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人生の意味そのものが曖昧で混沌とするとき、いかに秩序が必要か。イサム・ノグチ 発見の道

まもなく、会期が終わりを迎えるイサム・ノグチ「発見の道」(東京都美術館)を、行こう行こうと思いつつ、ギリギリ滑り込みで鑑賞してきました。

私が20代の頃から、勝手に人生の節目節目にイサム・ノグチに出会うと感じていて、(同年代の方はきっとそう感じられる方、多くいらっしゃるかと思います笑)ちょうど、イサム・ノグチが大地を彫刻したと言われる札幌モエレ沼公園が完成してすぐに札幌へ行く機会があり、その圧巻のランドスケープに感動したことを覚えています。

初めて、イサム・ノグチを知ったのは確か学校の課題で、大学で都市計画、専門学校でインテリアを専攻していた私は、銀座のエルメスで行われていた「イサム・ノグチ、ランドスケープへの旅ーボーリンゲン基金によるユーラシア遺跡の探訪」を授業の一環として鑑賞したことでした。

https://www.hermes.com/jp/ja/story/maison-ginza/forum/040907/

日本人とアメリカ人のハーフに生まれたイサム・ノグチは、東西の間で現在よりもさらに難しかったであろうアイデンティティの葛藤の中、独自の彫刻哲学を打ち立てました。

彫刻や、遺跡のインスピレーション、ルーツの一つとなる日本の庭園文化など、苦悩とともに様々なルーツをまとめ上げ、自分の世界観を創り上げたイサム・ノグチに、誰もがなにかの側面でマイノリティーとなりえる私達は魂の深部で作品に共鳴するのかもしれません。

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私も人生で苦悩した(今も続行中ですが)20代、思いつきで(というかほぼ衝動で笑)ニューヨークに旅に出た際、真っ先に訪れたのがイサム・ノグチ庭園美術館でした。そこに行けば自分の人生の何かが変わるとその当時は思い込んでいたんですね。(若さって怖い)

もちろん、そんなことで人生は変わるほど甘くはないのですが、こうして今、noteの肥やしになったいい経験です笑

その後も四国・牟礼にあるイサム・ノグチ庭園美術館へ行ったり、人生の節目節目にイサム・ノグチの作品達に逢い、不変の魅力とともに、なにか自分の人生にともにあるような不思議なご縁がある(と勝手に思っている)アーティストです。

さて、イサム・ノグチは彫刻家ではありますが、家具や照明の作家としても(こちらの方が有名かもしれません)様々な作品を残しています。

「あかり」シリーズは、本展の目玉ともなっているインスタレーションとしてまず初めに私達を迎えてくれます。

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時の経過とともに150灯の「あかり」がゆっくりと明滅し表情の変化や、イサム・ノグチの有機的なルーツと特徴を体感することができます。

とりわけ日本の文化の諸相がみせる「かろみ(軽み)」の側面は、ノグチがみずからの作品へ取り込もうと情熱を傾けた重要な要素であった。

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彼の「あかり(light:照明)」とはすなわち「light:軽い」であり、文字通り軽みへの挑戦を代表する作例である。

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「竹と紙が巻きつけられるフレーム、その柔軟性と軽さは彫刻フォルムの新たなる可能性を目の前で示唆するー半透明で折りたたみ可能な光の彫刻!」ノグチが「あかり」について語った言葉である。

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先述した、モエレ沼公園は「大地を彫刻した」と評されますが、光の彫刻である「あかり」もまた、イサム・ノグチが彫刻の対象とした一つとして、彼の視座に触れることができる作品でもあります。

また、1枚のアルミの板から1点の作品を作るというルールを自らに課し、連作を手掛けています。直線的な金属の折り紙のようでありながら、どこか古代の文明を思わせるのは、ユーラシア遺跡の探訪の影響が混ざりあっているからでしょうか。

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様々な素材を彫刻してきたイサム・ノグチの今回の展示の最後は、石の庭です。撮影は不可でしたが、前半の石の彫刻とは印象を変え、「石そのもの」と思えるほどシンプルに作品が研ぎ澄まされていきます。

「自然石と向き合っていると、石が話をはじめるのですよ。その声が聞こえたら、ちょっとだけ手助けしてあげるんです」

展示の静謐さ、見せ方も素晴らしかったのですが、是非こちらは合わせて香川県高松市牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館でもご覧いただきたいです。

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イサム・ノグチが作品と合わせ、その土地を意識していたことが感じられること、そしてイサム・ノグチの発見の道の到達点でもある彼の地、そこには今なお、彼のインスピレーションが存在しているからです。

この展覧会のはじめのあいさつとして、この世界の混乱のなか、イサム・ノグチにスポットを当てた意義が述べられていました。それはまさに今混沌の最中にある私達が生きていくヒント、可能性でもあると感じましたので最後にその一部をご紹介させていただきます。

人生の意味そのものが曖昧で混沌とするとき、いかに秩序が必要か。諸芸術の実践があれば、秩序はハーモニーへと導き、その実践がなければ、そこには獣性しかない。ぼくはとくに彫刻を秩序の芸術ー空間を調和させ、人間的にするものーと考えている。

是非、芸術の実践による秩序が導くハーモニー、人間的にする力のヒントを展覧会、またはイサム・ノグチ庭園美術館にて触れてみてくださいね。さまざまな芸術があなたのちからになりますように。



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