「タイトル未定」第三章

※2020年5月6日の文学フリマで販売する予定だったエッセイを、書いていた分、まるごとnoteに載せるという活動をしています。詳しくは↓

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「ネムルバカに捧ぐ」

 ピン芸人が一番気合が入る年末年始の時期、僕は実家に帰って「ヒプノシスマイク」について調べていた。以前から名前は聞いたことがあるけれど、こんなにも魅力的なコンテンツだったのか。もっと早くから知っておけばよかったな、などと思いながら猫を撫でていた。
 R―1ぐらんぷりにエントリーしなかった理由は自分でもよくわからない。エントリーの時期に単独ライブの準備があり忙しくしているうちに、提出しそびれてしまった。と周囲には説明していたが、とある先輩に「エントリー忘れるなんてことある?」と言われて、確かにエントリーし忘れることなんてあるのだろうか、と思った。
 漫才師はM―1グランプリ、コント師はキングオブコント、ピン芸人はR―1ぐらんぷりに「出るべき」だと言われている。(どうでもいいが、「ピン芸人」という呼称はどうにかならないだろうか。自分の事を客観的に指す場合に仕方なく使っているが本当は物凄く嫌だ。理由はダサいから。あと「ぐらんぷり」って平仮名にするのも全然嫌)
 そういった大会に出る理由は、自分が一番面白いという事を証明するため、賞金が手に入るから、名誉が手に入るから、テレビで売れる足掛かりになるから、など色々なものがある。
 しかし、僕はその全てに興味がなかった。いや、興味がないフリをしていた。
 面白さの捉え方なんて人それぞれだから楽しいのだし、テレビに出たところで僕には何にもできない。周りにチヤホヤされることが自分の幸せなのか?いきなり大金を手に入れてしまったら堕落していってしまう一方だろう。僕は大会なんかに出て誰かに審査されて、自分の価値を勝手に測られるのなんてごめんだ。

 そう言い聞かせていたのは、自分が傷つくのを怖れていたからだろうか。自分は何者でもないと知って、現実を知って、心が折れることを事前に防ぐためだったのだろうか。自分の弱さを「自分が好きな事をするため」というお誂え向きの大義名分で隠していただけなのかもしれない。

 そんな事を気づかたのは、あの、DMの存在だったのだ。

 まあ、正確には「何にも知らないやつが偉そうに口出ししてくるな。隠れてばっかりの卑怯者がよ。俺が内輪で偉そうにしているやつだと?じゃあわかったよ。俺は俺が面白いってことをちゃんと評価される場に行って評価されてやるよ。そこでちゃんと結果残してお前に叩きつけてやるからな、覚悟しとけよ!!!!!!」だったのだけど、最終的には僕を良い方向に向かわせたのだから結果オーライである。

 第三回単独ライブ「ネムルバカに捧ぐ」の開催を決めたのはそんな理由からだった。前回の開催から三か月。明らかにハイペースすぎたが、居ても立っても居られない。この一年間で僕はひたすら試され続けなければいけないのだ。
 それまでの単独ライブでは、「単独ライブでしか見せれないこと」という事に執着があった。ライブのタイトルから、OPコントとEDコント、幕間の演出。「すべてのコントが少しずつ繋がっていた」というある意味ベタなやり方も、僕は大好きだったのでやっていたが、そのことによって「単独ライブでしかできないネタ」というものを大量に作っていたことも事実だった。道理で普段のライブでできるネタが全然ないわけだ。
 そのやり方が間違っているとは全く思わない。それはそれで僕の理想の単独ライブなのだ。僕が目標としている「大きな内輪」という物を作りあげるためには必要なものではあるのだ。
 ただ今回は違う。特別な演出はしない。OP映像すらない。初めてゲストを呼んで、ただ「大会で勝ち上がるため」という事を考えてネタを八本作った。

 取り掛かる前はとにかく不安だった。「大会で勝ち上がるためのネタ」というのは、要はかつてフリーライブに出ていた時のようなネタをするという事になる。
 当然、僕は自分の面白いと思っていることをネタにしている。その瞬間は「今作っているものが最高傑作だ」と思う。のだが、それがどうも熱量が無いように感じてしまうのだ。言ってしまえばどこか余所行きの表情をしている。
 わかりやすく、笑いどころがいくつもあって、ただ笑いの質と量があればそれでいい、というネタ。
いや、別にそれでいいだろうみんな、それを目指してお笑いをやっているんだから。
 と、思わなくもないが感覚的にはやはり違う。
「なんでも自分の好きなように絵を描いてください」と
「桜のある風景というお題で1時間以内に絵を描いてください」と言われてるぐらい僕の中では違う。
 そこに「自分」が見当たらないのだ。
 本当に心の底から自分が面白いと思っているのではなく、「他人が見て面白いと思ってくれそうなもの」を作っている気がする。
自分のやりたいことと、他人の視線というものは常に僕たちの生活に付きまとってくる。特にこの「お笑い」というジャンルではそれは根強い。
 自分がやりたいお笑いを!と熱くなっても、それでも人前で演じる以上は「見ている人を笑わせる」という事が目的になる。笑わせるという事は自分よがりではなく、他人に合わせる部分も必要だ。本当に自分がやりたい事をやれれば、笑い声なんて必要ないというのであれば、芸人をする必要もないだろう。僕たちは兎に角、見ている人に笑って欲しくて芸人をやっているのだから。
 自分がやりたい事と、他人に合わせて笑わせる事、この中間点を常に探っていかなければいけない。

 そう考えると当時の僕は、ただ他人に合わせることだけを考えていて、自分を置き去りにしていた。
 それで輝かしい結果が出ていればいいのだが、そういうわけでもないのがつらいところだった。
 そうなってくると、いよいよ誰のために何のためにお笑いなんてものをやっているのかわからなくなる。
 一度、原風景に立ち返り「やりたいことをやってみよう」と思って開催した単独ライブはだから楽しかった。お客さんのために、という事もあるが、それ以上に自分のためにやっているという感覚が僕の初期衝動を思い出させてくれた。

 大学生のお笑いサークルでの初舞台。僕は漫才コンビのツッコミを担当していた。僕が書いたネタは却下されて相方が考えたネタをやることになった。
 それでも自分のツッコミで笑いを起こせるのならいい、と思っていたのだが、出番の数時間前にOBらしき人(後から聞いたらOBの友達の芸人だった)が「ネタを見てやる」と言って、目の前で漫才をやったら「ボケの君はいいけどツッコミはダメだね。もっとこういう風にやらなきゃ」と悉くダメ出しをされた。
 その人は良かれと思ってアドバイスをしてくれたのだろうが(いや、それにしては口調が横柄だった)、僕にとっては「初めての自分の漫才、自分のツッコミがどんどん他人のものになっていく」と感じて寂しく思えてきた。その漫才は相方が自分で話を始めて自分からどんどんボケていくというもので、僕は相槌的にツッコミを挟んでいくだけだった。
 ネタはウケた。ウケたのだが、それは僕のツッコミのおかげではない。相方がボケた時点ですでに笑い声が起きて僕のツッコミはその笑い声に掻き消されているだけだった。初めての舞台で僕は笑い声が敵になることもあるんだ、と思った。
 初めて、自分がウケた感覚を覚えたのは、それとは別のコンビでコントをやった時だった。(サークルなので、ライブがあるたびに色んな人とユニットを組んでネタをやった。四年間で二〇は組んだのではないでしょうか)
 ネタは僕が主導で書いたものだった。相方が教育番組のお姉さん役で、僕が黒子のような恰好をして右手に持った鳥のぬいぐるみと会話をしていくという内容だった。
 二人で笑いながら楽しみながら作ったおふざけのようなネタだったが、それが今までで一番ウケた。
 ネタをやりながら「今、爆笑の中にいる・・・」と思って誰にも表情が見られないのを良いことにずっとニヤニヤしていた。あの時、僕は生まれて初めて「お笑いって楽しいんだ」と思ったのだ。

 最初はみんなそうだったはずだ。何がウケるとか、何が売れるとかそんな打算なんか無しで、ただ自分がやってみてワクワクできるような、作っている時からゲラゲラ笑ってしまうような、そんなものが何よりも愛しかったはずなのだ。
 それが「芸人」という肩書を背負い、仕事にすることで、他人の目を気にしすぎるあまり窮屈になってしまっていたのだ。
 窮屈な思いをする事、理不尽に耐える事、折り合いをつけること。それが「大人の仕事」なのだとわかってはいるが、そんな「大人の仕事」をやらない為に、僕は芸人になったのだ。
 芸人にとっての「大人の仕事」なんてものは、テレビでMCをやるようになってから考えればいい。そんな段階にもいない僕が、勝手に自分からお笑いを窮屈なものにしてしまってどうするんだ。
 もっと、自由に好きなことを。それでいて、お客さんの事を見放さない、勝負にも勝つ、そんなネタを。
 貪欲になることで見えてくるものもあるはずだ。「ネムルバカに捧ぐ」はそんな挑戦の意味も込められている。

 八本のネタの中で特に僕がニヤニヤしながら作ったコント(一人で作っているのでゲラゲラはしない)が、特にお客さんの反応が良かったことがとてつもなく嬉しかった。
「初めてBLの同人誌を見た女子中学生」なんてコントをやったときは楽しすぎて脳が開いている感覚がした。そんなコント「他人に合わせよう」なんて気持ちでやれるわけが無いんだから。自分が一番楽しんでやったコントがウケて、独りよがりじゃなく、見ている人を置き去りにせずにできたという感覚をこれからも大切にしなければいけない。
 ライブが終わった後のEDで、ゲストとして出てくれた人たちと一緒に、このライブをやるきっかけになった話をした。
「このライブでやったネタを今後のライブでもやっていき、成長させて大会でやります」とはっきり言う事で、もう後戻りはしないという決意表明をした。

「あんな自分が楽しんでいるだけのネタをやってたけど本当に賞レースでやるの?」
「好きなネタで勝ち上がったら最高じゃないですか」

 他人に合わせなければいけない、という事はつまり自分に自信が無いという事だ。素の自分を見せてありのまま生きて、それでいて他人からも好かれる。なんて人間にずっと憧れている。(いや、そんな人間いるわけないか。そういえば平野啓一郎さんが提唱している分人の話にも似たようなものがあった。)
 興味のない自慢話に食いついているフリをして、大げさに相槌を打って、その場を白けさせないことに全力を尽くして、家に帰ったら「あ~~~~~つまんない」と大きな声で言ってカバンを投げ捨てる。
 そんな生活を続けていると、他人に合わせる事ばかり考えてしまう。自分の心のドアをガチガチに施錠して、他人に対して表面上はニコニコしながら振舞って心の底ではずっと唾を吐き捨てる。
 ただ、自分が傷つくのが怖いだけだ。心を開いて「本当の自分」というものを他人に見せて拒絶される事が何よりも怖いのだ。
 傷つく覚悟も無ければ、「本当の自分を開示しても好きでいてくれるはず」という自信も無い。
 日常のコミュニケーション能力が毎日赤点毎年留年なのはこの際置いておいて(置いておくから友達ができないのだけど)、問題なのは、そのネガティブがお笑いの方にも浸食しているという事なのだ。
「自分がやりたいネタ」=「本当の自分」を隠して、他人に合わせて、その場を白けさせないように奮闘しても、そんなものでは満たされないし、そりゃ家に帰ると「あ~~~~~~~つまんない」と大きな声で言ってカバンを投げ捨てるに決まっているだろ。
 自分がやりたいネタというのは、自分そのもの、という感覚がある。全身全霊でぶつかってすべったらもう自分という存在が丸ごと否定されてしまうのだ。
 だが、丸二年とは言えお笑いを続ける事で、自分のやることに少し自信を持てることができたのかもしれない。
 僕は本当の自分を受け入れてくれる場所を、ネタをしながら探し続けなければいけないのだ。
 今まではそれが単独ライブであったのだが、もっと、もっと広い場所で。大きな舞台で。
 傷つくことを考えるとまだ怖いけど、自分はどこまでやれるのか?というワクワク感もある。




【あとがき(仮)】

とりあえず文学フリマに向けて書いていた文章はここまでになります。ここからさらに一章足して文章の推敲をして販売する予定でしたが今回はここまでで一旦終了することにします。最後の章では色々考えて賞レースに出た僕がどうなったのか?という事を書くつもりでしたがネタバレをするとR-1ぐらんぷりの3回戦まで行きました。例年よりは成果が出た、という事なのですが、言ってもまだ3回戦という結果なのでもっと良い結果を残せたらその文章を書いていきたいという気持ちになったので、終了です。一つ言っておくと「ネムルバカに捧ぐ」で披露したネタで3回戦まで行きました。好きなネタでそこまで行けたので嬉しかったです。そしてもっと嬉しくなりたい。もっと好きなネタでもっと勝ち上がりたいという気持ちがとてもあります。「自分はすごい結果を残した」とは全然全く言えない状況なので今後も頑張っていきます。そしてその文章を絶対に残します。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。また文学フリマに参加する予定ではありますので、その時は気にかけていただけると幸いです。




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