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『夢中問答』一:幸福とは

夢窓国師『夢中問答』の概観と解説を始めます。

『夢中問答』は上中下の三巻全部で九十三の主題に分けられている。

『夢中問答』は題名の通り仮想の物語りが最初から出てきます。

子供向けの昔話の竹取物語りのような話ではありますが、夢と現実を超えた真実の世界が書かれているのです。

その話と言うのが天竺の須達長者夫婦が年老いて預貯金も食べ物も使い果たして、頼る親族も無く二人だけでしたが空倉庫だけが残っていました。

その倉庫の中を探すと斗が残っていましたので、それを売って米四升を買い命を二三日つなげることが出来ると一安心して夫は外出しました。

ところがそこへ舎利弗が来て須達の妻に米一升を乞い申したので供養しました。

その後目連、迦葉が来て米二升乞うたので残りは米一升になってしまった。

困り果てているところに如来来りてその残りの米一升を惜しむことも出来ず供養しました。

やがて夫須達が疲れて帰ってくること思うと米四升をなくした言い訳も出来ず悲しみに泣き崩れていました。

そこへ須達が帰ってきてその異変に気が付き理由を問い妻を許しました。

須達の言うには我餓死するとも三賓の御ために身命を惜しんではならずと。

もしやと思い空になっていた倉庫を開けると突然金銀財宝、食料、衣類、その他必要品があふれるほど積まれていたと言う話なのです。

おそらくこれを読んで素直に信じる人は子供でもいないでしょう。

しかし笑っていてはいけないので有って真剣に考えなければ成らない重要な事実を問うているのです。

幸福を願って不幸を避けたいと考えるのが人の常であって、

仏教は大慈大悲からそれを助けるのが本来の役割なのに何故幸福を求めては成らないというのかと問うているのです。

それは夢窓国師が常に説いていることが常識と矛盾していて理解出来ないからです。

その夢窓国師の考えには真実が感じられる一方心から全面的に納得できないと思います。

身命を惜しまないこととはこのことなのです。

次回以降その理由が明らかになります。


『夢中問答』夢窓国師 岩波文庫:絶版

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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