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『不動智神妙録』秘伝の神髄1


『不動智神妙録』は沢菴禅師から武道の将軍家指南役の柳生宗矩に送られた書簡だといわれている。

禅の煩悩即菩提の境地を剣術の極意に活かした剣禅一如の神髄を説いたものであり武術家に秘伝として伝えられてきた。

『不動智神妙録』を正しく読むには「煩悩即菩提」を理解しているか否かにかかっているので詳しく説明する。

注意に関する特別な心理の理解が必要ですのでそれも解説する。

まず本文を読みましょう。

北海道大学文学研究科紀要から引用する
引用は北海道大学文学研究科紀要

不動智00010


不動智0002

先ず無明とは煩悩状態であり迷いである。

そして住地とは注意の焦点を一か所に固定することでありそれを避けよという。

兵法で言えば、敵の振り上げる太刀を一目見てそこに注意の焦点が釘付けにされれば攻めること忘れ切られることになる。

これを心が留るという。

敵の振り上げる太刀を見ないわけにはいかないが、少しも注意を留めづ、また敵の太刀に合わせようと考えづ、

振り上げる太刀を見るか見ない瞬間に敵の拍子に合わせづ太刀のつかへ押こむべし。

このような素早い心の動作を石火の機といい、兵法では無刀といい刀を持たづ吾を刀にするという。

以上の文の意味は読めば解ると思います。

しかし無刀で戦うという状況の意味は理解出来ないと思います。

それ以降では刀のところを槍と言い換えていますが刀、槍は敵の能力の象徴と解釈することです。

刀、槍は奪うことは出来ません奪うのは敵の技術、気力、心を奪うのです。

つぎの文は吾の心得です、この教えを守らないと「敵に心を取られ」ると沢庵禅師はいうのです。

もうお解りですだと思いますが敵がこの不動智妙法を知らなければ敵から心を奪うことが出来るのです。

敵に吾が心を置けば敵に心を取られ候。我身の内にも、心を一か所留れば、こころをとられ候。

これを敵の立場から考えて見てください。敵が吾に心を取られるのです。

敵が吾に心を取られれば敵は無刀であり無槍同然にになれば敵の刀、槍を奪ったことになるのです。

日常誰誰さんと呼ばれて間髪を入れず返事の出来る人はすくないのである。

まず誰かと確認してつぎに何の用か考えてから返事をするのが普通かもしれない。

この態度はすでに隙をあたえているのである。

この微妙な差が人の信用を損なうのである。

おそらく気づいていないだろうが返事がおくれるのは用心したり人を疑っているからである。

その先に相手を信用してしまえば無理なことは言いにくくなります。

日常における相手の心を奪って良い関係を結ぶことができます。



『不動智神妙録』秘伝の神髄2へ続く

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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