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『無門関』第三十四則 智不是道

本則口語訳

南泉普願禅師は、言った。

「心は是れ仏にあらず。智は是れ道にあらず。」と。

説明


この公案は至って簡単でありますが、また 『無門関』第三十則「即心即仏に」もよくにた公案がありましたが、その違いを説明してゆきます。

簡単に言いますと、陸上競技リレーのバトンパスに例えられるのです。

学校の運動会のバトンパスはオーバーハンドパスですが日本のオリンピックでは最近アンダーハンドパスが使われております。

リレー競技ではこのバトンパスが勝敗を決めることことがあります。

如何にスムーズにバトンパスをするかによって勝敗が決まります。

ということで人間のバトンパスとは何でしょうか。

禅では一子相伝と言って秘密や奥義を伝えることが重要であります。

禅の伝統を絶やさないために言葉や文書では伝えられない秘伝や奥義を絶やさないことが絶対です。

絶対とは死んでも死に切れない使命感があるのです。

つぎの言葉は良寛のもであるが、なかなかこのようにいは覚悟のは出来ないと思う。

災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。
死ぬる時節には、死ぬがよく候。
是はこれ、災難をのがるる妙法にて候

「心は是れ仏にあらず」とは心は人が亡くなれば消滅してしまいます。

仏は不生不滅と言っても、生まれることは無いから伝えなければ成らないことになります。

無門禅師の評語口語訳

南泉禅師は老いぼれて仕舞ったのか恥を知らない。

家醜を口外してしまった。

それなのに恩を知るものは居ないとは無げかしい。

説明

無門禅師の評語に注目しなければなりません。

南泉禅師は何故恥を知らなかったのでしょうか。

何を家醜というのでしょうか。

禅の奥義を伝えるとは師と修行僧との間に信頼が無ければ成り立ちません。

お互いに自然のまま、あるがままに対しなければなりません。

家醜があっては信頼出来ないことになります。

南泉禅師が家醜を隠していては修行僧はそれに触れることは出来ません。

その様な家醜を修行僧に告げたのでした。

だから無門禅師は南泉禅師を恥知らずと言うのです。

しかしこれは無門禅師は南泉禅師を褒めているのです。

残念ながらその家醜の内容は解りません。

覚ったからと言って消えて無くなることのない心もあると言うのです。

だから「心は是れ仏にあらず。智は是れ道にあらず。」と言います。

南泉禅師は我を捨て恥を捨ているのに。

それなのに恩を知るものは居ないと無げくのです。

家醜の内容はもう解ったでしょうか、

そうです修行の辛さに耐えられなかった南泉禅師の苦悩です。

それなのに修行僧に耐えられな苦悩を求めなければならない
緊張です。

禅の伝統を伝えるとは真剣勝負なのです。

無門禅師の頌口語訳

天晴れて日光がでて、

雨降って地うるおう。

情を尽くして説きつくせり

それにしても納得する人の少ないとは。

伝統は以前とすこしも変わっていないように見えるが、

その苦労を知る人はなんと少ないことでしょう。


参考引用
『公案実践的禅入門』秋月龍眠著 筑摩書房
『無門関』柴山全慶著 創元社
『碧巌録』大森曹玄著 柏樹社

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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