目に見えない世界
私の日常
私の一日はみんなへの挨拶から始まる。
いつもお出かけのお供をしてくれている龍さんの絵が、「今日はお出かけする?」と聞いてくる。
「お散歩行くよ」と答えると、
「一緒に行く」と言って、私のかばんに入りたがる。
カーテンを開けて、観葉植物にお水をあげる。
普段はわりと静かな子たちだけど、私が水やりを忘れていると、「水!!」と訴えかけてくれる。
何て便利なシステムなんだ。
お寺から連れて帰ってきた、縁起物にもご挨拶を。
この子はたまに出かけたがる。
特に私の歌が好きらしい。
何の指摘も文句も言わない、私の素敵なお客さんです。
外のにおいが好き。
よっぽど天気が悪かったり、暑かったり寒かったりしなければ、窓をずっと開けておきたい。
換気をするだけで、部屋の中がきれいに整う。
朝はいくつになっても苦手。
朝一の予定がないと、ついつい遅めに起きてしまう。
アラームを止めて、ゴロゴロするのが至福の時間。
毎朝、お塩を入れた白湯を飲むようにしている。
感覚が開いたばっかりの頃、あっちこっちで気をもらってくるのを防御するのに始めたのが、いつのまにか習慣化されてしまった。
今では、熱中症対策にも健康にもいいのではと思ってる。
ニュースは基本見ない。
必要な情報は取りに行かなくても入ってくる。
そう自分で決めるだけで、ちゃんと上手く回る世界になっているらしい。
近所のお出かけ以外は、必ずお塩を持ち歩いている。
特に電車に乗らなきゃいけないとき、人と関わる時は、とても役に立つ。
心を整えるためのフラワーレメディに、匂いに酔ったときのためのアロマも欠かせない。
気分がイマイチな時はお石さんも同行する。
ちょっと荷物が多いか?
でもこれでお出かけも怖くない。
外に出たら、過度に人に興味を持たないように気をつける。
あまりに興味を持ち始めると、頭の中がぐるぐるして、情報がいっぱいになりすぎる。
こんな朝っぱらからエネルギーを使い果たしてしまわないように、音楽を聞きながら軽い瞑想状態にすると、なかなか良い。
危険人物を察知すると、異様に“気持ち悪い”という感覚が体中を駆け巡る。
私が言う危険人物は、エネルギーを吸い取ってくるタイプの人間たち。
ハリーポッターに出てくるディメンターだ。
一緒にいると、私がいつか干からびてしまう。
間違っても体が触れたりしないように、距離を保っておく。
そういえば私のエネルギーフィールドは今何センチだったっけ?と慌てて確かめてみたりする。
塩を飲むのは忘れないけど、エネルギーフィールドのお手入れは毎朝忘れていることが多い。
これだけやっても、やっぱり人疲れはしやすい方。
都会のようにたくさんの人とすれ違うような場所なら尚更。
ガヤガヤし過ぎてるお店やカフェもちょっと苦手。
お出かけ中は、基本的にかばんに一緒にいる子たちとはしゃべらない。
各々、勝手に楽しむのが私流。
自分の守護さんとお友達みたいに外でも話す人も居るらしいけど、私はあんまりしないです。
現実の景色と目の前のことを思いっきり満喫してます。
ちなみに私の“視える”はなんでもかんでも視えるわけじゃないです。
私のお家に来てくれた子たちは、そこに誰か住んでたりするから視える。
外にあるものに関しては、よほど私に繋がりがあるものは急に視えたりするけど、ほぼほぼ視えない。
というか、視える力は普段あまり使わないようにしてる。
視なくても、感覚だけでほとんど事足りるから。
何でもかんでもわかればいいってもんじゃない。
知らなくて幸せなことはたくさんあると私は思ってる。
食べ物は基本、感覚で選ぶ。
食べたいもの=今私に必要なもの と解釈してる。
最近はあんまりジャンクなものが美味しく感じなくなってきたけど、それでもたまに食べたくなる時もある。
できるだけジャッジせずに食べたいと思ってる。
でもやっぱり想いが詰まっているもの、丁寧に作られたもの、優しい味のものは、すごく美味しく感じるし、自分の感情の浮き沈みも少なくなるような気がしてる。
お風呂時間はめちゃくちゃ大事。
体がこわばりやすいので、できるだけ湯船につかりたい。
温泉もいいけれど、一人で入るお風呂が一番落ち着くし、疲れが取れる。
時にはお塩を入れたり、アロマの香りにしたり、キャンドル焚いたり。
アーユルヴェーダのオイルマッサージを取り入れてから、体の調子が良くなって、眠りも深くなった。
湯船につかりながら、エーテルコードをカットしたり、浄化のシャワーを浴びてるイメージワークしたり、エネルギーフィールドを整えたり、色々やってます。
寝る前にヨガをちょっとだけやるのが日課。
アイマスクを乗っけながら、みんなと今日一日のお話をする。
人間みたいに「自分の話を聞いてほしい」っていう欲求がないから、すごく安心して話が出来る。
特にいつも枕元に鎮座されている龍さんの絵はカウンセラーみたいに話を聞くのも引き出すのも上手い。
その日ピンときた石をにぎにぎするのも好き。
エネルギーチャージする感覚。
特に私のところにいるローズクォーツさんは、常に「愛してるよ」と言ってくれる。
素晴らしい愛の大きさに感心するばかりです。
クリスタルボウルの音や水の音が特に好き。
よくBGMにして寝てます。
ヒーリングミュージックはメロディを追わなくて済むので、ちゃんとリラックスできるから気に入ってます。
寝てる間、たまに現実と夢の間のような感覚になるときがある。
ある人に頭を撫でられてると思って起きたら、いつもの空間に私一人でした。
たぶんきっとどこかでは会ってきたんだろうと、勝手に解釈する。
目に見えない世界のアレコレ
神社やお寺に呼ばれるとき
急に神社とかお寺の名前が浮かぶことがあって、きっと呼ばれてるんだろうなと思って行ってみることが多いです。
実際に行くと、すごく歓迎される。
実家に帰るみたいな、すごくアットホームな感覚。
敷地内をぶらぶらしているだけで、すごく元気になる。
私はお賽銭投げて、手を合わせながらおしゃべりしてます。
だから混み合いそうな日には絶対行きません。
私は神様とかに全く詳しくなくて、知識を入れようとしても、全然頭に入ってこなかったので、友達みたいに捉えることにしました(笑)
人間でもほら、山田さんと田中さんは違う人なわけで、この神社の~さんみたいな感じで、ものすごくフランクにやってます。
お守りとかお札とかも、ピンときたものがあれば連れて帰るし、おみくじも引きたいときは引いてます。
こうしたほうがいいみたいなHOW TO本の情報はいつも参考程度です。
ただし、私が一番気を付けているのは、むやみやたらに行かないこと。
ピンときたり、呼ばれたと思ったところにしか行きません。
私のただの感覚的なものですが、ここは本当に神社なのか?みたいに感じたところもあったので、その感覚だけは研ぎ澄ませておいてます。
本当にイマイチな場所なのか、ただ単に私に合わないだけなのか、なんとも言えないので、ここでは具体的な名前は上げません、すみません。
私とお石さんたち
基本はエネルギーチャージのために、石を置いたり握ったりしていることが多いです。
ちょっとエネルギーが低下しているときは、持ち歩く時もあります。
寝るときに握るのが好き。
よく眠れる気がします。
石にいる子たちは、そんなにおしゃべりではないので、ただ存在を感じて安心するような関わり方をしてます。
私が石に惹かれ始めたのが、大きな変容期のときでした。
そんなようなことを昔書いた覚えがあるので、よかったらこちらをどうぞ。
私と植物たち
自然や植物が大好きです。
ずっと囲まれていたい、私の癒しの存在。
お家にいる観葉植物には住んでる人がいて、いつも見守られている感覚。
お水が必要な時は教えてくれるけど、普段はお互いに自由に過ごしています。
ある公園のすごく好きだった木にいたおじいちゃんとは、おしゃべりしたこともあったけど、基本はそんなに会話はない。
公園に行ったからと言って、あらゆるところからザワザワしてくることはないです。
切り花にも誰かいるときがあります。
元々、植物に住んでいる子たちを初めて視たのは、「植物には精霊がいるんだよ」って本に書いてあったから。
私は無条件で信じることはしない人なので、本当かなーと疑いながら、お花屋さんに行って、気になったヒマワリを一本連れて帰ってきたときでした。
「わーほんとだ!いるじゃん!!!」
って感動したのを覚えています。
黄色いヒマワリなのに、青いほわわーんとした子が住んでいて、全然キャラ違うのかよとツッコみたくなりました。
視えるについて
私は肉眼で視えているわけではなく、目の前にスクリーンがあって、そこに映像が映し出されているかのように視えています。
基本は映像だけど、字幕が出るみたいに文字のときもあるし、ちゃんとカラーです。
よくメッセージをもらうときに、“言っている”と表現したりしますが、人間の話す感じとはまた違った感じです。
すっと意識に中に入ってくるような感じ。
普段誰かと話そうと思ったときに、相手の話を理解するのに私はけっこう頭を使っていたりもしますが、上のみんなと話すときはあまり頭を使わない。
それと、存在によって伝わり方とか感じ方とか、聞こえ具合が絶妙に違います。
例えば、自分の近くにいる守護天使さんは、わりと友達に近い感覚で話してくる。
ただ守護さんの中でも、ご先祖さんとかはもう少し距離が遠くにいる感じ。
一時的なお客さんの場合は、視ようとしてないのに突然パッと現れるから気づきやすい。
物質的なものに宿っている子たちは、やっぱりちょっと人間ぽさがある。
かと言って、人間的な欲が一切ないので、私が現実のことに追われている時には全く話しかけてもこないし、邪魔もしない。
「外に連れて行って」と言われていて忘れたとしても、人間みたいにすごく不機嫌になることもない。
エネルギー的にはびっくりするぐらい、クリアなんです。
そんなに純粋になれるものかと、いつも感心させられます。
***
私は視え始めた頃、コントロールが出来なくてだいぶ苦労していました。
自分で視たいもの、関わりたいものを決めてからラクになってきたように思います。
そこで感じたのは、何でも知っていればいいってことではないということ。
「あれって何だったんだろう?」
そうやってフワッとさせておくほうが、自分にとってダメージが少ないことってたくさんあります。
メンテナンス方法
視えるようになってから、自分を保つためのメンテナンスが欠かせなくなりました。
何にも視えていなかった頃でも十分繊細で大変だと思っていたけれど、それ以上になるとは思っていなかった(笑)
私がいつも行っているのは、
・塩を飲む
・エネルギーフィールドを整える
・エーテルコードのカット
・浄化
お塩はとにかく簡単でいい!
朝は白湯に入れて、お出かけのときは持ち歩いて、お家には盛り塩をして。
私は本当にしんどくなってしまった時、イメージワークだと集中しずらいことがよくあるのですが、お塩=お清めの概念はどんなときでも感じられるので、一番信頼してます。
***
エネルギーフィールドを整え始めてから、疲れやすさが本当に改善しました。
自分を覆っている膜を感じて、それがちゃんと体全体を覆っているかを確認する。
穴が空いていたりしないかどうか確認出来たら、膜を2㎝に設定します。
本当は10㎝ぐらいでもいいらしいけど、念のためものすごく狭くしてます。
膜を2㎝に設定出来たら、その膜に色をつけたり、飾りをつけたりして、おしゃれにします。
肝心なのはおしゃれをすることではなく、自分がその膜に守られている感覚が得られること。
これで整えるのは完了です。
本当は、落ち着いてやるのが一番いいんだとは思いますが、私は外に出てから慌ててやったりしていることもあります(笑)
コツをつかめたら、わりと適当になってもちゃんとケアできてることになってるみたいです。
***
エーテルコードのカットは、初期の頃よくやってました。
今は自分流にアレンジしてやっているので、あんまり参考にならないかもしれないのですが、、
ハサミで自分の周りにある不要なエネルギーを切るイメージをしています。
頭の先から足の先まで全体的にやって、自分の世界に籠るイメージをすると、スッキリする感じがします。
***
その他はときどきやっていることですが、塩風呂に入ったり、ホワイトセージを焚いたり、クリスタルチューナーを鳴らしたりします。
水晶を握ったりするのもおすすめです。
あとは掃除!!
毎日やるほどマメではないですが、すごく汚くならないぐらいでちょこちょこやります。
掃除は出来なかったとしても、換気はしますね。
外の環境はどうにもならないとしても、お家だけでも最強の癒し空間にできるようにすると、自分が整っていくような気がしてます。
フワフワ浮いてしまったら
本当にやばいくらいに浮いてしまった時があって怖かったので、グラウンディングはちゃんとします。
食べたり、自然と触れ合ったりとか色々と方法はあるけれど、自分の気を足の方に下げるように深呼吸をするのが、最近のお気に入りです。
自分の足から根が生えているようなイメージでやることもあります。
それとあんまり視ないことも大切。
視すぎるとあまりに現実の感覚が抜けてくるような気がしてます。
ほどよく、必要最低限に目に見えない存在たちとは付き合ってます。
未来の感覚
繊細な人に多いらしいのですが、未来の感覚が体感として感じられることが私はよくあります。
特に違和感を感じやすいのが、引っ越しのとき。
土地を移動することになるときは、ほぼ必ずと言っていいほど今自分がいるお家や場所が居心地が悪く感じ始めます。
現実が変わるまでに、最低でも2~3ヶ月は時間がかかったりするので、その間は本当に訳が分からなくなって、終始混乱してます。
未だに慣れないし、残念ながら対処法が思いついてないです。
とりあえずそのための準備をしたり、色々調べてみたりして、なんとかその微妙な期間を乗り切っています。
未来がどうなりたいか知りたいという人もいるけれど、この感覚があるようになってから、未来を感じるって今を生きるのにちょっと邪魔だなあって思ってます(笑)
人に視てもらうときの心構え
私は今まで色々な方にお世話になって、今に至ります。
どの世界でもそうですが、素晴らしい人もいれば、大丈夫?って感じの人もいますし、相性もあります。
自分で視えないと思っている方の中には、視てもらったときに全部信じ込んでしまう人もいらっしゃるかと思いますが、それはかなり危険です。
良くも悪くも、話半分で聞くぐらいがちょうどいい気がしてます。
時折、ものすごく断定的に言われることがあります。
もちろん、視えている本人にとってそれは真実なので、何も間違ってはいないけれど、“視る”という行為は私的にはけっこう曖昧だと思っています。
一口に視えると言っても、その人の全部は視えません。
視ようと思っても視せてもらえないことも多いです。
そして、視て伝える側の人の価値観や考え方が若干だけど反映されているように思います。
「降りてきたメッセージを話しているだけです」
とおっしゃっている方もいますが、それが本当に降りてきたものなのかはこちら側からは判断できません。
占いのように、自分の都合のいいように解釈して、気持ちが軽くなるなら全然問題ないと思いますが、言葉を受け取った時の自分の感覚や心の動きをちゃんと確かめることをおすすめします。
それに、視てもらった後、自分の状態が変われば自ずとまた視えてくるものも変わる。
常に流動的で、完璧な未来の予測はできないと私は思っています。
現実を生きていくうえで、迷走状態になりませんように。
真実はいつも自分の中にあります。
例え自分が初めて聞く話であったとしても。
私という存在
“私”という存在を多次元的に感じるとき、ものすごい数の存在が私と共に生きていることを感じられます。
その愛の深さときたら、人間が言う「愛してるよ」なんて、薄っぺらく感じてしまうほど。
私はみんなのことを深く感じるとき、涙が溢れます。
私のものすごく近くにいてくれている何人かは、自分でも認識しているけれど、その大所帯の中にいる一人一人を知覚しているわけではなくて。
私に知られていないかもしれない、それでも私を守ってくれている、今この瞬間を生きているって、人間の感覚からしたら、本当にすごいことだなって思うんです。
これじゃあ簡単に死ねない。
地球が辛いからと言って、どれだけ泣いてわめいたとしても、それでも「今ここに存在させてもらっている」という事実はなくならないから。
私は人生の前半はすごく死にたいと感じていて、途中で生きてきたことを後悔するぐらいの打撃がありました。
「“死にたい”の先があるなんて、聞いてないよ!!」と一時期叫んでいました。
それでも、私は自分に手をかけたことは一度もなかった。
「私はそれでもここで生きていく」
その覚悟は、1ミリたりともブレる瞬間はなかったんだと思うと、それはきっとみんなのバックアップのおかげなんだと、しみじみ感じます。
「一人じゃないよ。」
その本質は、自分の周りにいるオーケストラのような集団を忘れるなよってことなんだと、私は解釈しています。
自然のリズムで生きる
私は昔よりも、体調がイマイチなことが正直増えました。
色々な自然のリズムを自分の体で感じやすくなったからです。
本当にやる気が起きないときもあるし、気分が重すぎて無理っていう日もあれば、寝ても寝ても眠くて仕方がない日もある。
そしてある日急に、やる気全開になって突っ走る。
社会のルールや世の中の当たり前に合わせていた時には感じられないものがたくさんあります。
私みたいに繊細になれということではなく、もし思い出したいなら思い出してほしい。
本来、私たちがどんな感じだったかってことを。
世の中にある素晴らしい機械やシステムと一緒に生きていいけど、自分が人間で、相手も人間であることをちゃんと認識することで、全ての人がキラキラ生きられる世界があることを知ってもらえたら嬉しいです。
目まぐるしい変容の時代を生きる全ての方へ。
のりこ
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