お笑いと「幸せな感情」

「2021年10月に考えたこと」というマガジンに収録されている記事です。単品で買うと300円ですがマガジンを購入すると600円で他の記事も読めます。

午前中に洗濯をしようと思っていたのに沢山寝てしまいました。「○○しようと思っていたのに沢山ねてしまいました」が多すぎて自分でも、もう諦めている側面があります。

電車が遅延していて各駅停車でのんびり行きました。穂村弘さんの歌集を読めたので良かったです。

よく行く喫茶店に行ったら、いつもは使えるはずのWi-Fiが繋がりませんでした。Wi-Fiがあると思ってWi-Fiが無いと残念な気持ちになる。

昨日は「永田敬介ネタライブ」ありがとうございました。ライブで感じたことについては昨日書いたのでそちらをご覧ください。

永田さんのネタは町田康の『告白』に近いという説は誰かと話してみたいです。

今までのイメージが強すぎて、多分誰も僕の事を「そう」だと思っていないと思うのですが、今の僕は結構明るいです。明るくて元気です。幸せな日々を生きています。Twitterとかでわざわざ「幸せです」と書くときは幸せじゃない時だと思うので別に書いたりしていませんでしたが、以前にあったような鬱屈とした感情が日々自分から零れ落ちて行っている事を感じます。

芸人として売れているわけでもないのに、状況は何も変わっていないのになんでこんなに幸せを感じているのかと考えたら、多分第一に「バイトをしていない」からだと思います。今までの僕はバイトで嫌な事があって、その嫌な感情ベースで毎日が進んでいくのでライブで失敗するとさらにバッドに陥って次の日バイトがあって更に最悪な気持ちになる、という完全負のループが完成していたのですが、今はバイトをしていないのでライブで失敗しても「明日はバイトが無い」というだけで全然ご機嫌に保つことができます。

「嫌な事をしていない」というだけで、こんなにも幸せを感じるなんて。大学を卒業してからは忘れていましたが、大学の時はずっとこれぐらい幸せでした。僕がヤバかったのは高校一年生の時と社会人になってからです。

もう一つ自分が幸せだと感じるようになった理由は「自分の言いたい事が伝わるようになってきた」からです。

芸人になってからは、ネタがウケないと「自分はこれを面白いと思っていてやっているのにウケない≒自分の言いたい事が伝わっていない」と思い、すごいストレスを抱えていました。2年目ぐらいまではずっとそのストレスを抱えていた上に金券ショップのバイトがきつすぎて人生で一番目つきが悪かったと思います。

ネタじゃダメなら文章で伝えようと思って、noteを書いたりエッセイを書いたりして、最初は自分の事をよく知っている人が読んでくれていたので割と伝わっていたのですが、段々規模感が大きくなるにつれて、「こういう事を伝えたいのにこれは半分も伝わっていない」とか「自分の意見を肯定するために無理やり俺が使われている」と感じたりして、それもめちゃくちゃ嫌でした。

そんな日々を過ごしてきたからこそ、ネタがウケるように頑張ったり、文章も頑張ったりしてきて、次第にほんの少しずつですが「伝わってきたかも」と思うようになってきました。(ネタに関してはおそらく自分の技術不足が原因だと思いますが。伝えるための能力は段々と伸びているはず。)

バイトをせずに、伝えたい事が伝わる。

お金は全然全然無いのに、なんか幸せを感じてしまっています。

しかし、幸せを感じた瞬間に「芸人としてこれでいいのか?」という疑問が浮かび上がってきます。

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