人類みな脱落せよ①
物騒なタイトルをつけてしまいましたが、
これから『正法眼蔵』の紹介をしたいと思います。
本作品は、テーマに沿って、
章立てて構成されていますので、
それに則っていきたいと思います。
人類みな脱落せよなんてどういうこと?
と思った方は、ぜひ最後までお付き合いください。
第一回目、最初の章は「現成公案」です。
現成公案というのは、
今あなたの目の前に現れていること、
それが問題だ、ということです。
さらにわかりやすくいえば、
「今、お前はなにをする?」です。
私たちが生きている「今」に危機感を持ち、
絶対に無駄にするなと語っています。
かなり力強いメッセージですよね。
お坊さんというと、
柔和なイメージがある人もいますが、
道元という人は、
自分にも他人にも厳しい人です。
いよいよ内容に入っていきます。
現実とは何一つ過不足なく、
原因と結果によって成り立っている。
そして、紛れもなくあなた自身もその現実の一員なのだ。
だからこそ、迷う人も悟る人もいるし、修行も必要である。生まれることがあり、死もあり、過去の仏もあり、私たちがある。
あらゆることが自分には関係ないと思えば、
迷うこともないし、悟りもない。
さらに、仏様もいらないし、なにものも生まれることも死ぬこともない。
ここで一旦切ります。
すべて自分のことと考えるべきで、
自分にには関係ないと考えてはいけないと、
まず冒頭で道元は語っています。
たとえば、
私たちはそれなりに健康で文化的な生活を送っていますが、気づかぬところで、
コロナウィルスに苦しみ、怪我に苦しみ、紛争で命を落とす人もいます。
現代ではインターネットが発展して、
多くの情報を知ることができる世の中になりましたが、
全てを見通すことは不可能ですし、
心を配れる範囲にも限界があります。
しかしながら、
そういう意識を持つことはとても大事なことだと思います。
前回の記事に書きましたが、
一時は、自分はなぜ修行するのかわからなくなった道元。それにまず答えを与えたとも言えますね。その問題意識を何年も持ち続けたところは素直にすごいと思います。
また読み進めていきましょう。
私たちの人生は、豊かさと貧しさといった二項対立の世界の中にあるので、生も死もあり、迷うこともうまくいくこともあり、出来の良し悪しもある。それなのに、花は散るのが名残惜しいと思い、草は嫌がられて枯れていく。
ここでまた切ります。
私たちは好きとか嫌いとか、それをひたすら判断して生きています。
一生のうちに判断する数は、一生分の呼吸する数より多いと言われています。
好きだから大切にする、嫌だから邪険に扱う。
それは本当に正しい態度なのか?と道元は私たちに問いかけています。
自分の好き嫌いだとか損得勘定をしていたら、
かえって損をするかも?と警鐘を鳴らします。
それよりも、
もっと大切なことがあると道元は語ります。
何が大切なのでしょうか。
次にいきましょう。
あなたの都合で物事の理を理解しようとすると迷ってしまう。物事の理に自分を照らし合わせることが正しい態度である。
迷いやすい世の中で、正しい行いを続けるのが仏であって、すでに過不足ないのに足りないともがいているのが私たちの姿である。
すべてが満ち足りているこの世界で、あるべき姿を見つける人もいるし、何が正しいのかわからないまま、ひたすら迷っている人もいる。
本当の仏というのは、仏であっても自分は仏だとは思っていない。
しかし、本当の仏というのは、仏であることを他によって証明されるものだ。
細やかな一つ一つの所作によって、
仏であることを証明していくのだ。
仏だと自分から言うもんじゃなくて、
他の人に、仏だねと言ってもらえるように努力しなければならないと、こういうことですね。
自分で言わなきゃいいのに
そう思うことってよくありますよね。
お客様は神様だとか
こんなに俺はしてやった、とか。
褒められたさや自己顕示欲でついつい言いたくなる気持ちはわかりますが、我慢しましょう。
次にいきます。
穏やかに生きようとするなら、
まずあなたがどういう状態なのか知らなければならない。そして、自分の状態を知るということは、自分の都合を手放さないと分からない。
自分の都合を手放すと、他のものにあなたが受け入れられるようになる。物事の理に適応すると、あなた自身の力で、または誰かの力を借りながらあなたの人生にはわだかまりがなくなって、穏やかな日常が過ごせるようになるだろう。
そこには、自分は出来てるというそぶりなど一切ない。その謙虚さを大切に育てていくのである。
ここは有名な部分ですね。
聞いたことがある人もいるのではないでしょうか?(いやいない)
ここが、
『正法眼蔵』を読む上で大変重要な視点です。
損得で物事を判断するのではなく、
常に自分自身を省みる。
物事がスムーズに運ぶように常に心を配って行動すべきだと本書で語っています。
道元は、「身心脱落」という言葉をよく使います。
身心脱落とは、上記の説明と同じ意味で、
身も心も言い訳をやめて生きる姿のことです。
調和を常に意識して、
意識の中の無駄な物を排したミニマリズム、
それが身心脱落です。
同じ意味で、脱落脱落なんて言葉もあります。
脱落という言葉すら意味をなしません。
その意味で、
無駄なものを削ぎ落としましょう。
脱落しましょう。
無駄なものは削ぎ落とし、
大切なものだけ残す。
無駄に迷っていませんか?
脱落こそ自然の摂理に倣ったオンザレールであり、穏やかに生きる処世術なのだと、道元は800年越しに私たちにメッセージを送っているのです。
それが、タイトルにある、
人類みな脱落せよ、の真意です。
仏教徒だけでなく、
会社で働いてる皆さんにもきっと当てはまると思います。
ここまで読んできましたが、
いかがでしょうか?
宗教というより、
哲学書と言った方が近い感じがしますよね。
長くなったので、
続きは次回に委ねます。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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