑記でよかですかな



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